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2014年3月22日 (土)

或夜一献の有りけるに

  昼下がりという時間のせいか春の日差しのせいか、今日は町全体が日向ぼっこでもしているようだ。

 平日のこの時間は昼休みをとる店も多く、休日や夜のような喧騒はない。道行く人の歩調もどことなくのんびりだ。
 俺と紅雀も例外でなく、近くの食堂で遅い昼飯を食べて、いまは帰りがてら通りをぶらぶら散策している。

 今日は第二火曜日で、平凡の定休日。
 紅雀の髪結いの仕事は、以前は気まぐれ営業だったけど、最近は俺の休みに合わせ火曜が定休になりつつある。

 当然、前の日から紅雀んちに泊まって……あれこれして。
 たぶん、帰ったらまたあれこれして……。俺たちの休日は、いつもこんなふうに自堕落にべたべた過ごすのが定例になっていた。

「あれこれ」したあとの気だるい体に、春の陽が湯のように心地いい。
 ふわふわした足取りで、俺はこの時間を、ふたりの休日を愉しんでいた。 
 紅雀も同じ気持ちだと思う。通りの店をひやかしながら時々俺に向ける目が、本当に機嫌よさそうだったから。

 そのとき────

「紅雀さーん!!」
「紅雀さんてばー!!」

 穏やかな空気を破るような甲高い声が背後からかかる。
 振り返らなくても、おおよそのことがわかる。俺は無言ですぐ隣にいた紅雀から数歩離れる。

 見ればやっぱり、駆け寄ってきたのは紅雀のファンであり顧客である女の子たちだ。
 一人はオレンジ色の髪をソフトクリームみたいに結いあげてて、一人はストレートの黒髪にピンクのメッシュを入れていた。どちらもなんだかフリルのいっぱいついた服を着ている。

「紅雀さーん。最近お休み火曜なんですかー?」
 黒髪の子が、唇をとがらせながら紅雀に言う。
「ああ。そういうことにしてるんだ。美容院も火曜休みが多いだろ?」
 紅雀が笑顔で答える。営業スマイルというには甘すぎる笑顔に、俺はなんとなく目を逸らす。
  俺とこういう関係になって、紅雀は女遊びを一切やめた。
 けれど、客としての女の子たちは、やっぱり大事な存在で無碍にはできない。
 女の子たちも、それがわかってきたのか、最近はファンとしてじゃなく、髪結いの客の体裁で紅雀に接触してくる。
「私のバイトも火曜休みなんですよお。なんとかできませんかー?」
 黒髪の子が、両手を合わせて紅雀にお願いする。
「すまねえなあ。なんとか都合つけて、別の日に来てくれ。そうしたらうんと綺麗にしてやるから、な?」
 紅雀もすまなそうに片手をかざす。
「だったらちょっとでいいんで、髪のことで相談のってもらえませんかあ……」
 紅雀がチラリと俺のほうを見る。俺は「いいよ」と笑ってアイサインを送る。

 これも大事な営業活動だし──と俺は邪魔にならないように紅雀から少し離れる。相談は髪がうまく巻けないとのことで、なんとなく長引きそうだった。手持ち無沙汰で通り向かいのディスプレイをぼんやり眺めていると……ふと首筋に視線が当たる気配を感じた。

 振り返ると、オレンジ色の髪の子が、俺を睨むように見つめていた。
(え………?)
 紅雀のファンが俺に素っ気無いのはいつものことだけど、こんな険のある視線をぶつけられたのは初めてだった。
(なんなんだ……?)
 俺はうろたえ、理由を探して彼女を見つめ返す。もしかして知り合いなのかと思ったが、記憶に彼女の顔はない。ひょっとしてアイスクリーム屋のバイト時代になんかヘマでもやったのかな……?おつり間違えたとか……。アイス間違えたとか……。
 そんなことを思いながら、彼女に目を向けていると、彼女はふいに唇にひとさし指を当て……「内緒」の身振りを俺に送った。

 今度こそ本当に俺はうろたえた。
 なんだ。この秘密の共有みたいな空気!
 焦って紅雀のほうを見ると、紅雀は黒髪の子をほうを向いて話を聞いていた。
 少しホッとして視線を戻すと、彼女はもう涼しい顔になって紅雀のほうを見つめていた。
(なんだったんだ……いまの……)
 それから数分して話は終わり、俺たちはまた並んで歩き出した。
 けど、さっきまでの穏やかな心地よさはすっかり失せて、代わりに得体のしれない歯痒さが胸のなかを占拠していた。
 クイズを出されて答をもらえないままのような、そんなもやつきだった。

