« 2012年5月 8日 (火) | トップページ | 2012年10月15日 (月) »

2012年6月 8日 (金)

アプフェル

「まるでオモチャ屋とジャンク屋が一緒になったみたいだな……」
 モップ片手に部屋を見回し、俺はため息をついた。
 そんなに狭くはない部屋のはずなのに、もはや床は見えている部分のほうが少ない。
 積みあがった段ボールや、ノイズが無闇に集めているオモチャや、本やパーツや脱ぎ散らかした服や。
 ベッドではノイズが寝そべったまま、立ち上げたモニターを見つめていて、その周りをウサギモドキがふわふわと回遊している。そして蓮はといえば、相棒の俺を差し置いてノイズの足元で丸くなって眠っていた。
 どんなカオスだよ。これ。
 俺はうなだれたまま、もう一度深いため息をつく。

 俺とノイズがドイツへと渡って、そろそろ半年が過ぎる。
  
 ノイズが郊外に借りたアパートは、俺が「アパート」という単語から連想するものとは、まるで違っていた。
 赤い屋根とレンガ造りの壁、白い木枠の窓。まるで童話にでも出てきそうな建物で、こんな可愛らしい部屋に俺とノイズが住んでいいものかと最初思ったものだった。
 そして、やっぱりというか……あっという間に部屋の趣は、男二人によって台無しにされた。
 仕事の場では、まっとう社会人モードになったノイズだけれど、プライベートの趣味は相変わらずで、オモチャや、可愛い以外用途のないような謎のアイテムを日々収集している。
 俺は俺で、人のことは言えないんだけど……。

 ノイズの世話になりっぱなしになるのは嫌だったので、俺は現地のオールメイトショップでバイトを始めた。オールメイトは日本が先進なので、仕事するための知識に不足は無かったし、専門的な単語は蓮に翻訳してもらったりで、けっこうなんとかなった。
 それでもまだまだスキルアップ必要なのも確かで、俺は部屋にパーツや工具を持ち込んで、勉強しているわけだけど……。

