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2012年5月 8日 (火)

光射す道

「何しに来た」と言われたら、「アンタに会いに」と答える気でいた。
「帰れ」と言われたら、「絶対嫌だ」と答える気でいた。

 近づくと遠ざかる男を追って、俺はこんなところまで来てしまった。
 要塞みたいにそびえ立つ、赤茶けた岩山の数々。
 その下には、背の低い草木と赤く乾いた大地が、ぞっとするほど遠くまで広がっている。
 荒々しくて、恐ろしくて、だけど美しい場所だった。
 そして、それは、あの男自身に似ていると思った。

「ミンク────!」
 俺は、その名を呼んで、崖端に佇む男に駆け寄った。
 男──ミンクのその姿は、何かの絵画のように静謐だった。夜明けの薄青の空気と、それを裂くような陽の光、なびく髪も、肩に乗せたトリも、それらを纏って金色に輝いて見える。
 そうしてミンクはゆっくりと体ごと振り返り、俺と向かい合う形になる。朝陽が逆光になって、その表情はよくわからない。ずっと追いかけて、ずっと逃げられていて、なのにこんな突然に追いつくことができて。却って実感がわかずに、俺は息を切らせながら、黙ってミンクを見つめていた。
 ミンクも何も言わず、じっと俺を見つめている。
 この男の手強さは知っているつもりだった。会えたところでそばに置いてもらえるとも思っていない。でも俺は、一度掴んだミンクの袖を離すつもりはなかったし、何か言われたら言い返す言葉も山ほど用意していた。

「───………」
 ふいに、ミンクが小さく何事か呟いた。
 小声でも、それが異国の言葉ということはわかった。けど、いま俺たちがいるこの国の言葉ではない。
 俺が「え?」と聞き返すと、ミンクは黙って歩き出し、俺の横を通り過ぎ、俺に背を向けたまま──
「早く来い」
 俺がわかる言葉で、そう言った。
 俺が呆然としている間に、ミンクは岩場を下り始め、俺は慌てて後を追った。
 あいかわらず、何を考えてるのかわからない。
 でも少なくとも、拒絶はされていない。
 ただそれだけのことが、いまは涙が出るほど嬉しかった。

 山を降りると、荷台の屋根だけに幌のついたトラックが停めてあって、俺は助手席に乗せられた。
 見渡す限り岩と藪ばかりの土地なのに、アスファルトの道だけは、まるでテープでも貼り付けたようにまっすぐに、どこまでも伸びていた。
 ミンクは黙って車を走らせ、俺は、朝日に照らされて金色にも見える荒れ野を窓から眺めていた。ずっと会いたいと思っていたのに、いざそうなると、何をどうしていいか、わからなくなる……。何か話しかけようかどうしようかと俺が腹の中で逡巡してると
「お前」
 ふいに声をかけられビクッとなる。
「な……何?」
 ミンクに視線をやると、ミンクは前を見据えたままで、肩に乗ったトリだけが、目を細めて俺を見ていた。
「お前、いま腰を据えてる場所はあるのか?」
 どこかに定住してるってことか?
「無い。安いホテルとか野宿とか……ずっとそんな感じで」
 俺がそう言うと、ミンクはかすかに鼻で笑った。
「どおりで汚ねえわけだ」
「!そんなに汚くないって!ちょっと……埃っぽいけど」
 言われて俺は慌てて、上着の表面を手で掃う。
「……これから行くところも、たいして変わりゃしねえがな。野宿よりはマシな程度だ」
「どこに……行くんだ?」
 じつは薄々わかっていたけど、俺はミンクにそう聞いてみた。
「居留区だ」

  この国には、先住民族の「居留区」というものがあった。
 ミンクの一族のように、独自の文化を受け継ぎ、守りながら暮らしている人々の町だ。
 その居留区を転々としている「よそ者」の噂を聞いて、俺は、ここまで来た。
 フラリとやって来ては、町の人間の仕事を手伝ったり、子供たちに言葉を教えたりしている、よそ者。
 その男は、毎朝、東の岩山で、たった一人で祈りを捧げている──
 この噂を聞かなかったら、たぶん俺はミンクにたどり着けなかっただろう。

 それから、どれぐらい車を走らせていたのか。
 まるでループしてるんじゃないかと思うくらい、似たような景色ばかりを捉えていた視界に、突然鮮やかな色が飛び込んできた。
 それは大きな看板だった。
 明るい緑地に白い文字で「○○族居留区」と、この国の言葉で書かれている。
 ミンクはその看板を少し過ぎたところで車を停めた。
 促されて車を降りると、時間的にはまだ朝なのに、陽射しはもう肌を焼くように暑かった。
 さっきまで吐く息が白かったのに。
 この辺りの土地は、昼夜の気温差が激しくて、一日で冬と夏を巡るような気分になる。
 少し歩くと、丸太を何本も立てて並べた門があった。ここがこの居留区に入り口らしい。
 ミンクは何も言わずにその門をくぐり、俺もその後に続く。

  門をくぐった先には、赤い岩のようなレンガを組んで造った建物が並んでいた。軒先には色とりどりの刺繍が入った布や、タトゥーの図柄を思い出させるような形の装飾品が飾られている。
 それらは皆、土産物の店だ。
 俺が情報集めに訪ねた他の居留区も、街の入り口にこんな土産物屋が立ち並んでいた。
 部族の伝統工芸を観光客への土産物として売っている……それが居留区の最大の収入源らしい。アクセサリーやジュエリー、刺繍の入った服、乾いて赤茶けた世界のなかで、それらの鮮やかな色は、言葉にできない「力」のようなものを伝えてくる。
 けれど、この街は一目でわかるほど、寂れた雰囲気を漂わせていた。
 まだ午前中ということを差し引いても、通りに観光客の姿は無く、店も時が止まってるような「淀み」があった。
 他の居留区はもっと活気があったのに──
 俺がそう思っている間にも、ミンクは黙って歩き続け、俺も後を追う。土産物屋の通りを過ぎると、居住区に入ったのか、土産物屋よりそっけないコンクリ造りの建物が続くようになった。
 さらに歩くと、似たような簡素な造りに「HOTEL」とだけ看板のついた建物が現れ、ミンクは迷うことなく、その中へ入っていった。
 
