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2010年4月29日 (木)

彼の背は知る

 彼は寝台の上で膝をかかえ、裸の背をこちらに向けていた。

 その背中は思っていたよりも薄く、頼りないものに見えた。いつも気丈にふるまっている彼の、本来の幼さを思って少し胸が痛む。
 この背中は、この先いろいろなものを知るだろう。
己に害なす者の憎しみの視線を知るだろう。
 強敵を前にしたときの汗の冷たさを知るだろう。
 敵の刃が肉を裂く痛みを知ることもあるかもしれない。
 しかし、願わくば──彼の背中が、愛する者の掌の温もりを知ることがあるように。

 そこで唐突にコノエは目覚めた。
 二、三度まばたきをすると、視界のなか煤けた天井が像を結び、ようやく自分が夢を見ていたことに気づく。
 長い溜息を吐き出しながら、コノエはゆっくりと上体を起こした。
 リークスとひとつになって以来、夢見がよかったためしがないが、さきほどの夢はそれとは違った意味でコノエを陰鬱とさせた。
 夢のなか、こちらに背を向けていた少年……肩に触れる長さの白銀の髪、同じ色の毛を蓄えた大振りの尾、顔を見なくてもわかる。あれは、ライだ。
 そして、それを見ていた者は……。
 ちらりと視線を横にやると、現実のライは隣の寝台で背を向けて眠っていた。
 その寝台の脇に古びた小剣が立て掛けてある。それが……この夢の原因だった。

 話はその日の宵の口にさかのぼる。
 いま追っている賞金首の情報を集めに、ライとコノエは酒場で聞き込みをしていた。手段としては一番確実ではあるものの、有益な情報を得るのは川底をさらって砂金を採るようなものだ。何日も粘って、やっと手がかりをひとつ掴む、そんな按配だった。
 酒の匂いと紫煙がたちこめる店内で、ライとコノエは果実酒を舐めながら、周りの猫たちの会話に耳を傾けていた。そんなとき──
「よお、ライ。久しぶりだなあ」
 下卑た喧騒を割るようにかけられてきた声、コノエが顔をあげると雉虎の毛並みをした小太りな猫が、あまり質のよくない笑みを浮かべながら近づいてきた。年の頃は……老猫にさしかかる手前というところか。
 ライはその雉猫をちらりと見やり「お前か」とだけ呟いた。歓迎している様子はまるで無いのにも構わず、雉猫はどかりとライの隣の席に腰をおろした。
「いやあ、藍閃に来るのは5年ぶりくらいか。虚ろのせいで辺鄙な村で足止め食っちまってさ。情報屋やるどころじゃなくなっちまった。いまじゃ細々と行商で食ってるよ」
 情報屋だったのか──ライは相槌も打たずに酒を舐め続けていたが、コノエは好奇心から耳がぴくぴくと動くのを止められなかった。
「ところで」
 雉猫は言いながら手持ちの袋をごそごそとかき回し、古びた小剣をライの目の前に置いた。ライの耳がここで初めてぴくりと動いた。
「赤錆が俺に預けていった剣だ。お前に会うことがあったら渡してくれと言われていた」
「……赤錆……?」
 思わず声を割り込ませると、雉猫はコノエにべたついた笑みを向け「赤錆のようなまだらの毛並みをした雌さ。本当の名前は知らずにみんなそう呼んでいた」と言った。
「……雌……」
「あの頃は、まだ雌もそれなりにいたのさ。まあ賞金稼ぎの雌なんてのは、さすがに藍閃でも赤錆くらいのものだったが」
「──で──」
 雉猫の話をさえぎるように、ライが低く呟いた。
「この剣を俺に渡して、赤錆はどうしたいんだ?」
「さあなあ。形見分けってヤツじゃないのか?赤錆も失躯はまぬがれたみたいだが、ずいぶんと体も弱ってるみたいだったし……」
「生きてるのか?」
「ああ、会いたいかい?」
 ライはしばらくの沈黙のあと「くだらんな」と呟くと、小剣を手にしてやおら立ちあがった。
 その剣を突き返すのかとコノエは思ったが、ライはそのまま出口へと向かって歩き出した。コノエは慌てて形だけの会釈を雉猫にしてライの後を追った。
「俺はしばらく藍閃にいるからな。話聞きたくなったら、またここに来いよ」
 ライの態度に怒るでもなく、雉猫はそんな言葉を二匹の背にかけた。
 