 
 紅雀の部屋に戻る頃には、俺はほんの少し汗をかいていた。
「はー…ジャケットはちょっともう暑いわ……シャツ一枚じゃまだ寒いかと思ったけど、全然そんなことなかったな……」
 俺がジャケットを脱いで首筋を手を仰いでると
「ビール飲むか?」冷蔵庫を開けて紅雀が言う。
「飲みまーす!」
 挙手しながら、俺は勢いつけて紅雀のベッドに腰掛ける。赤の和布団が掛けられた大きなベッド、そこの窓際がほとんど俺の定位置になっていた。
「昼酒は休日の特権だな」
 俺に缶ビールを手渡し、紅雀も俺の隣に座る。ふたりで一緒にプルトップを開け、缶を呷る。
 喉が渇いてたせいもあって、最初のひと口は唸りたくなるほど美味かった。
 開け放した窓からは、外の桜の花びらがちらほらと舞い込んでくる。
 そうして俺は、さっきまでのモヤモヤが晴れるのを感じていた。
 彼女の行動は依然として謎のままだけど、思い当たるフシもないし、せっかくの休日を考えこんで潰すのももったいない。とっとと忘れよう。
そんなことを考えながら、俺がビールの冷たさを味わってると
「……なあ……蒼葉」
「ん?」
「さっきの女の子たち……お前の知り合いか?」
 瞬間、盛大にむせた。
「な…なん、で?!」
 鼻から抜けるビールの刺激に耐えながら言うと
「いや……オレンジの髪の子のほうが、いやにお前のほうを見てたから……」
 あー……やっぱり気づかれてた……。
 でも後めたいことは何もない。だから俺はきっぱりと答える。
「全然知らない。もしかしたら、俺がバイトしてたときの客だったのかなーとは思ったけど」
「そうか……」
 なんとなく釈然としていないような口調で紅雀が言う。
「……もしかして俺が女に浮気とか、そういうの心配してんの?」
 今度は紅雀がゴフッとビールにむせた。
「あ、蒼葉?」
 むせながら唇を拭う、慌てた素振りに俺は確信した。
 ……こいつ、初めてのときも俺に男履歴聞いてきたし、自分は遊んでたくせに妙に嫉妬深いよな……。
 それはいまは置いておくとして。やましいことは何もないんだからちゃんと否定しておかないと。
 
「それは絶対ないし。だいたいこんなしょっちゅう会ってるのにそんなことしてる暇ないっての」
「そ、そうだよな……すまん……」
 
 紅雀が笑い混じりに謝って、俺が「まったく……」と返して。
 妙な沈黙が俺たちの間に落ちる。
「……あのな、蒼葉……」
 歯切れの悪い紅雀の声音。
「……なに…?」
 今度は何を言い出すのかと、内心で身構える。
「お前、その……女とは、あるんだよな?」
「へ?!」
 あまりに突飛な質問に思わず間抜けな声が出てしまった。
「な、何が……?」
「いや、その…………経験………」
 決まり悪そうに言いながら、紅雀は自分のうなじのあたりをさすった。
 経験、って……。
 紅雀が妙に言葉を選んでる感じなのが、逆にいたたまれない。もっと男同士のノリっぽく「何人ぐらいとやったことある?」とか聞いてくれればいいのに。

 経験は……もちろんある。でも紅雀に比べたら可愛いものだと思う。
 俺が女遊びしていたのは、荒れてた時期のほんのいっときだけだったし。
 そんなものかと思われるのは癪だけど、ここは素直に答えて紅雀を安心させておくか。
「あるけど。そんな多くないよ。2桁いくかいかないかぐらい」
 言いながら紅雀に笑いかけようとして……俺は固まった。

 紅雀は唇を薄く開いたままの表情で、同じく固まっていた。呆然という言葉がこれほどそぐう顔もないと思う。
「え?な、何?」
 予想外の反応に俺がうろたえると、紅雀は我に返ったように目をしばたかせた。
「あ……いや、思ってたより……その、多いな……」
「多いってなんだよ!紅雀に比べたら全然だろ!」
「そりゃそうなんだが……お前、女苦手そうに見えてたから……」
 さすがにちょっとカチンときた。そう言われて嬉しい男はいないだろう。

「どこ見てそう思ってたんだよ!俺、そんなに童貞くさい?」
 上目で睨みながらにじり寄ると、紅雀は気圧されたようにその分だけ尻で後ずさる。
「や、そんなことはない。けど、ほら、お前うちの客の女の子たちにも引き気味だったし、ヨシエさんやタエさんやミオにもやりこめられてるし……」
 内心で冷や汗をかいてるのが、ありありわかる声音で紅雀が言う。
「何だよその偏ったデータ!ていうかなんで婆ちゃんまで入ってるんだよ……」
 でも実際、いま俺の周りの女っ気といえば、そのメンツぐらいということに気づく。
 確かに子供の頃と、ここ数年の俺しか見てない紅雀には、俺はすごくモテない男に見えてたんだろうな……。

 妙に捩れた気分になって、俺は無言でベッドの上に倒れこんだ。そのまま真っ赤な掛け布団に顔を埋める。

 考えてみれば──俺たちは、お互い離れていた頃の話は普段ほとんどしていない。
 俺はひどく荒れていたし、紅雀は人生で一番辛い時期だったろうし、なんとはなしに「その頃」には触れないようにしていた。俺たちが過去の話をするときは、俺が紅雀をヒーローと思っていた子供の頃にまで遡っていた。

 ミズキからチラホラ話が出るから、俺がやんちゃしてた時期があることは、紅雀もたぶん知っている。でもそれはそんな可愛い言葉で済むものじゃない。
 あの頃は、いつも不安で、イラついていて、ろくに家にも帰らずに溜まり場を渡り歩いていた。
 溜まり場にいるのは、男も女も似たもの同士で……何も考えずにいられる時間だけが欲しくて、そして同じものを求めている相手には不自由しなかった。
 