 もう長逗留してるのか、ミンクはフロントにいた男と目だけ合わせると、何も言わずに二階へあがる。
 部屋の中は、俺が今までに泊まってきた安ホテルとだいたい同じだった。
 ベッドがふたつと、小さなテーブルと椅子。違うのは床に敷かれているラグが、部族の刺繍の入ったそれであることと、テーブルの上にミンクの私物らしい何かの瓶や容器が並んでいることだった。
 俺が部屋の中で立ち竦んでいると、「木偶か?お前は」と後ろから声がした。
 振り返ると、上着を脱いで、干し草のような色をしたシャツ一枚になったミンクが立っていた。手には茶色の紙袋を抱えている。
 ミンクがベッドのほうに向けて顎をしゃくり、俺は促されるままにそこに腰掛ける。ミンクは椅子のほうに座り、テーブルの上で紙袋の中身を取り出した。
 それは岩のようなゴツゴツしたパンと、オレンジ色をした硬そうなチーズだった。それらをナイフで切り分けて、サンドイッチにして、ミンクは俺に無言で手渡した。
 受け取って、齧りつく。口の中の水分が無くなりそうにパサついたシロモノだったけど、意外と味はよかった。
 そういえば、けっこう長い時間、何も食べていなかったことに今更気づく。思ったとたん急激に食欲が湧いてきて、俺はガキみたいにガツガツとそれに食らいついていた。
 あっという間にたいらげて、指先まで舐めて、ふと目を上向けると、ミンクが同じものを食べながら俺のことをじっと見ていた。
 なんだか居心地の悪くなるような恥ずかしさを感じて、俺は無理やり何か話しかけようと頭の中で話題を探す。
「ここは……もう長いのか?」
 考えて、出たのは結局こんな無難な問いかけだった。
「それほど長くない。ひと月くらいだ」
「一ヶ月もホテル暮らしって……金かからないか?」
「一ヶ月分前払いにして、その分割り引かせている。アパート借りる程度の額だ。どうせ客は俺ぐらいしかいねえからな」
「……居留区で、観光客が来ないって、大丈夫なのか?」
 俺がそう言うと、ミンクは少しだけ唇を歪めて、笑った。
「居留区の人間には、国からはした金が出る。贅沢さえ言わなきゃ食っていくことぐらいはできる」
 ミンクのその口調に、ほんの少し嘲りのようなものを感じた。それが何に向けられているかは、わからない。
「……この居留区は、都会からも観光地からも遠い半端な場所だ。たまに通りすがりの観光客が休憩に寄るぐらいだ。土地も荒れてて自給もできねえ。……空っぽの町だ」
 ミンクの低い呟きを聞きながら、俺の胸にいくつかの疑問が浮かび上がってきた。
 なんで、ミンクはこの町に滞在しているのだろうか。
 ミンクは自分の故郷のある場所に帰らないのだろうか。
 ……なんでこの町の人間は、こんな場所に居続けているのだろうか。

 けど、俺が疑問を口に乗せる前に、ミンクは立ち上がり、部屋のドアへと向かう。
「ミンク……!」
 子供が縋るような声を出してしまった俺に、ミンクは鼻で笑うように
「夕方までには戻る。部屋にあるものは好きに使っていい。あと……シャワー浴びて埃落としとけ」
 そう言って出て行ってしまった。
 残された俺は、とたんに気がぬけてベッドに倒れこんだ。……ここに居てもいいってことなんだよな……?
 思えば、再会してから俺たちは、核心を避けた当たり障りのない話ばかりしている。
 俺がそんな話ばかり振っているのもあるけど……それはたぶん、ミンクもだ。
 ミンクも俺も、お互いに、本音をぶつけるのを避けている。
 俺が怖れているのは……ミンクの拒絶だけど、ミンクは何を怖れているんだろう……。

 誰かと話がしたくて、カバンの中にいる蓮を起動させようとして……やめた。
 最近、蓮のバッテリーの消耗が早い。交換の時期が来ているんだろうけど、このあたりにパーツの店は無いし、ただでさえ蓮の内部は旧式のパーツが多いので、すぐにメンテはできそうにもない。
 なので、最近はよっぽど必要なとき以外、蓮は起動させていない。俺は眠るように丸くなっている蓮の青い毛並みを撫でて、気を紛らわせた。

 それから、胸の中の澱を流すように、俺はシャワーを浴びて、棚にあったミネラルウォーターを勝手に飲んだ。棚の中には買い置きらしい缶詰めもあった。チリビーンズとか、コンビーフとか、開けてすぐに食べられるものばかりだ。
 料理とかしないんだろうな……。もっともこの部屋にはキッチンが無いから、しようもないんだろうけど。
 そんなことをぼんやりと考えて、少し部屋をうろつきまわって、結局俺はまたベッドに倒れこんで……そのまま眠ってしまっていた。