「正直、アンタの私物のほうが多い」
 俺のわざとらしいため息を聞いたノイズが、ぼそりと呟く。
「……うん。俺もいまそう思ってた」
 ノイズの私物のほうが色が派手なぶん目立つけど、よくよく見れば、俺の物のほうが明らかに場所をとっていた……。
「別に俺は、このままでも気にしないけど」
 頬杖をつき、モニターを見つめたままノイズが言う。
「でもまあ人として、たまには片づけないと駄目だろ」
「だったら毎日やればいいのに。たまにそんなスイッチ入れてないで」
 ノイズの言うことがもっともすぎて、何も言い返せない。けどここで挫けてもしょうがないので、俺は床に散らばっているもろもろを拾い始めた。
俺が片付けを始めたのを見て、ノイズもベッドから降りた。そして俺以上にてきぱきと片付けを始めた。
 可愛いなと思う気持ちと、何で俺がやるまでやらねーんだよという気持ちが混ざって、複雑な心境になる。それにしても……。
「ノイズさあ。お前、本当にうさぎのモノ好きだよな」
 拾ったオモチャの類を、造りつけの棚に並べながら俺は言った。
 ノイズの集めているオモチャは、プラスチックの人形だったり、フェルトの小さなマスコットだったり、リアルなフィギュアだったりさまざまだったが、モチーフは圧倒的にうさぎのものが多かった。そういえば出会った時、身につけていたものもうさぎが多かったな。
「リアルうさぎとかも好きなの?」
 手を動かしながら、軽い気持ちでノイズに問いかけると、ノイズは「ああ……可愛かったし」
と返してきた。
「え?もしかして、うさぎ飼ってたんだ」
「弟が、一瞬」
「何だよ。一瞬て」
 俺が笑いながらノイズのほうを向くと
「俺が絞め殺しちゃったから」
「………え?」
 あまりに淡々とノイズが言うので、思わず聞き返してしまった。
 ノイズが通販用の箱を潰しながら、チラリと俺のほうを見る。
 普通、こういうのは地雷話題なんだろうけど……たぶん、ノイズは触れて欲しがっている。
 だから俺は「何で?」とあえて話を進めた。
「……あの頃は、もう学校には行かせてもらえなかったけど、家の中ではまだ自由にできてた」
 ノイズもまた、世間話のような口調で、話を続ける。
「で、いつだっか……庭に出たら弟がうさぎと遊んでて。まだ小さい子供のうさぎで。弟が俺にも抱いてみてってうさぎ渡してきた」
「………」
「白いうさぎで、ふわふわで、可愛かった。すげえ可愛いって思って抱きしめた。でも手ごたえが全然わからなくて…ぎゅうぎゅう抱きしめてたら……うさぎがいつの間にかぐったりしていて、弟が……泣いてた」
 ノイズが、箱を潰す手を止め、その掌に目を落とす。
 たぶん、ノイズの目には、手の中で動かなくなったうさぎが見えているんだろう。
「そんで母親が飛んできて、何か金切り声で喚いてた。それからしばらくして、俺は完全に自分の部屋から出られなくなった。俺がうっかり弟を殺すとか思ったのかもな。まあ親としたら妥当な判断じゃね?」
 そこでノイズの話は終わった。ノイズが箱を潰すのを再開して、部屋の中に乾いた音が響く。
「……そんなことがあったら……うさぎ嫌いにならないか?」
 俺がやっとのことで返した言葉はこんな間抜けなものだった。
 だって、こんなの……トラウマだろ。
 なのにノイズは、意外そうに少し眉を上げて、「……さあ……」と呟いて首を傾げた。
「思い出して辛くなったりとかするだろ。普通」
「思い出すし、キツいけど、別に。可愛いのは可愛いし」
「………」
 ノイズには、こういうところがある。
 過去の傷を「触れないようにして癒す」という考えが無い。むしろ触れたりさらけ出すことで傷の在り処を確かめようとしているところがある。
 体の痛みを感じられなかった分、心の痛みを味わっている……そんな気がした。
 ノイズと一緒に暮らした半年の間に、たまにそういうノイズの傷に触れる話になることがあった。ノイズは、慰めや同情を欲しがっているふうでもなく、ただ淡々とその傷を俺に晒して、触れてくれと無言でねだった。だから俺もスルーせずに遠慮なくそれに触れる。
 自傷めいた行為だけど……それはノイズなりの自己修復であるようにも思えた。
 俺にできることは、本当にただ話を聞いて、ノイズの傷をなぞってやり、そして……。