 宿へと向かう夜道を歩く。
 数歩先を行くライの背中を見つめながら、コノエは悶々とした気持ちを持て余していた。その雌の賞金稼ぎとライはどういう関係だったのか──聞いてもライはおそらく答えてくれないだろう。
 思えばいつもそうだった。たわむれに過去のことを尋ねても「そんなことを聞いて何になる」と一蹴された。ライにとって大切なのは常に現在であって、変えようもない過去に執着するのは愚かしいことらしい。
 そうとばかりも言えないと思うんだけど……そう考えても、コノエにはライを論破できるだけの語彙がない。結局いつもしぶしぶと質問を引っ込めるだけだ。
 しかし、今回ばかりは別だった。知りたいという欲求はどんどんと膨れあがり、抑えることができなかった。よくないことと思いながら、コノエは隙を見てその小剣に触れ……持ち主の記憶を読んだのだった。

 裸で同じ寝台にいたということは、やはりそういう関係だったということだろうか。ライから過去を聞くことは少ないが、とりわけ色事についてはまったく口にのぼることはなかった。初めて体を合わせたときから慣れた様子ではあったので、ある程度の経験はあるのだろうと漠然と思っていたが……。
「……何をぼんやりしている。馬鹿猫」
 いらないことを考えながらクィムを齧っていたせいか。溜息まじりの声に我に返ると、滴る果汁が口元から顎を伝い、首のほうにまで垂れていた。
 コノエは慌てて首を手の甲で拭い、毛繕いの要領で舐めとった。
 朝の光が差し込む食堂で、ライとコノエは向かい合わせに卓を囲んでいた。繁忙期を過ぎたバルドの宿には、コノエたちの他には客はもうひと組しかおらず、シンとした空気がかえって気まずい。
「おい、あんたら喧嘩でもしてるのか?」
 バルドが静寂を破るように、焼きたてのパンを持ってやってきた。ライは条件反射のように眉を寄せると「この馬鹿が勝手に空回っているだけだ」と言った。
「そうかねえ。コノエの様子がおかしいときは、たいがいお前さんに原因があると俺は思うんだが」
 バルドの直球の物言いに、ライはますます眉間の皺を深くしたが、ひとつ溜息をつくとコノエのほうに向き直った。
「何か原因があるのなら言ってみろ」
「…………」
 そう問われても、答えることはできなかった。ライに渡された物の記憶を読んだのもみっともない話であったし、ライの過去の関係に嫉妬しているというのも、あまりに女々しすぎた。
「何でもない……。ちょっと、寝足りないだけかもしれない」
 苦し紛れの言い訳だったが、ライはわずかに表情から険を落とし、「そうか」と静かに呟いた。
 「馬鹿猫」と吐き捨てられるかと思っていたコノエは、ライの反応を意外に感じ、そしてすぐに思い至った。
 ライは、コノエがまた、リークスの悪夢にうなされているかと思ったのだろう。
 無駄な心配をさせて少し申し訳ないと思う。そしてあらためて、ライは優しい猫なんだと感じいる。それはとても見えづらい優しさだけれど。

 そこで気持ちに収まりがついていれば、話は終わっていたはずだ。
 朝食のあと、二匹は部屋に戻り、この日の予定を話合った。ライは刀鍛冶のところへ行き、剣の手入れをしてもらうと言う。そしてその間コノエは市場へ買出しに行くということになった。
 身づくろいをして部屋を出ようとしたとき。コノエは視界の端で、ライが赤錆の剣を懐に収める姿を捉えてしまった。
 宿には当分の間滞在する予定だから、最低限の荷物以外は部屋に置いたままにしてある。なのにその剣を身につけるということは、それはライにとって大事なものということなのだろうか。
 コノエの腹がずん、と重くなった。
 立ち止まるコノエの横をライがすいと通り抜け、「行くぞ」の一言だけを投げかけた。