 それから、どれぐらい経ったのだろうか。
 乾いた物音を聞いて、俺は目を覚ました。
 慌てて体を起こすと、ミンクが部屋に入ってきたところだった。窓に目をやると外は日が傾きかけている。……けっこうな時間、寝ちゃってたな……。
「よく寝てたな」
 俺をからかうでもなく、ぼそりとそう呟いて、ミンクは俺がいるベッドに腰掛けた。
「腹は」
 問われて、首を振るだけでそれに答え、代わりに「何してたんだ?」と問い返す。
「町のガキ共に、言葉を教えていた」
 はぐらかされるかと思ったけど、意外とあっさり答えてくれた。
「子供……!?」
 ミンクが子供を相手にって……まるで想像できないな……。
 子供、泣き出したりしないのか……?
 でも他の町でもそんなことをしているって噂は確かに聞いていた。
 「言葉って……この国のか?」
「そうだ。一応、国のほうじゃ部族の言葉とこの国の言葉、両方教えるよう指導してるが……ここいらのガキは部族の言葉しか知らねえ。大人が教えないからな」
「なんで……?」
 観光客相手にするなら、話せないと困ると思うけど……。
「ここを……出て行かせないようにだ」
 それだけ言って、ミンクは忌々しげなため息をつき、「まあいい」と呟く。
 伏せられていたミンクの目が、俺に向けられ、ゆっくり体ごと近づいてくる。
「………?」
 ミンクの顔が、息がかかるほど近づき、俺の目を覗きこむように寄せられた。ミンクをこんな間近に見るのは再会してから初めてだ。
 普段から伏目がちなので、気がつかなかったけど、ミンクは不思議な目の色をしていた。
 緑だけどうっすら黄色みがかっていて、芽吹いたばかりの新緑を思わせるような色だった。
 きれいだ、と思い、この目の奥にはどんな感情が潜んでいるんだろう、と柄にもないことを俺は思う。
 ふいにミンクが俺の耳元に顔を寄せ、スン、と匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。同時にシナモンの匂いがふわっと香った。懐かしい、ミンクの体臭だ。
「……シャワーは浴びたか」
「ああ……うん……!?」
 答える間に、ミンクの大きな掌が、シャツの上から俺の胸を撫でる。そのまま手は腰のほうまで滑り、シャツの裾をくぐって潜りこんできた。
「ミン……ク?!」
 あまりに思いがけない行動に、俺はうろたえて身を捩った。けど、ミンクの左手が俺の背に回されて、俺はミンクに抱きすくめられて逃げられなくなっていた。
「じっとしてろ……」
 息を吹き込むように耳元で言われて、俺の体がいっそう固くなる。でもそれは、恐怖からじゃなくて……期待からくる緊張のせいだった。
「なん……で?」
 混乱する頭で、それだけ口にすると
「そうしたいからだ……」
 ミンクもそれだけを返してきた。でもその一言だけで、俺の体にゾクリと震えが走る。
 俺は、既に何回もミンクに犯されている。
 でもミンクのその行為は、俺を服従させるための手段で、情欲とはほど遠いものだった。
 動物がやるマウントのようなものだ。
 だからミンクが俺を求めてくるなんて、夢にも思っていなかった。けど、いま俺に触れてくるミンクの手は、優しく……俺に甘さを与えるために動いていた。
 その指先が俺の乳首に触れて、捏ねるように回される。
「あ………ぅ」
 それだけで、恥ずかしくなるほど甘い呻きが、俺の唇から漏れていた。
 ミンクの厚い唇が、俺の首筋に押し当てられ、滑るように這う。
「ふ……ぁっ…!」
 彼の唇が俺の肌に触れるのは、たぶん初めてで……俺はそれだけで電気を流されたみたいに背筋を反らせる。
 端から俺に抵抗する気なんて、なかった。ミンクが俺を求めなくてもいいと思いながら……俺はこんなにもミンクの手を、唇を待ち望んでいた。
 シャツがまくり上げられて、ミンクの唇が俺の乳首に吸いつくように触れる。口から情けない声が漏れて、俺はミンクの頭を抱きかかえる。実際の性感よりも、その行為の意味が、俺を何倍にも昂ぶらせていた。
 ミンクがいったん体を離し、自分のシャツのボタンをはずし始めた。慌てて俺も、肩に引っかかっていた自分のシャツを脱いで、ジーンズも下着ごと足から抜いた。
 裸になったミンクが俺の上に乗りあがる。ミンクの体は、胸にも腕にも逞しい筋肉がついていて、浅黒い肌が汗に濡れて少し光っていた。そして……引き締まった腹の下では、自分のものよりずっと大きく見えるソレが、血管を浮かせてそそり立っていた。
「…………」
 こめかみに痛みを感じるほど、俺の頭には血が昇って、心臓は早鐘を打つみたいに鳴りまくった。初めて見るものでもないのに、自分にも同じものがついているのに──
「足、ひらけ」
 俺を見おろしながらミンクが低く言う。言われるままに俺は両足をひろげて、自分の痛いくらいの勃起をミンクの前に晒す格好になる。
 いったん、ミンクがベッドから降りて、テーブルの上にある小瓶を手に戻ってきた。
 蓋を開けると、ふわりと甘い匂いがした。何かのオイルらしかった。
 ミンクは瓶を傾け、中のオイルを右の掌に垂らす。なじませるように指を動かすと、そのまま俺のモノを握りこんできた。
「はあ……っ……」
 興奮で血が集まっていたそこに、望んでいた刺激が与えられて、体が震える。
 ミンクの大きい掌が上下して、親指が雁首の部分を擦りあげる。まるで絞られるように先端から先走りが溢れて、ミンクの指先を濡らす。それを塗りこめる粘るような音がして、俺はいっそう興奮した……。
「あ、はぁ……ふ、……ぅ……っ」
 俺は、すぐにいかないようにと、目をきつく閉じ、腹に力をこめた。快楽が逆に苦しくて、もういっそ早く痛みが欲しいとさえ思った。
 けれど、ミンクはまだそれを与えてくれなかった。
 ミンクの左手が俺の腰を抱え、持ちあげる。そうして自分の腰に引き寄せると、俺のいきり立ったモノと自分のそれとを束ねるように握りこんで、扱き始めた。
 ミンクの熱と、硬さと、脈動が俺のそれに直に伝わってくる。
「それ……だ…めだって……あ、や……」
 興奮しすぎて、目に涙が滲んできた……。かぶりを振って、もうやめてくれと懇願したけど、ミンクは目を細め、俺を見つめながら
「……我慢するな。いっちまえ」
 そう言って、指先に力をこめた。
「あっ……!あ、あぁ……う、……っ、く」
  腿から背筋まで、ビリッと電流みたいな刺激が走って、俺は呻きながらミンクの手の中に射精していた。
 荒い息をつきながら目を下向けると、ミンクの手と、それに束ねられた俺とミンクのものが一緒に精液に塗れていた。そのいやらしい眺めに、俺はまたブルッと震える。
 ミンクの手が離れると同時に、俺は芯棒を失ったように、シーツの上でくたりとなった。もちろんまだ終わりじゃないことはわかっている。甘い余韻と、この先への期待で疼く俺の体の中心に、ミンクの濡れた指が触れた。
 精液とオイルに塗れた太い指が、俺の中に入ってくる。体に力が入らないせいか、指は意外なほどスルリと、痛みもなく侵入してきた。中で円を描くように捏ねられ、押され、拡げられて、未知の快楽に惑って、俺は、ただ胸を喘がせるしかなかった。
「ミンク……ミンク……もう……」
 この先なら、もう俺は知っているから。
 それが欲しい。
 その痛みと苦しみで……早く、安心したい。
「……っ……」
 ミンクが、呻くような荒い息を吐き、両手で俺の腰を抱え上げた。
「息を吐け」
 言葉と同時に、窄まりに硬くて熱いミンクのが押し当てられた。俺は言われたとおりに、ゆっくり息を吐き……同時にミンクが体を押し進める。かすかにチリチリとした痛みがあったけれど、驚くほどやんわりと、そこは彼の熱を呑みこんでいった。
「あ……あぁ………」
 怖い、と思った。
 この感覚は知っているものと違う。
 不安と、それ以外の何かで腹の奥がゾクゾクと戦慄く。
「……………」
 ミンクが俯いて、長い息をつく。いっぱいになった俺の中で、ミンクの熱が脈動しているのがわかった。……全部、入ったらしい。
「辛いか……?」
 掠れた声で問われて、俺は小さくかぶりを振った。辛くはない……。けど、腹の中に、いままで感じたこともない不思議な切なさが留まっていて、俺はそれを早くなんとかして欲しくてミンクにしがみついた。
「早く……ミンク……」
 背中に手を回して、耳元で懇願する。ミンクは黙って俺の頬にくちづけると、そのまま大きく動き始めた。
「うあ……ああっ……!」
 肌のぶつかる音がするほど、腰を打ちつけられる。
 それは、初めての……目が眩むような快感だった。
 腹の中で痺れが波のように満ち引きする。
 ミンクの温まった肌から、シナモンの匂いがさらに濃く香る。その匂いと、快楽に俺は酔って、うわごとのようにミンクの名前を呼んだ。
「いい、か……?」
 そう問いかけるミンクの声も、何かを堪えるように切羽詰っていて、それがさらに俺を煽った。
「……いい……いい…よ…!ミンク……もっ、と…もっと……!」
 言いながら、俺は自分が高みに昇りつめるのを感じた。
 そして、俺は頭が真っ白になって……自分の心臓の音しか聞こえなくなって……その中でミンクのシナモンの香りだけははっきりと感じ取れて……。
 俺を貫いているのは、この匂いなんじゃないかと、そんなバカなことを思っていた……。