「………」
 ノイズが大きく息を吐いて、潰した箱を放り出した。
 そして大股数歩で俺のそばに寄ると、逃げるものを捕まえるような勢いで俺を抱きすくめてきた。
「ノイズ……?」
「……したい」
「え?」
「したい……いますぐ……」
 呟きながら俺を抱きこむ手にさらに力がはいる。
 突然のことだったが、それは必然のようなものだった。
 そうだ。ノイズは、こうして自分の傷を晒したあと、いつもがむしゃらに俺を求めてきた。
 ノイズが、痛みと熱を俺の中に吐き出して、俺がそれを受け入れて、それで初めて「修復」は成立するんだろう。
 だから俺はノイズの背に手を回して「うん……」と耳元で言ってやる。
 俺が嫌だなんて言うわけないのに、ノイズは驚いたように俺を見つめ、噛みつくようなキスをしてきた。掌に受けた水を、零れないうちに啜るみたいな性急さだった。
「蒼葉……蒼葉…」
 痛いくらい唇を吸っては、合間に俺の名前を囁く。それは呪文のように俺の頭にクラクラと効いた。そして俺も舌を絡ませて、言葉にならない言葉でノイズの名前を呼んだ。
 立ったまま抱き合って、音がたつほどのキスをくり返していると、ノイズが膝で俺の両足の間を割った。そのまま腰を密着させると、ジーンズ越しからもわかるほど、ノイズのアレが硬くなっていた。
「すげー勃ってるし……」
 俺が照れ隠しにそう言うと、ノイズが少し不本意そうに目を細め
「アンタのほうがガチガチだけど?」
 そう言って、右手を俺のほうへと伸ばしてきた。布地ごしに撫でられて、体が一瞬ビクッと竦む。
「こんなので感じるの?」
 からかうような言葉を俺の耳に吹き込んで、ノイズはそのまま耳朶を唇ではさむ。背筋に痺れが走って、ノイズの肩に爪を立てた。ノイズのほうも言葉だけは軽いけど、かかる息が荒くなっていて、俺以上に昂ぶっているのが感じとれた。
「も……脱ぐ……」
 そう言って俺は自分のシャツの裾をまくりあげた。ノイズも同じようにシャツの裾に手をかけ……ふと止める。
 ノイズの視線の先に目を向けると、ベッドの上には眠っている蓮と、まだふわふわ跳ねているウサギモドキがいた。
「………」
 ノイズは無言で、ベッドまで歩み寄り、跳ねるウサギモドキを空中でキャッチした。
 スリープモードにして動かなくなったウサギモドキを、すでにスリープ状態の蓮の頭の上にそっと乗せて、そのまま抱いて隣のキッチンに連れて行く。
 戻ってきたノイズと入れ替わるようにキッチンを覗くと、二匹はテーブルの上に寝かされていて、毛布代わりのつもりなのかキッチンタオルが雑に乗せられていた。
「俺は別にあいつらが起動してても構わないけど、アンタが嫌がるし」
 服を脱ぎながらやれやれといった感じでノイズが言う。
「当たり前だろ!そんなの!」
「蓮がベッドの上にいなかったら、勢いでそのままやってたかも」
「ちょっ……!マジでよせよ?そんなの」
「もう……その話はいいから」
 言葉と同時に俺はベッドに押し倒され、脱ぎかけで膝に引っかかっていたジーンズを足から引っこ抜かれた。
 素裸になると同時に、ノイズが覆いかぶさってきて、またきつく口を吸われる。
 舌を絡ませて応えながら、今日のノイズはやっぱり余裕がないな……とぼんやりと思う。
 でも……そういうノイズも嫌いじゃない。
 唇と肌で互いの熱を分け合っているうちに、俺もシャレにならないくらい興奮してきた……。
「な……ノイズ……舐めよっか?……」
 唇がわずかに離れた隙間で俺がそう呟くと、ノイズは目元を赤くして「……ホント?」と掠れた声で言う。
 何度もそういうことしてるのに、いつも初めてされるみたいに喜んでくれるのが、なんか……嬉しい。
 ノイズが横になって、俺が身を起こす。ノイズの下腹部に俺が顔を寄せようとすると「待って」と声がかかった。
「ん……?」
「俺の顔のほう、跨いで」
「えぇ……!?」
 それはいわゆる……シックスナインの体勢になれと……。
「えーと……ハズいんだけど……」
「いいから……!」
 切羽詰った声で言われて、腹の奥がゾクッとなる。しぶしぶの態を装ったまま、俺はノイズの眼前に腰を突きだす形になった。
 どう考えても間抜けな格好だと思うのに、ノイズが「エロ………」と熱の篭ったような声で言うので、よけい恥ずかしい。
 羞恥を紛らわせるために、俺は目の前でいきり立っているノイズの熱を、なんの焦らしもなく咥え込んだ。
「……っ……!」
 小さな呻きとともに、俺の口の中でノイズのものがビクリと跳ねた。欲しかった反応に俺はいっそう興奮して、咥えたまま咥内でノイズの幹に舌を這わせる。
 熱くて……血管が浮き出てるのがわかるぐらい、硬くなってる……。
 背筋がゾクゾクとなって、恥ずかしさも忘れてノイズのものを舐めあげていると、ふいに体の中心に熱く……濡れたものが触れた。
「ひっ……!」
 尻の狭間にかかる熱い息。ノイズの舌が俺の孔を舐めているのはすぐにわかった。まさかそんなことをされるとは思っていなくて、俺の顔に一気に血がのぼった。
「ちょっ……や、めろって……ノイ……」
 ノイズを咥えたままのくぐもった声で俺は抗議した。けど、ノイズは俺の尻たぶを両手で掴んで逃れられないようにして、舌で舐めては突つくをくり返す。
「うっ……ぅ、ん……くぅ……う」
 嫌だと思うのに、勝手に快感が込み上げて、咥内のノイズのものに歯を立てそうになる。鼻から息を逃してそれを堪え、俺はもう一度ノイズに訴える。
「ノイズ……も、ダメ……だって……噛みそうに…なる……」
「いい……よ…。噛んで……」
 ノイズもまた息を荒くしながら、そう言った。そのねだるような響きに俺の背筋が甘く慄く。やがてノイズは右手を俺の足の間に滑り込ませて、勃起を掴み、そのままゆるゆると扱きたてる。それだけでもへたり込みそうなほど気持ちいいのに、さらに舌までが俺の孔をくすぐるような動きで舐る。
「……んうっ!!く……!ふ……!っ…」
 二箇所から与えられるあまりの快感に目が眩み、思わずノイズの幹に歯を立てていた。
「く、ぅ……っ……」
 ノイズが呻いて、腹の筋肉に力を入れた。ノイズが痛いのが好きなのは知っているけど、こんな状態じゃ力の加減ができなさそうで、怖い。
 俺はノイズの昂ぶりから顔を離して、なんとか息を整えようとする。俯いて荒い息を継いでいると、いきなり鈍い痛みが俺の下肢に走る。
「いっ………!」
 ノイズが、俺の腿のつけ根あたりに歯を立てていた。
「な……に…?ノイズ……」
「続けて……」
 言われて、これがノイズの抗議であることに気づく。
 躊躇していると、もう一度同じところを噛みつかれた。
「い、あっ……」
 しかたなく俺はまたノイズの熱を口に含み、頭を緩く上下させて咥内で扱きあげる。
 ノイズは、さっき噛んだ部分をいたわるように舐め上げて……そのまま袋の部分にも舌を這わせて……俺が歯を立ててしまってもおかまいなしに続けて……。
 「ん!ぅ、う!く……っ!!う……」
  精一杯、強く噛まないよう堪えながら、俺はノイズの手のなかに射精していた……。