 市場の前でライと別れ、コノエはひとり店々を練り歩いていた。曇天のような感情は胸のなかで膨れるばかりで、買い物をしていてもまるで振り払うことができなかった。
 こういう曖昧な感情がコノエは苦手だ。怒りや悲しみにまで行き着けば、まだ対処のしようもあるのに。
(ああ……もう……!)
 コノエはきつく目を閉じて頭を振った。どうしてもっと大人になれないのだろう。ライのように泰然とできないのだろう。そこでまた、あの夢のなかのライの姿が頭に浮かんだ。あのときのライだって子供だった。自分と同じか少し若いぐらいの年に見えた。そのライを導いたのが、あの赤錆と呼ばれる雌だった……。それを思うとまた胸のなかが淀んだ。本当にどうしようもない。
 考えながら歩いていたせいか、気がつくと市場のはずれまで来てしまっていた。手前の角にはいり通りをひとつ抜ければ、酒場はすぐ近くだ。
 あの雉猫は酒場にいると言っていた……。いまの時間もいるだろうか。
 足を踏み出し引っ込めてを二度繰り返し、結局コノエは酒場へと続く角を曲がった。あの雉猫に会って、ライの過去を聞いて──それでどうなるものでもないが、半端に知って悶々としているよりマシかもしれない。毒を食らわば皿まで──そんな気持ちでコノエは酒場の扉を開けた。

 夜も昼も関係なく薄暗い店内、それでも夜に比べれば客はずっと少なく、雉猫はすぐに見つかった。カウンター席でひとり、機嫌よさそうに酒を舐めている。
「あの……」
 コノエがおずおずと声をかけると、雉猫は目を細めてコノエの顔を凝視し「おお、昨日ライといた坊主か」と言った。
「坊主じゃない」
「ああ、そりゃあすまなかったな。お兄さん
 言いながら雉猫は自分の隣の椅子を引いてくれた。コノエはおとなしくそこに腰掛ける。
「で、お兄さんは俺になんの用だい?」
「ライの……昔のこと聞きたくて……」
「ライの、と言うより、ライと赤錆のことじゃないのかい?」
 笑い含みの声で言われて頬が熱くなったが、コノエは小さくうなづいた。
 雉猫は店の者に新しい酒を注文し、自分のとコノエ、それぞれの器になみなみと注いだ。
「別にそれほど大層な話はないけどねえ……。昨日も言ったが、赤錆は雌の賞金稼ぎさ。雌にしちゃあ腕はたつほうだったが、闘牙のなかでは中の下といったところだ。そのせいか、赤錆はいつも若い雄を連れていた」
「若い雄?」
「藍閃に来たばかりの若い闘牙に目をつけちゃ、剣を教えたりあれこれ世話を焼いたりしていた。そうしてしばらくの間は二匹一緒に仕事をして報奨金は自分の取り分を多くする。そういうやり方をあの雌はしていたのさ」
「ライも……そのうちのひとりだったのか」
 呟きながら、コノエは酒のはいった器をひと舐めした。いつも呑んでいる果実酒とは違う不思議な味がした。
「ライは初めから剣の腕は上々だったからな。自活の知恵だけもらってさっさとひとり立ちしちまった。一緒にいたのは半年もなかったんじゃないかねえ」
「半年……」
 意外だった。もっと何年も連れ添っていた間柄だと思っていた。それだけの時間で形見分けをしようという想いになるのだろうか。
 コノエがそれを言葉にすると、雉猫はしたり顔で指をコノエの鼻先で揺らし
「雄雌のことがわかってないねえ。お兄さんは。 仮に半年が三日月だろうが一生忘れられない相手ってのはいるもんさ」
 嫌な言い方をする、とコノエは思った。気のせいか胸が焼ける。……いや、気のせいじゃない、生理的なむかつきが胃の腑から喉元にこみあげてくる。
「……うっ……」
 呻いて俯くと、視界がぐるぐると回りだした。口元を押さえている手の先から痺れが広がっていく。
「おい、どうしたお兄さん。酔っぱらっちまったか?」
 雉猫の声が割れ鐘のように頭のなかでこだまする。
 酒に一服盛られていたことに気がついたときには、コノエの口は言葉すら紡げなくなっていた。
「しょうがねえなあ。送ってってやるから。ほら、立ちな」
 そう言って雉猫は、力のはいらなくなったコノエの体を自分の肩にもたらせるように抱えあげた。周りの猫たちに怪しまれることもなく、易々とコノエは店外に連れ出された。

「これからどうするの?」
 そう問うと、彼は「西の谷へ行く。魔物が多いそうだから」と何でもないことのように言った。
「いきなりひとりで魔物相手?」
「ひとりのほうがいい」
 彼はそう言うと身づくろいの仕上げにマントを羽織った。
「赤錆には色々教えてもらって感謝している。けど、お前と一緒に闘うのは正直足手まといだった」
 笑ってしまった。何て憎らしく、何て彼らしいのだろうと。
 その鼻柱にふさわしいだけの実力を備えた彼は、きっと名うての賞金稼ぎになれるだろう。
 何も心配はいらない。あとはもう見送るだけだ。
 彼が背を向けて部屋をでる。次に会うときは商売敵だ。できれば闘う羽目にならないように願おう。
「さようなら、ライ」
 呟いて彼の背中に小さく手を振った。