 
 目が覚めると、もうとっくに夜は明けていた。
 ベッドに突っ伏していた体を起こすと、さすがに腰のあたりがダルかった……。
 俺たちはあれから……シャワーを浴びて、缶詰めでメシを食って、そしてそのあと、もう一度抱き合ってしまった……。
 ミンクを探し続けていた時間、会いたいと思っていた時間が長すぎて、昨日のことがかえって嘘のようだった。
 体に残った余韻が、これが夢じゃないって伝えているけど、気持ちのほうは妙に現実感を欠いていた。
 ふと、隣のベッドに目をやって、体がギクッと竦む。
 ミンクが寝ているはずのベッドはもぬけの空だった。
 朝の祈りに行っているんだろうか。
 俺はコイルを覗いて、時間を確認した。昨日の今頃はもう帰ってきていたはずだ。
 ……また、どこかへ行ってしまった……?
 そんなことはないと思いながらも、にわかに不安になる。俺は急いで身支度を整えて外に出た。
 
 町のなかはあいかわらず閑散としている。
 たぶん、居住区の建物の数よりも、実際の人口はずっと少ないんだろう。
 デッキで椅子に腰掛け、ぼんやりしている老人と、雑貨屋らしい店の前で立ち話している女の人数人。
 道々で会う町の人は、皆、俺に探るような目を向けてきた。
 確かに俺は観光客じゃないけど……でも観光で食っているような町が、外の人間に対してこんな疎外感丸出しで大丈夫なんだろうか。
 そんなことを考えながら、俺は町を歩いた。
 ふと、どこかから子供の声が聞こえてきた。
 慌てて、声のするほうに視線を走らせると、数メートル先に、小さな講堂のような建物があった。壁は煤けて、あまりまともに使われていない雰囲気だったけど、少なくとも活気のようなものは感じられた。
 近づいて、開け放した窓から中を覗くと、部屋には木の長机と長椅子が並んでいて、そこで数人の子供たちがミンクを取り囲んでいた。
 子供たちは、年に多少のバラつきはあるみたいだったけど、だいたい悪ガキ兄妹ぐらいの年頃に見えた。皆、机にノートを広げて笑っている。
 そして子供たちを見つめるミンクの横顔は、いつもと変らない伏目がちの静かな表情だったけれど、昔感じてたような不穏なオーラはない。むしろ静かで厳かな……聖者を思わせるような雰囲気だった。
 子供の一人が俺に気づいて、ミンクに声をかけ俺のほうを指差す。ミンクがこっちを見て、少し呆れたように肩を落とし、部屋の入り口に向けて顎をしゃくる。入って来いってことか……?
 言われるままに、俺は建物の入り口にまわり、中へと入る。
 部屋に入るなり、子供たちが俺に飛びつくように駆けよってきた。笑いながら俺に話しかけてくるけど、その言葉は俺には全然わからなかった。
「お前に挨拶しているぞ」
 ミンクがからかいを含んだ口調でそう言った。
「え……挨拶…俺、なんて言えばいいんだろう」
「挨拶は、「───」だ」
 聞き取れなくて、もう一度言ってもらって、俺はなんとかそれを真似る。
 子供たちは笑って同じ言葉を返してくる。どうやら通じたようだ……。
 それから俺は、子供たちと一緒に席について、ミンクの「授業」を聞いていた。
 聞いているうちにわかってきたけど、ここの子供たちは観光客相手の基本会話ぐらいならできるようだった。
 けど、ミンクが教えているのは、もっとその先の、政治や法律に携わる言葉みたいで、つまりミンクは言葉と一緒に社会のしくみのようなものも教えているらしかった。
 ミンクの教え方は訥々としていて、決して「優しい」という感じではなかったけど、引き込まれるような心地よさがあった。子供たちが笑いながら、それでも真摯に耳を傾けている姿からでも、それがわかった。