 俺と同じ、行き場のない女の子と、たいした言葉もなく寄り添い、わずかな安心を得るためだけに抱き合っていた。
 誰一人名前も思い出せない。そもそも名乗りあったかどうかも怪しい。
 女の子の記憶はすでに個別にはなくて、柔らかくて甘い匂いのする、ひとつの塊のようになっていた。
 ある程度お互い様ではあるけど、そのときの俺はまったく誠実じゃなかった。 
 相手のことはどうでもよかった。気持ちなんてまるで考えてなかった。それ以上に俺は自分のこともどうでもよかったんだけど。

 そういう意味では、紅雀は優しいし、たぶん誠実なんだと思う。
 

 紅雀の女遊びは、俺なんかの遥か上を行くものだけど、紅雀は女を泣かせるようなことはしていない、と思う。
「自分は誰のものにもならないけど、それでもいいと言う女しか抱かない」と以前に聞いた気がする。
 紅雀は女はみんな可愛いと言っていた。この世の宝だとも言っていた。
 紅雀は髪を扱うように優しく丁寧に女を抱いていたんだろう。そして女も「天にも昇るような」気持ちになっていたんだろう……。

「…………………………………」

 腹の奥から、さっきとは違うベクトルの苛立ちが湧いてきた。
 俺が初めて髪を切った日に、俺の髪を丁寧に触る紅雀の指先を思い出して、そしてその指が女の体に触れるのを連想して、俺はまったく無意味な嫉妬に駆られてしまっていた。
 ふだん、紅雀の女関係のことは考えないようにしていたのに……。

 だいたい俺の女履歴なんて聞いてくる紅雀が悪い。
 自分はその何倍も遊んでたくせに。
 
 俺の怒りは、ただの自縄自縛だ。自分で勝手に考えをめぐらせて怒りを募らせている。
 でもそのきっかけを作ったのは、やっぱり紅雀だ。
 俺の中にもやもやとタチのよくない思いが湧きあがる。

 紅雀を苛めてやりたい───という気持ちが。

「……蒼葉……?」
 俺が布団に顔を埋めたまま黙ってしまったからか、紅雀が不安げな声をかけてくる。
「怒ったのか……?悪かった。機嫌直してくれよ……」
 紅雀の手がそっと俺の背に触れる。俺は肩越しに振りかえり、紅雀に冷たい視線を送る。
「紅雀は、何人ぐらいなんだよ。経験」
「へ……っ?!」
 俺をのぞきこむように見ていた紅雀の目が驚きに丸くなる。
「な、なんで急にそんなこと……」
「俺も、知りたくなったから。紅雀先生の戦歴を」
 本気の怒りでないことを芝居めかした口調で強調しながら、俺は精一杯意地悪く言ってやる。
「旧住民区せまいし、もしかしたら若い女の子は全部紅雀のお手つきだったりしてなー」
 言いながら体を起こし、俺は紅雀に背を向ける形であぐらをかいた。
「俺が昔遊んでた相手もその中にいるかもな。そしたら俺たち穴兄弟ってことになるよな」
「あ……な……って。お前……!」
 紅雀が絶句する気配が伝わった。チラリと振り返ると、目を眇めて途方に暮れたような顔の紅雀がいた。ほんの少し胸が空く。
「……お前なあ、どこでそんな言葉覚えてくるんだよ……」
「そんな言葉って……べつに普通だろ。つか紅雀どんだけ俺のことガキだと思ってんだよ」
 俺は体の向きを変え、猫みたいな姿勢で紅雀ににじり寄った。もちろん怒った顔のままで。
「紅雀は、俺があの頃のまんま大人になったって思ってるんだ?」
「そんなことは……ない」
「じゃあなんだよ。俺がエロいこと言うたびに焦って。俺がなんにも知らないほうがいいのか?紅雀は」
 言いながら上目で睨むと、紅雀は目を閉じ、助けを求めるように天を仰いだ。その苦悶めいた表情に、俺は怒りとは別の情動を感じる。
 それは俺を抱いてるときの表情にも似ていて、手を差し伸べたくなるような憐れみにも似ていて、その顔をもっと見たいような、見たくないような……相反する気持ちだった。
「紅雀」
 呼ぶ声が思いのほか優しくなっていた。つまり俺の気持ちは、もう許すほうへと向かっている。
 俺の声に、紅雀が薄目を開ける。紅雀の目には苦笑いの俺が映っているだろう。
「ごめん。紅雀」
「ごめんな……蒼葉」
 お互いを呼ぶ声が重なり、小さく笑う声も重なった。
 しばらく見つめ合って、互いの表情が和らいでいくのを確認する。
 紅雀が心底ほっとしたように目を細める。少し下がった目尻が優しい笑みの形になって、俺はこの顔が好きだとあらためて思う。
「本当にごめんな……つまんねえことばかり言って。俺も器がちいせえな」
 紅雀が俺の背に手をまわし、優しく叩きながら言う。
 怒りが治まると、さっきまでの自分の意地の悪さが急に恥ずかしくなる。
 