  それから……俺は四つん這いにさせられて、ローションをたっぷりと塗りこまれた孔でノイズを咥えこんでいた。
 俺に噛まれたことで、興奮を煽られたらしいノイズは、貪るように激しく俺を犯していた。
「あ、はぁ……んん……はっ……ああ……」
 ノイズが俺の中に昂ぶりを突きいれるたびに、身も世もない声が勝手にこぼれ出る。
「蒼葉……っ……ぁ、すげ……い、い……」
 ノイズの本当に気持ちよさそうな声がいやらしくて、腹の奥がぎゅっと絞られる。
 くっ、と耐えるようなノイズの呻き。
「締めるな……そんな……」
 そう言うとノイズは、俺の中に根元まで挿入したまま、腰をグリグリと回すように押しつける。
 感じる部分を揺さぶるように刺激されて、俺は仰け反り、声をあげる。
「あー……!それ……ダメ……だ……ヤバ…い…っあ、ああ!!」
 体の奥底から湧く、怖れにも似た快感に押し上げられて、俺は高みに昇りつめる。
「ノイズ……あ、…イ……く……っ!んっ……!!」
「俺も……あ、蒼葉……っ…蒼葉っ……!」
 ノイズが息を詰め、体を震わせ、一拍おいて俺のなかに熱いものが広がった。その熱さに
俺も身を震わせて……二度目とは思えないほどの量の白濁をシーツに撒き散らしていた……。