「授業」は二時間ほど続き、終わると子供たちは散り散りに帰っていった。
 子供たちを見送った後、ミンクは使った本を部屋の棚に収め、俺は長椅子の上でへばるように寝そべっていた。
「なんか……こんな机に向かってたの、久しぶりな気がする……」
 俺がそう言うと、「ガキ以下だな」と鼻で笑われた。本当のことなので言い返せず、俺は伸びをして、ひとつため息をつく。
 そして、疑問に思っていたことを口に乗せてみる。
「ここって……学校無いのか?」
 片付けが終わったらしいミンクは、寝そべっている俺の向かいの椅子に腰掛けた。
「車で何時間か行った町にならある。だがわざわざそこまで通わせる酔狂な親はいない」
「なんで、こんな不便なところに、ここの人は町を作ったんだ?」
「……作ったんじゃない。作らされた。昔、国のやつらが先住民の土地を残らず取り上げて、そして後になってケーキを切り分けるみたいに分配「してくださった」。部族の人間は勝手に宛がわれた土地に町を作って暮らすしかなかった」
「それって……不公平じゃないのか」
「公平なんざ、端からないさ」
 そう言って、話を断ち切るように、ミンクは立ち上がった。……あまりしたい話じゃないみたいだった。

 それから、俺たちはトラックに乗って、大きな町へ買出しに向かった。
 途中、居留区らしい町をいくつか通り過ぎたけど、そこには寄らず、結局目的の町についたのは、車をたっぷり4時間ほど走らせた後だった。
 ……翠島だったら、旧住民区が一周できそうだ。
 でも遠路厭わず来ただけあって、その街は本当に大きくてにぎやかだった。
 マーケットには、ありとあらゆる食品が大量に並んでいて、野菜や果物のカラフルな色が目に眩しいくらいだった。
 ミンクはあいかわらず、缶詰めや保存の利くものばかりをカートに入れている。こんなにいろんな食材があるのに、なんだか勿体ないような気がした。
「なあ……。あの部屋って料理とかできないのか?」
 俺がミンクの後を追いながら、そう聞くと
「物なんざ、食えりゃそれでいい」
 ある程度予想してた答えが返ってくる。
「まあ……そりゃ、そうなんだけどさ……」
 俺だって、あんまり食べ物にこだわりとかないし、美味いかまずいかだったら、美味いほうがいいくらいだし。でも……。
「何かしたかったら勝手にしろ」
 ミンクが俺に背を向けたまま、そう言った。
「え?」
「部屋に野宿用のバーナーコンロがある」

 買出しを終えて、ホテルの部屋に戻ってきたのは、すっかり日も暮れた頃だった。
 ミンクが言うとおり、ベッドの下にザックが押し込められていて、その中に小さなバーナーコンロがあった。
 この小ささじゃ、たいしたことはできないけど、それでも無いよりは全然いい。
 俺はテーブルの上に、そのコンロを置いて、鍋に水を入れて火をかけた。
 そこにトマトの缶詰めや豆の缶詰めや買ってきたベーコンなんかをブチこんで、ごった煮のようなものを作った。
 俺も料理は得意ってわけじゃないけど、この程度のことなら家でもよくやっていた。
 くつくつと、野菜の煮える匂いが部屋の中に漂う。
 それはすごく久しぶりの、食欲を湧かせる温かい匂いだった。
 できあがったものを買ってきたアルミの器に盛って、切ったパンと一緒に食べた。
「あ!美味い!」
 一口食べて、俺は思わずそう言っていた。レストランみたいに上等ってわけじゃないけど、普通においしい。味はそこそこでも、たぶん温かいってだけで、食べ物は何倍も美味く感じるんだと思う。
 半分ぐらいかきこむように食べて、俺はふとミンクのほうに目をやった。
 ミンクも黙々とスプーンを口に運んでいたが、俺の視線に気づくと 器の中身のほうに目を落とし「美味いな……」 とだけ、言った。
 俺は一瞬ポカンとなって、でもすぐに嬉しくなって「だろ!?」と浮かれた声をあげてしまった。
「こんなものでよかったら、俺これから毎日作るけど?」
「……勝手にしろ……」 

 それからの毎日は、淡々と、だけど俺には楽しく過ぎていった。
 午前中のうちは、ミンクの「授業」を子供たちと一緒に受けて、その後は車の運転を教わった。
 何度めかの買出しのときに、「お前もできるようになれ」と一方的に言われたからだ。
 当然、あたりに教習所なんて無いし、ミンクを教官代わりに、だだっ広い道を指示されながら走るだけだ。
 最初はおそるおそるハンドルを握っていた俺だけど、他の車もめったに通らないし、なんの障害もない道を突っ走るのは、思いのほか気持ちのいいものだった。
 道は、呆れるほど一直線なので、カーブの練習は、木や岩をコーナー代わりにした。
 一度ハンドルを切り損ねて、思いっきり藪に突っ込んでしまったことがある。
 そのときのことを、俺は一生忘れないだろう。
 ハンドルに突っ伏してゼエゼエ言ってる俺に、「バカが……!」と忌々しげに言い、数瞬おいて「クッ……」と笑ったのだ。……ミンクが。
 驚いて顔をあげると、ミンクは唇に人差し指を当てて、俯きながらくつくつと笑っていた。
 ミンクが笑うのを……俺はそのとき初めて見た。
 笑い皺が浮かんだその笑顔は、とても優しく見えて、ミンクが俺にそれを見せてくれたことがすごく嬉しくて、俺もミンクと一緒になって腹を押さえて笑った。

 夜になれば……俺たちは毎晩のように抱き合っていた。
 最初の夜のように、ミンクに委ねっぱなしになるのは嫌だったので、俺も自分からいろいろ仕掛けた。
 ミンクの硬い熱をしゃぶったり、ミンクの上になって自分で動いたりもした。
 でも、いつも最後にはミンクに組み敷かれて、鳴かされていた。
 ミンクが自分の中を味わっている……と思うだけでたまらなくなって、俺はミンクにしがみつく。縋って、ねだって……俺はこの行為に溺れていた。
 