 「もういいから……」と言って、俺は紅雀の首筋に顔を埋めた。

 
 その日のことは、俺たちのなかで小さな引っかき傷レベルの出来事で、特に後を引くこともなかった。むしろいい刺激になった……みたいな。何とは言わないけど。

 そして、そんなことがあったことも忘れそうになっていた数日後。
 
「ちょっと」
 配達の用事で青柳通りを歩いていたとき。聞き覚えのある声に呼び止められた。
 振り返ると、やっぱりオレンジ色の髪の子だった。
 数日前には高く結っていた髪を今日はおろしている。髪の色が強烈だから覚えていたけど、もし黒とか茶とか普通の色だったら、わからなかったかもしれない。女の子って髪型で印象変わりすぎるんだよなあ……。
 俺がそんなことをぼんやり考えていると、その子はツカツカと近寄り、俺を睨めつけながら「あたしたちのこと紅雀さんには言わないでよね」と言った。

「…………え?」
 意味がわからずにぽかんと俺は聞き返した。
「だから!あたしたちがつきあってたこと紅雀さんに内緒にしてって!」
「え?えええええええ!」
 往来にいることも忘れて、俺は素っ頓狂な声をあげた。道行く人たちがチラチラと俺たちのほうを振り返る。
「俺が?つきあってたっていつ?」
 とぼけるというにはほど遠い俺のせっぱつまった声に、ただでさえ不機嫌そうな彼女の顔がますます険しくなる。
「覚えてないの?」
「……ごめん……全然……」
「最っ悪!!紅雀さんと大違いだよね!」
 俺は軽く途方に暮れ……肩から提げていたカバンを開ける。
 みっともないのを承知で、俺はなかで眠っている蓮に助けを求めた。
「蓮……悪い」
「どうした?蒼葉」
 俺はカバンのなかから小さな青い毛玉を抱きあげ、彼女を見るように促す。突然現れた
子犬の姿にしかめ面だった彼女の顔がほんの少しほころんだ。
「お前、この人知ってる?」
 蓮の耳に小さく囁くと、蓮はしげしげと彼女の顔を見て……
「およそ6年前に、二週間ほどの交遊があった」
「ほうらね!」
「って……二週間?!!」
 二週間って、つきあっているうちにはいるのか?そしてぼんやりと俺は思い出してきた……確かに「つきあって」って誰かに言われて「いーよ」と生返事したような……。そしてしばらくして相手が怒り出して姿を見せなくなったような……。
「とにかく!あたしのことは絶対紅雀さんに言わないでね!もしあたしが紅雀さんとつきあうようになっても他人のフリしててね!」
 一気にまくしたてて、彼女は踵を返して去っていった………。

 俺は蓮を抱いたまま、しばらく呆然とその後姿を見送っていた。
「……それにしても……俺が忘れてるなら、そのままにしとけばいいのに、なんでわざわざ思い出させようとするんだろ……」
 俺がぼそぼそと呟くと
「それは複雑な女性心理というやつではないだろうか」と蓮。

 もしかしたら、忘れられるというのも癪にさわるものなんだろうか。よくわからないけど。
 わかるのは……俺と彼女の間に関係があったことが事実で……いま紅雀にものすごく会いづらい気分だってことだ……。

 それから──俺は適当な理由をつけ、3日ほど紅雀と会わなかった。
 別に過去のことだし、それで喧嘩になるとは思わないけど、彼女との仲を疑われて濡れ衣気分で怒った手前、なんとなく紅雀と顔を合わせづらかった。
 俺は考えが顔や態度にでやすいらしいし……。

 この日も、中古のパーツを家でリペアする作業をしたいとメールして、紅雀の家には行かなかった。紅雀は「そうか。頑張れよ」と返事をくれて少し胸苦しい。

 まっすぐ家に帰り、婆ちゃんの夕飯の支度を手伝って。
 婆ちゃんと卓を囲んで「いただきます」と手を合わせて、豚の角煮に箸をつけようとしたとき。
「紅雀と喧嘩でもしたのかい?」
 天気の話をするような口調で婆ちゃんに言われ、俺は危うく箸を皿の底で突き折りそうになった。
「え、や、そんなことないけど?」
 努めて平静を装って俺は言う。
 実際、喧嘩はしていない。俺の気分の問題ってだけで。
「そうかい?なんだかお前元気がないよ?」
「本当になんでもないって!ちょっと仕事のことで色々考えてただけで」
 笑いながら言って、俺は角煮をほおばった。婆ちゃんは「まあいいけどねえ」と言ってそれきりそのことには触れなかった。

 けれど、夕飯のあと。食器が片付けられてお茶とドーナツが乗ったテーブルの上に、婆ちゃんが黒い瓶をどんと置いた。
「なにこれ?」
 それは酒瓶だった。碧島で酒といえば泡盛のことだけど、これは日本酒のようだった。
 ラベルに純米吟醸と書いてある。
「貰いものなんだけどね。明日紅雀に持っていっておやり」
 しれっと婆ちゃんに言われ、俺は一瞬リアクションに迷った。なんとかさりげなく「婆ちゃんは飲まないの?」と返すことができた。
「あたしゃどうも日本酒は合わなくてね……。古酒ならいくらでもいけるんだけどねえ……」
「へえー」
 婆ちゃん底なしに強いと思っていたから、苦手な酒があるのは意外だった。
 そう思いながら俺が瓶のラベルを眺めていると
「この酒は苛めるとまた美味いらしいよ」と婆ちゃんが言った。
「苛めるって?」
「それは紅雀に聞けばいいさ。たぶん知ってるだろうからね」
 そう言って婆ちゃんは空の湯呑みを持って流しに立った。
 確かにそろそろ紅雀に会わないでいるのも苦しくなってきたし、この酒はいいきっかけになるかもしれない。
「ありがとう!婆ちゃん」
 俺が婆ちゃんの丸い背中に声をかけると、婆ちゃんは流しのほうを向いたまま、小さく頷きを返してくれた。