 結局、俺たちは事後の余韻をだらだらとベッドの中で味わって、そのまま寝てしまった。
 片付けを中途半端に残したまま、夜が明けて、ノイズはスーツに着替えて俺より先にアパートを出た。あれだけ激しくやったのに……若い者は元気だな……とかそんなことを考えて俺も支度をしてバイト先へと向かった。

 その日、店はあまり忙しくなく、俺は店内の掃除や商品管理などをして過ごしていた。
 自分じゃ平素にしていたつもりだったけど、腰にダルさが残っていて、はたからは疲れているように見えたらしい。店長のハネルさんに「大丈夫か?」と声をかけられた。
「いや…大丈夫です。ちょっと筋肉痛で」
 俺が怪しさのまだ残るドイツ語で答えると、ハネルさんは大柄な体を揺らしながら「そういうときはリンゴを食べるといいよ」と言った。
「ドイツではリンゴを食べれば医者はいらないって言うからね」
 そう言って帰り際に、紙袋にいっぱい入ったリンゴをくれた。
 なんでもハネルさんの家の庭木にはリンゴが植えてあって、それが実をつけすぎて持て余しているそうだ。
 ていうか、俺が疲れていなくても、リンゴくれたんじゃないかと思ったが、そこはありがたく受け取った。

 赤々としたリンゴが10個ほど。
 それをキッチンのテーブルに並べて、俺は考え込んでいた。
 何の気なしにもらってきてしまったけど、この量を俺たち二人で傷む前に食べきれるだろうか。
「なあ……蓮。これ、どうしたらいいと思う?」
「一度に大量に消費するなら、生食よりも調理したほうが効率はいいだろう」
 同じくテーブルの上で、リンゴに小さな前足を乗せながら蓮が言う。
「だよなあ……」
「レシピならいくらでも検索できるが」
「ていうか、俺お菓子とか作ったことないんだよなあ」
「未経験者が菓子作りをしたとき、失敗する確率は7割ほどだそうだ」
「って……どこ情報だよ!それ」
 あれこれ言い合って、結局すぐに腐るものでもないし、無難にそのまま食べていこうという結論になった。
「とりあえず……今日のメシのあとにでも剥くか……」
 そう呟いて、俺のなかにふと、ある考えが浮かんだ。
 本当に他愛もない思いつきだけど。
 少しだけ浮き立つような気持ちになって、俺はツヤツヤ光るリンゴを手にとった。

 夜になってノイズが帰ってきた。
 ソーセージと野菜の煮込みとパンで、ちょっと遅い夕食をとる。翠島にいた頃のノイズはピザとパスタしか食ってないと聞いていたので偏食なのかと思っていたけど、意外に好き嫌いはなく、なんでもよく食べる。味の感想はあいかわらず「しょっぱい」とか「すっぱい」とかそんなものだったけど。