 この時間が、日々が、ずっと終わらなければいいと……俺は熱に浮かされながら、そう思っていた────

「お前の国は、どんなところだって聞いているぞ」
 あれは、何回目の「授業」だっただろう。
 子供の一人に何事か話かけられて、戸惑っているところに、ミンクがそう言って寄越す。
「どんな国って言われても……」
 子供たちは、俺のほうに期待に満ちた眼差しを向けている。これを無視するわけにはいかないよな……。でも俺に細かい説明できるほど、まだここの言葉に長けてないし……。
 ミンクに通訳してもらうか……?とあれこれ考えるうちに、俺の中でひとつのアイディアが閃いた。
 俺はカバンを机の上に置いて、そこから電源を落としている蓮を、そっと取り出した。
 丸くなって眠る子犬の姿を見て、子供たちが嬌声をあげて蓮を取り囲む。
 俺は、人差し指を口に当て「静かに」とジェスチャーを送ったあと、蓮を起動させた。
 何日かぶりに、蓮の黒い瞳が見開かれる。
「……蒼葉……」
 久しぶりに聴く、蓮の声。
「蓮、おはよう」
 俺の声に蓮はシッポを振って立ち上がり、俺に近づこうとして……そして自分をずらりと囲む子供たちの姿に気づいたようだ。
「……蒼葉……この状況は」
 蓮の戸惑いを押し殺したような声。
「ええと……話すと長くなるんだけど。とりあえず、画像検索して欲しいんだけど」
「検索ワードは」
「日本で」
「了解」
 蓮が目を閉じ、また見開く。蓮の目の前の中空にモニターが浮かび上がり、そこにてっぺんに真っ白い雪を乗せた山の画像が映しだされた。
 子供たちが歓声をあげる。
 ミンクが部族の言葉で子供たちに何か言っている。おそらく、この画像の説明をしてくれているんだろう。
 そうして、俺は次々と日本に関する画像を子供たちに見せた。桜や、着物を着た女性、ステロタイプではあったけど、子供たちの目を楽しませることはできたと思う。
 子供たちは屈託なく、いろんな質問をぶつけ、ミンクはひとつひとつ丁寧に説明をしていた。
 そして、ひととおり見終わると、子供たちは蓮を抱いたり撫でたり、取り合いになった。
 小さな腕の中を行ったり来たりする蓮の顔は少し困っているようで、俺は申し訳ないと思いながらも、笑ってしまった。
 そうして子供たちも満足したのか蓮を解放してくれて、蓮に手を振りながら帰って行った。
「ご苦労さん……蓮」
「……喜んでもらえれば、何よりだ……」
「ごめんごめん」
 俺は苦笑いして、蓮と額を擦り合わせた。
「もう少ししたら、ちゃんとメンテしてやるからな……」
 そう言って……再び蓮の電源を落とした。

 その夜のことだった。
 フロントの男が、部屋にやってきて「外に客が来ている」と言った。
 俺には心当たりがまるで無くて首を傾げたが、ミンクは得心しているように無言で部屋を出て、俺も慌ててそれに続く。
 フロントにいたのは、町の人たちだった。
 中年の男4人と、老人の男が一人。皆、なんとなく険しい表情を浮かべている。
 老人が前に出て、ミンクに何事か語りかけた。言葉はわからないけれど、声音に威厳のようなものが感じられる。対するミンクも胸に手をあて、敬意を払うような所作を見せた。
 この老人は、この部族の長なのかもしれない……と俺がそんなことを考えていると、ミンクが俺のほうへと振り返り
「……少し話をしてくる。お前は部屋に戻っていろ」
 そう言って、町の人たちと一緒に、外へと出て行ってしまった。
 残された俺は、しばらく迷っていたけど、やっぱりどうにも気になったので、ミンクの後を追うことにした。
 ミンクを連れた一団は、いつも俺たちが「授業」に使っている講堂に入っていった。
 俺は最初にミンクを覗いてたときのように、窓の外からそっと様子を伺った。
 中では、長らしい老人だけが椅子に腰掛けていて、後の男たちは、取り巻くようにミンクの前に立ち並んでいた。
 一人の男が、ミンクに強い口調で何か言い始めた。何を言っているのか俺にはわからない。けれどおそらくは罵りだろうそれを、ミンクはじっと黙って聞いていた。
 もう一人の男も尻馬に乗るように、まくしたて始めた。その剣幕に、俺はだんだんイライラしてきた。何で、ミンクは何も言い返さないんだ………?
「────………」
 そう思ってた矢先に、ミンクが何かを呟いた。
 とたん、男の一人がミンクの襟元を掴みあげた。ミンクのほうが背が高かったので、締め上げることはできなかったけれど、そのあまりに際どい空気に俺は思わず窓から身を乗り出していた。
「やめろよ──!!」
 俺の叫びに、男たちが一斉に振り返る。ミンクも俺に目をやって……そして呆れたように目を閉じた。
 老人が立ち上がり、手を叩いて何かを告げる。男たちが忌々しげに部屋を出て行き、どうやらこの場を納めてくれたようだった。
 俺は窓を乗り越えて部屋に入り、ミンクに駆けよった。
「ミンク……!」
「……部屋に戻ってろと言っただろう」
「そんなの……聞けるわけないだろ。ていうかアンタだって……俺が聞かないって思ってたんじゃないのか?」
 俺がそう言い返すと
「……生意気になったもんだ……」
 ミンクはかすかに唇を歪めて、笑った。