 次の日──俺はいったん家に戻り、冷蔵庫で冷えている酒瓶を持って、紅雀の家へと向かった。
 あらかじめ「今日は行く」とメールしてあったので、紅雀はすでに家にいた。
「こんちは」「おう」といつものやりとりをして、俺は酒瓶の入った袋を紅雀に渡した。
「ほう。越後の酒か。よさそうだな」
 紅雀はそう言って嬉しそうに目を細めた。
「そう言えばさ。婆ちゃんがこの酒、苛めるとまた美味いって言ってた」
「おお。そうか」
 紅雀にはやっぱりわかるらしい。
「苛めるってどういうこと?婆ちゃん紅雀なら知ってるって言ってたけど」
「ああ。吟醸酒は冷やで飲むのが一般的なんだが、そこをあえてぬる燗にしたり常温にしたり、風味をわざと変えることさ」
 紅雀は台所へ向かい、戸棚からグラスをふたつ取り出した。
 これは紅雀が俺の誕生祝にくれた琉球グラスだ。赤と蒼のグラデーションがちょっと珍しい。最初は自分ちに置いていたんだけど、俺が紅雀の家に入り浸るようになって、いまは贈り主のもとにある。ペアグラスなんだしひとつは好きに使えばいいのに、紅雀は律儀に俺と飲むときだけしかそれを使おうとしない。

 戸棚から普段使いのとは別の、黒い丸盆を出して酒を注いだグラスを置く。盆の上には花びらのような金の塗りが施されていて、グラスの色とよく合っていた。
 紅雀は普段の生活にも、こういうこだわりを見せる。こういうの粋っていうんだろうな。
 婆ちゃんが昨日の角煮やあれこれお惣菜を持たせてくれたので、俺たちはそれをつまみにダイニングルームで飲んだ。
 酒はサラリとしていて、少し果物のような匂いがした。俺は酒の味はよくわからないこと素直に美味しいと思う。
「うん。いい酒だな」
 紅雀も目を細めてゆっくりとグラスを傾ける。
「この酒、タエさんが選んだのか?さすがタエさんの目利きだな」
「いや、これは貰い物だって言ってた」
「そうか。わかる人のところにはいい酒が集まるもんだな」
「え?婆ちゃん日本酒苦手って言ってたけど」
「そんなわけないだろう。だいたい俺は酒を苛める飲み方もタエさんから聞いたんだぞ」
「…………」
 やっぱりこの酒は、婆ちゃんのはからいだったんだ。
 貰い物なのは本当なんだろうけど、俺が持っていきやすいように苦手だって嘘をついたんだろう。そもそも日本酒苦手な人のところに日本酒の貰い物とかないよな……。
 
 うっかり遠い目になっていたのを、紅雀にしっかりと見咎められていた、らしい。
「お前……何かあったな?」
 言われて内心で首が竦む。
「え?そんなことないよ!ちょっと婆ちゃんに喧嘩したのかって心配されただけで」
 俺が慌ててそう言うと、「ほお」という呟きとともに紅雀の目が細まった。
「つまりお前は、タエさんが心配するような態度だったわけだ」
「う」
「俺と3日も会わなかったのには、なにか理由があったんだな?」
「……そんな……ことは……」
 笑ってごまかそうとしたけど、俺を見つめる紅雀の目はそれを許してくれそうになかった。
「怒らないから言ってみろ」
「それ……怒るフラグだし……」
「蒼葉」
 駄々っ子をたしなめるような紅雀の声。威圧的では全然ないけど、逆らえそうにもない。     どうしようかと迷ったけど、ハンパに隠そうとしてもたぶん絶対ボロがでる。
 しかも気づかないうちに、俺はだいぶ酔っ払っていて……考えが整頓できそうもなかった。
「はあ………」
 観念して、俺はテーブルの上に突っ伏した。紅雀の顔を見ながらは、とても話せそうにない。
「……じつはさ、こないだのオレンジ色の髪の子……」
「うん?」
「俺、やっぱりあの子と遊んだことあったみたいなんだ……」
「………」
 紅雀が黙り込む。どんな表情をしてるかなんて、想像したくない。
「ごめん………」
「謝ることじゃないだろう。過去のことはお互い様さ」
 紅雀の声は優しかった。
 俺が顔をあげれば、きっと紅雀は笑ってくれている。そこで話は終らせられる。でも。
「違う……謝りたいのは、そのことじゃなくて……」
 テーブルに頬をくっつけただらしない格好で俺は続ける。