 食べ終わって、食器をシンクに置いて、俺はノイズに「リンゴ食べるか?」と聞いた。
「リンゴ?」
 聞き返す声が少し怪訝そうなのは、俺がいままで果物を買ってきたことがなかったからだろう。
「店長のハネルさんにもらったんだ。庭にリンゴの木があるんだってさ」
「ふうん」
 俺もそうだけど、ノイズも特に果物が好きというわけじゃなさそうだった。嫌いじゃないし、あれば食べるけど自分から買って食べるほどではない程度の。
 そのへんは無視して、俺は冷蔵庫から皿を取り出す。
「ほら」
 ノイズの目の前に皿を置くと、皿の上に一瞥をくれた目がほんの少し丸くなった。
 皿に乗っているのは、皮をうさぎの耳のように切りそろえたリンゴだ。
 俺が子供の頃、ばあちゃんがよくリンゴをこんなふうに剥いてくれた。
 それを俺は真似してみた。こんな剥くだけのことにレシピを検索したのは少し情けなかったけど……。
「お前うさぎ好きだろ?だからリンゴもうさぎにしてみた」
 言いながら、俺はひとつリンゴをつまんで口に運んだ。
「あ、けっこう甘い。ちょっと硬いけど」
 俺の言葉に、ノイズもリンゴに手を伸ばす。齧って咀嚼して、「甘い」と予想どおりの呟きを落とす。
「お前本当にそればっかりな」
 俺がそう言って笑うと、少しムッとしたように俺を横目で睨み、無言で二個めを食べ始めた。
「なあ、ノイズ」
「何」
「……これからお前がしんどいこと思い出したり、辛い気持ちになったりしたら、二人で楽しいこと、しよう。楽しい思い出を添付すれば、次に辛いこと思い出すときは……少しマシになるんじゃないかって思うんだけど……どうかな?」
 ノイズの「自己修復」は突きつめると、こういうことなんじゃないかって俺は考えた。
 だから俺は、ノイズの傷がもっと癒えるように、ノイズが辛い記憶を塗りつぶすことができるように、ノイズに楽しい記憶を与えたいって、思う。
思いあがりかもしれないけど……偽りのない気持ちだ。
俺はテーブルの上、両手で頬杖をついて、ノイズの顔をのぞきこんだ。ノイズの薄緑の目が、何か珍しいものでも見るように、まじまじと俺を見つめ返す。
「次に……うさぎのこと思い出すときは、このリンゴのことも一緒に思い出せよ。甘くて……おいしいだろ?」
 俺の言葉に、ノイズは三個目のリンゴをつまみあげる。しばらくそれをじっと見たあと
「……つかさ」
「え?」
「うさぎに見えねーし。これ」
「え!?えええ?」
 その言葉に俺は愕然となった。
「見えるだろ!うさぎに!ほら、これが耳で!」
 リンゴを指差して俺が喚くと、ノイズはうるさそうに眉をしかめて首を振った。
「うさぎの耳、こんなにとがってねーし、そもそも赤くねーし」
「だからそこは見立てってヤツだろ!お前ちょっと情緒なさすぎだろ!」
 あまりに予想外のノイズの反応に、俺は軽く途方に暮れた。
 ため息をついて、椅子に深くもたれると、ノイズは三個めのリンゴを食べながら
「別に……これがうさぎでも犬でも猫でも、何でもいいし。……アンタが俺にそうしてくれたことのほうが、大事だから……」
 俺がその言葉に目を見開くと、リンゴを食べ終わったノイズが、指先を舐めていた。俺の視線に気づくと、少し照れくさそうに目を逸らし、また俺を見つめ直す。
「アンタがそばにいてくれれば、辛いことなんて何もない。だから、それだけでいいのに……」
 淡々と、だけどまっすぐな声音でノイズが言う。
「なのに、アンタは俺の過去の記憶を変えてくれるって言うんだ……」
「変えるとか、そんな大げさなもんじゃないよ」
 苦いだけのコーヒーに砂糖を加えるような、そんなささやかなことだ。
「でも、つきあってくれるんだろ……?こんなの俺だけの問題なのに」
「お前だけの問題じゃ、もうないんだよ。お前が辛いと、俺も辛い」
「………!……」
 ノイズの、息を飲む気配。言い終わってたら急に照れくさくなって、俺は俯いて目を逸らす。
 ほんの少しの沈黙のあと、俺の左頬に、そっとぬくもりが触れた。
目を上向けると、ノイズがテーブルに身を乗り出して、俺の顔をくるむように右手を添えていた。
 「ありがとう……蒼葉」
 そう言ってノイズは俺に唇を寄せた。
 唇を食んで、吸い合って、舌を絡ませる。
 ノイズのキスは、リンゴの甘い味がした。
「……これから、うさぎのことを思い出したら、このキスのことも一緒に思い出すから。アンタがくれた、すげー甘いキス」
 顔から火が出そうなことをぬけぬけと言い放って、ノイズは笑った。

 この先──ノイズがうさぎのことを思い出すたびに、俺も一緒になって思い出すんだろう。
 
 
 ノイズがくれた甘いキスと、とても綺麗なノイズの笑顔を。
  
 
 
 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年5月 8日 (火) | トップページ | 2012年10月15日 (月) »