 ホテルの部屋に戻って、俺はミンクの話を聞いた。俺がわけを話してくれるまで諦めないと粘ったからだ。
 ミンクは前かがみに椅子に腰掛け、何か祈るように両手を膝のあたりで組んで話し始めた。
「まあ……たいしたことじゃない。ガキ共に余計なことを吹き込むなと言われただけだ」
「余計なこと……?」
「大きくなったら日本に行きたいって、ガキの一人が言ったらしい。言葉を教えるくらいなら見逃してやってたが、それ以上入れ知恵するなと言われた」
「見逃すって……ミンクは子供たちに勉強教えてやってたのに……!普通だったら向こうが礼を言う側だろ!?」
 思った以上に理不尽な言い分に、俺は怒りが湧いてくるのを感じた。
 けど、ミンクの表情は、いっそ穏やかに見えるほど、何の感情も浮かべてはいなかった。
「どの町でも、程度の差はあれ、だいたい最後はこうなる。俺は……ガキたちに部族の誇りを捨てさせようとしている悪徳の徒……らしい」
「……って何だよ……それ」
「……あながち間違っちゃいねえがな……」
 ミンクはそう言って、少しの間、黙り込んだ。でも俺は急かさず、ミンクが次の言葉を言ってくれるのを待った。
「東江の……刑務所の話を知っているか?」
 突然、飛んだ話に俺は一瞬惑う。
 でも、俺はその話を知っていた。だから素直に頷いた。
「スクラッチのメンバーから、聞いたことがある。囚人に強い暗示をかけて自分から脱獄しようとさせないってヤツだろ?」
「そうだ……東江は光と音を使って、短時間に強引な暗示をかけていたが……でもな、暗示なんてのは時間さえかけりゃ、そんなの使わなくたってできるモンなんだ」
 話が繋がってるような気がしなくて、俺は返事に窮する。ミンクは言い淀むようにいったん床に視線を落とし、また顔をあげて俺を見る。
「部族の誇りと存続……それを守るように生まれたときから言い含めてりゃ、この町から出ようなんざ思わなくなる……。自分の希望も、可能性も……何もかも押し込めてこの町に「いる」だけの存在になる……」
「………!」
「俺は……ガキ共の暗示を解いてまわろうとしているんだ。誇りなんてものより自分を大事にしろと、そう説いている……。煙たがられても仕方がないことだ」
 俺はその言葉を、なかば呆然となって聞いていた。ミンクは誰よりも一族に誇りを持っていたはずなのに……なんでそんなことを言うんだろう。
「あいつらには……時間も、道もあるんだ」
 そう言って、ひとつ息をつき、ミンクは立ち上がった。
「これから……どうするんだ?」
 俺がそう問うと、ミンクはすべての感情を削ぎ落としたように無機質な表情になって
「数日後には……ここを出る。お前も……今日は休んでおけ」
 と、言った。
 その表情を見て、俺は俯いて唇を噛んだ。
 あんなにもミンクの考えがわからないと思っていたのに……。
 いまは哀しいほど、それがわかってしまっていた。
 ミンクは……嘘をついている。

 ミンクは今日にでも、ここを出ていこうとしている───
 俺を置いて、去ろうとしている────

 ──そっと床を踏む足音が静かに遠ざかり、やがて小さく蝶番の鳴る音がする──
 ドアが閉じられた音を聞いて、俺はくるまっていたシーツから顔を出した。
 急いで、ミンクのベッドの下を覗くと、いつも置きっぱなしにしているザックが無くなっていた。
 ……やっぱり……。
 湧いてくる腹立ちをふりきって、俺は急いで着替え、カバンを抱えて外へと飛び出した。
 夜明け前の薄闇のなかを俺は走った。気温はまだ低く、自分の白い息が顔にかかる。
 町の門を出ると、遮るものの何もない広野にミンクの姿を見つけた。
「ミンク──!!」
 その後姿に向かって叫ぶ。
 黙って、ミンクがこっちを振り返る。その表情は、やっぱり何も浮かべていない。
「……祈りを捧げにいくだけだ……」
「嘘だ!祈りに行くだけなら、そのザック持って行かないだろ!」
 俺が言い返すと、ミンクは黙って静かにため息をついた。
 そしてしばらく押し黙ったあと
「もう、気が済んだだろう」
「え……?」
「意地に、なってたんだろうが。鬼ごっこに勝つまで帰れねえと。もういいかげん満足したはずだ。お前は、お前の国に帰れ」
「……!……」
 確かに、俺は意地になっていたのかもしれない……。でもそれを当のミンクに突きつけられて……愕然となる。
「じゃあ……何で、あんなこと……俺に……」
 俯き、自分の足先を見ながら、俺がそう呟くと
「駄賃だ」
「駄賃……?」
「遠路はるばるやって来たガキに、飴玉のひとつでもしゃぶらせねえと格好がつかねえだろうが」
 吐き捨てるように言われて、腹の奥がズンと冷えた。
 でも、俺はそれが本心でないことはわかっている。ミンクの表情がそう伝えている。
 ミンクと一緒にいた時間。それはさほど長くはないけど、でも俺はもう知っている。
 ミンクは何かを振り捨てようとするとき、心にも無いことを言うとき、こんな感情を削ぎ落とした表情になるってことを。
 だから俺は顔をあげ、毅然とミンクに視線を合わせた。
「何で、俺は、アンタのことわからないって思ってたんだろうな……。アンタはこんなにも、わかりやすくて優しい男なのに」
 俺がそう言うと、ミンクの顔に「表情」が浮かんだ。眉間にしわを寄せた「怒り」が。
「知ったふうな口を利くな!」
「利くよ!だって俺は、そのためにここまで来たんだから」
 気がつけば、薄闇の中に夜明けの光が差し込み始めていた。金色の光はミンクの輪郭をなぞり、その眩しさと対照的な苦い表情を照らし出す。
「ミンク……アンタ、子供たちに自分で道を選ぶように教えてる。俺にも似たようなこと言ったよな……?じゃあ、アンタ自身は、どうなんだ……?」
 これまでのミンクの道は、「復讐」で、その先は「死」でしかなかった。
 でも、いまも、ミンクは生きていてくれている。
 アンタは何を望むんだ?
 どんな未来が見たいんだ?
 アンタのこれからの「生」は、何を糧にしていくんだ?