「紅雀……紅雀が本土にいた頃、俺が荒れてたのって知ってるよな?」
「あ?ああ、まあなんとなくは。お前の武勇伝はミズキから聞いてるし」
 話が飛んだように感じたのか、少し戸惑うような声音だった。
「たぶん紅雀は、ちょっとやんちゃしてたぐらいに思ってるだろうけど……実際はそんなものじゃないんだ。周りにすげー迷惑かけたし。婆ちゃんも泣かせた」
「蒼葉……」
「俺が遊んでたのってその頃で、かなりひどいっつーか……顔も名前も全然覚えてなくて誰でもいいみたいなノリで……オレンジの子のこともまったく忘れてた」
 こんなことを言って、紅雀に嫌われないかと心の片隅で思う。でもずっと堰きとめていたものが溢れるみたいに、止められなくなっていた。

「だから、紅雀のほうが女に優しいっていうか……思いやりがあるっていうか、男として上等…なんだと思う。……そんなことを考えてたら女に嫉妬して、ムカつきました……」
 言いながら本気で情けなくなってきた……。
「それで、俺は紅雀を苛めたくなって……八つ当たりしました……」
「………」
「ごめん。紅雀……ごめんです」

 部屋に沈黙が落ちる。

 ……紅雀はこの間みたいに、呆然とした顔をしているだろうか。
あのときはその顔を見てスッとした気分になったけど、いまは恐ろしくてしょうがない。俺に呆れないで欲しいと思う。俺を嫌わないで欲しいと思う……。

「蒼葉」
 声とともに髪の毛に温もりが触れた。紅雀の大きな手が俺の髪を撫でている……。
「顔をあげろよ。蒼葉」
 掌はゆっくりと滑り、いまはむきだしになっている俺のうなじに触れる。
「う……」
「顔あげないと、くすぐるぞ」
 そう言われたら、あげないわけにはいかない。目を伏せたまま顔をあげ……俺は正面の紅雀を見る。

 紅雀は……笑っていた。なにかを慈しむような柔和な笑顔だった。
 その笑顔に胸が苦しくなって……俺はまた小さく俯く。
「俺は……随分とお前に買われてるんだな」
 言いながら、紅雀がまた俺の髪を撫でる。
「そうだよ……」
 紅雀は俺のヒーローだから。
「俺はお前にそこまで思ってもらえるほどできた男じゃないぜ?」
「そんなことない」
「いいや」

 紅雀の手が俺の髪から頬に流れる。さらっとした掌がほてった頬に気持ちいい。
「俺は……正直ホッとしてるっていうか……嬉しいんだ」
「何が……?」
「お前の女遍歴が惚れた腫れたじゃないってことがだよ」
 ……意味がよくわからない……。
 訝しがる俺の視線に気づいたのか、紅雀が苦笑いを浮かべる。
「つまり……お前は、男も女もひっくるめて、俺が初めてなんだろう?」
「だから……何が?」
「惚れた相手とする気持ちのいいセックスが、だよ」
「うっ……」
 顔に一気に血が昇った。ああ、ダメだ。紅雀には負ける。叶う気がしない。
「こんなことが嬉しいなんて……俺も小さい男だな。でも……やっぱり嬉しいんだ。お前、こんな俺は嫌か?」
 俺は無言で首を横に振る。
 頬に添えられていた掌がいつ間にか俺の顎を捉えていた。軽く持ち上げられて顔が上向く。……すぐそこに、俺を見つめる紅雀の顔があった。
「蒼葉……」
「………」
「蒼葉。蒼葉……」
 紅雀が俺の名を呼ぶ。その響きを楽しむみたいに、何度も呼ぶ。
 そして俺は名前を呼ばれるたびに、胸が鳴る。紅雀に鳴らされる楽器にでもなったみたいだ。
「紅雀………」
 俺も紅雀の名を呼んで……でもそれ以上は呼べなかった。

 紅雀の唇が、俺の口を塞いでしまったから───

 

 寝室の空気がこころなしか甘い。
  
 開けた窓から入ってくる桜の匂いかもしれないし、俺たちが飲んでいた酒の香りかもしれない。
 でもたぶん、俺が紅雀に組み敷かれて蕩かされて、頭の中が蜜みたいになっているせいだと思う。
 紅雀の指と唇が、まるでまだ触れてなかったところを探すように、俺の体中をまさぐった。
 肩口を軽く噛まれて、脇にまで舌を這わされた。
「そこ…っ!くすぐったい…って……」
「くすぐったいだけか?」
「マジ……くすぐったい……!」
 俺が首を竦めて身を捩ると、紅雀の左手が俺の乳首をキュッとつまんだ。
「うっ……」
「これは……?」
 俺の乳首を指で捏ねながら、紅雀がもう一度脇に舌を這わせる。紅雀の吐息と脇をチロチロと行き来する感触、くすぐったいだけの場所になんだか妖しい感覚が点る。
「そんなとこ……汗臭い、だけ…だろ……」
「いや……お前のいい匂いがする……」
「バカ………」
 俺はきつく目を閉じて、その感覚をなんとか受け止める。快と不快の境界にあるような曖昧な感覚、じわじわとそれが広がって、全身の肌が粟立つような気分になる。
「紅雀……も…う……」
 我慢できなくなって紅雀に懇願する。紅雀の舌が脇から離れて、俺がほっと体の力を抜くと──その舌が今度は、俺の空いてるほうの乳首に触れた。
「あ!あぁっ!!」 
 不意打ちのせいなのかもしれないけど……俺のそこはありえないほど敏感になっていた。舌だけじゃなく唇できつく吸われて、俺は泣くみたいな声をあげてのけぞった。
「紅雀……なんか……今日、しつこい……」
 やられっぱなしなのが癪で、そんな憎まれ口を叩いてみる。
 紅雀は顔をあげて、少しすまなそうに笑った。
「そうだな……しつこいな。なんだか今日は蒼葉を丸ごと食っちまいたいような気分なんだ」
 そう言って俺の頬にキスを落とす。
「………もしかして、これって仕返し?」
 胸のあたりに残る疼きに、眉をしかめながら俺は言った。
「ん?なんのだ?」
「俺がこないだ……紅雀苛めたことの……」
 紅雀は一瞬きょとんとなって、すぐに顔をほころばせた。
「しねえよ。大事な蒼葉にそんなこと」
「………ま、またそんな………」
「でも、そうだな。酒を苛める…みたいに、いつもと違うことして、違う蒼葉を愉しみたいって気持ちはあるかもな」
 さらりと怖いことを言う。
「な、なに……?SMとか…そういうの?」
 俺が少し怯えた声で言うと「バァカ」と紅雀は笑いながら俺を抱き寄せた。
 抱きしめながら俺の背を撫で、その手がゆっくり尻の狭間に滑りおりる。
「いつもと違うこと」はしないのか…?とチラリと思ったけど、いつもどおりの慣れた手管が心地よくて、俺は安心して紅雀に身を委ねた。
「ん…あ……」
 紅雀の左手が俺の尻たぶを掴みあげ、右の手指が俺の後ろにゆっくり潜りこんでいく。