 物音ひとつしない静かな広い大地で、俺たちはただ向かい合い、見つめ合っていた。まるでこの世界に二人だけが取り残されているみたいで、だからもう俺は、迷うことも、言い淀むこともしない。
「……俺には、もう道なんざ、ねえんだ」
 絞るような声で、ミンクがそう言った。
「故郷の土地で、一族の者を悼むだけをして暮らしていこうと思った……。だが、立ち寄った居留区で……ガキ共の姿を見て……」
 ミンクの目が閉じられ、右手が胸に添えられる。
「部族の誇りが、どれほどのものなのかと、俺は考えるようになった……。忌まわしい、天に唾する考えだ。俺はその考えを振り払おうとして、できなかった……。そうして俺は、一族の誇りすら失ったんだ……」
 ミンクは目を閉じたまま、歯だけを食いしばる。
「外に出ることがなければ……ずっと一族の中にいれば、そんな考えを持つこともなかった。東江の野郎は、俺から一族の誇りすら奪っていった!!」
「ミンク……」
「俺は、もう、故郷には帰れない。俺には一族の者を悼む資格すらない。俺には、何も無いんだ。道も、先も、誇りもだ!」
 ミンクの声が、だんだんと荒げられる。ミンクの感情が、本質が、どんどん露わになっていく───
「お前には、道も、先もある。お前は俺から離れろ。でないと一緒に生き腐れていくだけだ……」
「先は……あるだろ!」
 俺は思わず叫んでいた。
「アンタの中で、いままでと違う考えが生まれたってのは……それはアンタの時間が進んでるってことだろ?」
「…………」
「本当に先のない人間だったら……心の中も停まったままだと思う。アンタの考えは、一族を裏切るものかもしれないけど……人間としては間違っていないと思う」
慈悲深くて、高潔な男。こんな彼が重い鎖を巻きつけて生きるのは、どんなに辛いことだったろうか。でももう、その必要は無いんだって、俺は彼に伝えたかった。
「お前は、いったい……何がしたいんだ……!!」
 ミンクが唸るように吐き出した言葉は、彼の心が、いま剥き出しになっていることを告げていた。
 ミンクの心をこんなにして、いま、俺がしたいこと……。

 俺は、俺の言葉をミンクに伝えたい───
 俺の言葉には「力」がある。でもその「力」は使わないし、使えない。

 でも、俺は、俺の言葉がミンクの奥底に届くことを信じて──それを紡ぐ。

「俺は……アンタと一緒に先を見たい!アンタと一緒に……道を行きたい!!」

 ひと息にそう言って、俺はミンクを強く見つめた。
 ミンクの顔から険が落ち、まっさらな表情になる。けど、それは拒絶の仮面ではなく、惑うような……無垢にも見える表情だった。
 長い長い沈黙が降った。
 その間にも、差し込む朝日は辺りを金色に染めていく。立ち撓うミンクの姿も、それにふちどられて、まるで世界からの祝福を受けているようだった。
 そうだ。誰もアンタを呪ったりしていない。たぶん、一族の人たちだって。
 みんな、アンタに生きて欲しいと思っているはずだ。道を往って欲しいって願っているはずだ。
 俺は……瞬きもできずに、ずっとミンクを見ていた。
 ミンクの目が細くしかめられ、何かを堪えるように歯が食いしばられ、彼の両手が俺に向かって伸ばされるのを、ただ、じっと見ていた。
 そして俺は、ミンクに強く抱きこまれていた───
「バカが……!」
 俺の耳元に顔を寄せ、ミンクが唸るように呟いた。
 ミンクの腕の中で、俺はいままでにないほど、強いシナモンの香りを感じた。そして俺は、彼のその香りが彼の気持ちの昂ぶりにに連動していることをぼんやりと確信する。
 ミンクが俺を抱いたまま、わずかに体を離し、大きな手指を俺の顎に絡めてきた。
「……蒼葉………」
 呟きを聞くと同時に、ミンクに唇を塞がれていた。
 
 名前を呼ばれるのも、キスをされるのも……初めてだった。
 その温かい感触に、俺の胸のなかは、泣きたいほどの幸福でいっぱいになった。
 俺はミンクの首に手を回して、いっそう深く唇を合わせた。

 目を閉じていてもわかる眩しさの中で、俺は感じていた。
 俺たちの「先」がいまやっと繋がったということを────

 そして、俺たちはトラックに乗って、長い長い道を走っていた。
 歓迎されないのを覚悟で、俺たちはまた別の居留区に向かっていた。
 居留区にも色々あって、ちゃんと子供たちの教育がされて、道が開けているところも、もちろんいっぱいあるらしい。
 だからそういうところは除くとして……。
「この国の居留区、回りきったらどうするんだ?」
 助手席で俺がそう訊ねると、ミンクはチラリとこちらを見て
「……そうだな……。また日本でも行ってみるか」
 思いがけないことを呟いた。
「え……?」
「東江がくたばった後のあの島がどうなったかも、見てみたいしな」
「あ………うん!」
 思えば──あの島も同じだった。
 閉じ込められて、諦めて、余計なことは考えないようにしていた。
 それを解放してくれたのが……ミンクだったんだ。
「ありがとう……ミンク」
 俺がそう言うと、ミンクは目を細めて、そっと俺の髪の匂いを嗅いだ。
「次にスタンドが見えたら、運転替われ」
「ああ……うん」
 俺はくすぐったさに目を閉じる。
 
 世界はこんなにも広くて、道はどこまでも長く続いている。
 俺たちの「先」に何があるかなんて、わからないけれど。

 自分で選んだものなら、どんな荒れ野でも、きっと美しいはずだ。
 
 

 
 

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コメント

 内容も読後感もいい、素敵な小説ですね。
 現実にも本当にありそうで、そこに架空の存在であってもゲームのキャラが動いて生活してる。臨場感があって素晴らしいです。
 先の見えない暮らしであっても、ミンクと蒼葉、二人が蒔いた「種」が芽吹いて花を咲かせることができるといいですね。
 読んでる間、充実した気持ちになりました。読ませてくださって有り難うございました。

投稿: | 2012年5月 8日 (火) 21時05分

後藤さんはやっぱり教養がおありになって解釈が深いですわー
復讐をとげて虚しくアイデンティティクライシスのようになってしまったミンク。人間ならではの苦悩ですねー。でもそれはそこから先につながるはずの、進むべき苦悩ですよね。蒼葉がいて良かった。蒼葉がいるからミンクさん、その道に確信が持ててくると思います!
素晴らしいお話しをありがとうございました。

投稿: 夜 | 2012年5月14日 (月) 23時15分

ありがとうございます。
ENDの段階では、二人の中にある感情は、本当にまだ種の状態だったんですよね。それは開花させたいなという気持ちで書きました。

>夜様

きょ、教養は別にないですー!ただ資料集めはマメにするほうかと。今回もネイティブアメリカンの本を三冊買って調べました。ミンクさんの故郷はアリゾナ州のセドナあたりをイメージしました。

投稿: 後藤羽矢子 | 2012年5月19日 (土) 15時31分

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