 息が詰まって体に力が入りそうになるのを、紅雀の肩に縋ってやりすごす。息を逃し、力を抜いて、体を開く行為を受け入れる。
「痛くないか……?」
 聞かれて、額を紅雀の鎖骨に擦りつけるように頷く。
 指を増やされて、かきまわされて、「そこ」に力が入らなくなってくる。芯が抜けたような浮遊感が逆に不安で、そこを何かで満たして欲しくなる……。
「紅雀……も、いいよ……」
 とろんとなった頭で俺は紅雀にそれをねだる。
 紅雀はそれに言葉では答えなかった。
 俺をシーツに横たえて、両足を開いて……そしていきなり俺の左足を抱えあげた。
「えっ………?」
 思いもよらない行動に、一瞬我にかえる。
 紅雀は俺の右の腿に跨る形になって、自分の右肩に俺の左足を乗せる。大きく開かれた俺の足の間に紅雀の腰が割り込んでくる。むき出しになった俺のそこに紅雀の熱が触れるのを感じた。
「あっ……や!ああっ……!」
 そのまま紅雀の昂りが、俺のなかに沈んでいく。なかを掻き分ける感触はひどく長く、信じられないほど奥まで紅雀が入ってくるのを感じた。
「あ……嘘…あ、や、だ……っ……」
 慄きに震える声が出る。串刺しにされるような不安に脂汗がにじんだ。
「………っ……」
 紅雀が大きく息をついて、動きを止める。俺たちの腰は食い込むようにぴったりと密着して、紅雀の熱はいままでにないほど俺の奥底を侵していた。
「あっ…紅雀……こ、これって……」
 水揚げされた魚みたいに俺が息をぱくぱくさせながら言うと
「……松葉くずし……」
 紅雀が荒い息の下、それだけを呟いた。
 松葉くずしって……昔の、体位の名前だっけ……。
 名前は聞いたことあるけど、こんな格好だったのか……。
「苦しいか……?」
 紅雀が目を眇めながら俺を見下ろしている。
「す……少し……」 
 足を高く上げる格好も、熱を打ち込まれている体の奥も、苦しいといえば苦しい。
「ごめんな……この体勢だとすごく奥まで入る。俺は今日は……蒼葉を奥の奥まで味わいたいんだ」
 そう囁く紅雀の声も、ひどく苦しげで……俺は体の奥に苦しさとは別の感覚が湧くのを感じた。俺のなかの紅雀の脈動が、俺の感じる部分を優しく刺激していく……。
「んう……」
 鼻にかかったような甘い声が漏れる。俺は自分から少し腰を揺らして……紅雀を見上げた。
「い、いいよ……紅雀……動いて……」
 そう言って俺は笑って見せた。たぶん泣き笑いみたいな顔になってるだろうけど。
「大丈夫か……?」
「う、ん……。俺も紅雀……奥まで欲しい……」
 俺の言葉に紅雀は一瞬、目を見開き、すぐに泣くのをこらえるみたいに顔を顰めた。
「蒼葉………!」
 唸るような声とともに、紅雀が激しく腰を突き上げた。
「ああぁぁ……っ!!」
 体の奥底にじんと響く衝撃。
 すぐさま腰を引かれて背筋がざわっと痺れる。
 何かに持ち上げられて、どこかに落下するような、そんな快感が何度も何度も体のなかを行き来する。
「あ、ぅあっ…!はっ……こ、紅…雀っ……」
 自分ではどうにもできなくて、助けを求めるように紅雀を呼んだ。この格好だと抱きついて縋ることもできないから。
「蒼……葉っ……」
 紅雀も俺の名を呼ぶ。俺を翻弄しながら、紅雀も翻弄されてるんだと思った。熱に浮かされたような目が、食いしばった歯が、それを俺に伝えていた。
 
 そして俺は、そんな獰猛にも見える紅雀の顔に見惚れていた。
 涙がでるほど綺麗だと思った。

 惚れた相手とする気持ちのいいセックス───

 そうだ……。初めてだ。
 紅雀とこうなって初めて知った。
 こんなに気持ちいいのも、こんなに苦しいのも。
 苦しいことが気持ちいいのも。

「あっ…あ、もう……紅雀、紅雀……っ…」
 てっぺんが近いことをうわごとみたいに訴えると、紅雀が少し身を屈めて、左手で俺の右手を握った。その力強さに、紅雀も限界が近いことが伝わってくる。
「蒼葉……っ!!」
「こ……う、じゃくっ……!」
 食い締めるようにお互いを呼び合い、手をきつく握り合って。
「う、あああっ……あ、あぁ………っ!!」
 体が引き絞られて、なかで何かが弾ける。
「うっ…ぅあっ…あ、ああ、あ…っ……」
 紅雀の脈動をなかで感じながら、俺も体を震わせた。二度、三度──四度。
 俺の勃起から精液が噴き出て自分の腹を汚す。俺のなかで紅雀が同じようになっているのを、なかの熱さで感じていた……。
 ゆっくりと紅雀が俺の左足を肩からおろす。体に力が入らなくて、足はズルリと滑るようにシーツに落ちた。
 紅雀は体勢を変え、俺に覆いかぶさってきた。まだ息が整わないうちに噛みつくようなキスをされる。

 俺も紅雀の背に手をまわして、汗に濡れた体を抱きしめた。刺青の入った肌は少しザラついた手触りがする。でも俺はそれが好きだ。

 その感触が、紅雀に触れている証だから。

 体位がきつかったせいか、なんとなく体全体がダルい。
 俺は裸に紅雀の着物を羽織っただけの姿で、ベッドの上にいた。窓の外の桜がそろそろ散り始めているのをぼんやり眺める。

 台所に行っていた紅雀が盆を手に戻ってきた。盆の上には、徳利と猪口がふたつ乗っている。
「ほら、さっきの酒、今度は燗酒にしてきた」
「あー苛めるってやつ?」
 そういえば夜も更けて、少し空気が冷たくなっていた。渡された猪口の温かさが心地よかった。
 ひと口飲んで、さっきの味の記憶と比べてみる。……正直、よくわからなかった。
 でもそう言うのも癪だから「あー、なんかちょっとまろやかさが増した、みたいな?」とか適当に言ったら、紅雀にプッと笑われた。
「………」
 横目で紅雀を見ると、目を閉じて酒を味わっている。
「紅雀は違いとかわかるんだ?」
 俺がそう言うと、紅雀はニヤッと笑って「なんかちょっとまろやかさが増したな」なんて言うもんだから、俺はますますムッとなった。

「……なあ紅雀……」
「ん?」
「松葉くずし、誰かとやったことあんの?」
「な………っ!」
 紅雀は危うく猪口を落としそうになっていた。あんまり欲しい反応をくれたので、俺は吹き出して笑った。
「お前なあ……意地が悪いぞ」
「紅雀を苛めて違う風味楽しんでるんだよ」
 俺がそう言うと紅雀は呆れたようなため息をついて
「まったく……悪ガキ時代の片鱗が伺えるってもんだ」
 そう言って苦笑いを浮かべた。
「がっかりした?」
「いいや全然。言ったろ?俺はいろんな蒼葉が見たいんだよ」
 そう言って、紅雀照れくさそうに俯き、俺の肩に腕をまわしてきた。
 ふだん恥ずかしい台詞平然と言うくせに、変なやつ。
 くすぐったい気持ちになって、俺も紅雀の肩にもたれる。

 俺もだよ。紅雀。
 俺もいろんな紅雀が見たい。紅雀が自分で格好よくないと思っているだろう部分も。
 そう思ったけど、俺は言わなかった。でもそっと紅雀に重ねた手が伝えてくれてると思う。

 寄り添いながら俺たちはまた酒を飲む。
 
 酒はさっきより甘くなっていた。それはきっと気のせいじゃない。
 

 

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コメント

ありがとうございます!
[紅蒼女遍歴SS]楽しみにしてました~(^^)

女がらみのアレコレも楽しみにしていたんですが、日常の描写がとても丁寧ですごくよかったです~!
お酒のやりとりいいですね(*^^*)たしかに美味しい日本酒はフルーティな風味がしますよね。

お互いの過去の事がなかなか正直に話せなくて探りあっているところに萌えました…(*^^*)
二人とも、おおっぴらには言いづらい過去ですからね。
特に蒼葉は一部の記憶がはっきりしてなかったりもしますし。

蒼葉の紅雀に対する嫉妬は子供っぽいですが、紅雀に対して同じ男として敵わない部分があると感じてると思うんです。
それなりに人生経験の豊富な紅雀を羨んでいるんじゃないかとも思います。

投稿: | 2014年3月24日 (月) 20時42分

感想ありがとうございますー。
紅雀は大人なんだけど、ちょっとメンタル弱いところもあるし、蒼葉は子供っぽいですがメンタル強いし、そういう補いあえるところが紅蒼の魅力だなーと思います。そういうとこ書けたらいいなと自分も思います。

投稿: 後藤羽矢子 | 2014年3月27日 (木) 01時37分

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