 目覚めた途端、ひどい頭痛と吐き気が襲ってきた。
 これなら……目覚めないほうがマシだったかもしれない。コノエは牙を食い締めて寝返りをうち……自分の四肢が縄で縛られていることに気づいた。
「……っ……!」
 うろたえて激しく身を捩ったが、後ろ手の縄も足首の縄もがっちりと食い込んでいる。あきらめて横倒しになったまま、あたりを伺う。
 荷物が乱雑に積み上げられた物置のような部屋だった。雨戸の壊れた窓から覗く木の高さからして二階の部屋のようだ。日は暮れかけている。
 ギッ、ギッと床板を踏む音がして「気分はどうだい?」と雉猫の声が頭上に降った。
 コノエはなんとか顔だけを上向け、雉猫を睨みつけた。
「お前……なんのために、こんな……」
「まあ、なんの利もなくて、こんなことはしねえよなあ」
 呑気な声音でそう言って、雉猫は耳の裏をぽりぽりと掻いた。
「本当はライが釣れるのを期待してたんだが、ちっとアテがはずれた。まあ、子猫のほうがなんにでもじゃれつきたがるもんだ。しかたねえか」
 言いながら雉猫は膝をついて、コノエの前に屈みこんだ。そして酒を勧めたときと全く同じ笑みで、コノエの首筋に剣の切っ先を突きつけた。
「歌を歌いな」
「……!……」
「お兄さん、賛牙なんだろう?」
 何故、雉猫がそのまことを知ってるのか。いま起こっていることの因果がコノエにはつかめない。
「俺もある猫に頼まれてるんだよねえ。しつこい賞金稼ぎに追われてて、そいつらを何とかしたいと思ってる猫にねえ」
痛む頭で必死に考え、コノエはそれがいま追っている賞金首であることに気づく。
「とにかく歌っておくれよ。賛牙の歌はよく響く。とりわけつがいの相手にはよく聴こえるっていうじゃねえか。ライのヤツだって、あんたがここにいることに気づくだろうよ」
「…………」
 だんだんと飲み込めてきた。賞金首と手を組んで、この雉猫は釣り餌をまいた。思い出の雌という釣り餌を。しかしライはそれに釣られるような甘い猫ではなく、間抜けにも自分が釣られた。そして今度は自分が釣り餌にされようとしている。
「ほら、歌いな」 
 刃のひやりとした感触が喉元に当たる。
「嫌だ……」
「お兄さん、死にたくはねえだろう?」
「嫌だ!」
 雉猫は笑みを絶やさぬまま拳を振りあげると、コノエの頬を殴りつけた。痛みと血の味が口中にひろがった。
「本当に死ぬ手前までいかねえと、わからねえみたいだなあ。いくら気を張ったってそんときになりゃ泣き喚くもんなのになあ。赤錆みてえにな」
 その言葉に、ざわりとコノエの背筋が痺れた。
「お前が、まさか赤錆を……」
「勘違いするなよ。あいつが勝手に失躯でおっ死んだだけさ」
「じゃあ生きてるっていうのは……」
 雉猫の嘘だったのだ。
「あの剣は間違いなく赤錆の物だけどな。まったく赤錆のヤツ、ろくな物遺していかなかった。雌なんだから宝石のひとつでも身につけてりゃいいものを」
 死者から身包みを剥いだことをまるで恥とも思わずにへらへらと語る雉猫を、コノエは心底醜いと思った。怒りで腹が熱くなる。
 そのとき、苛立たしげな足音とともに、いかつい図体の雄猫が部屋にはいってきた。
 行商猫の格好をしているが、手配書に描かれた似顔絵によく似た風貌だった。
(……こいつが、賞金首……)
「おい、まだか。何をやっている。こっちはもう手下も待たせてるんだぞ」
「す、すいません……。すぐに歌わせますんで……」
 雉猫は、賞金首に向けてへこへこと頭を下げたあと、コノエのほうに向き直った。そしてさきほどの呑気な声音から一転、地を這うような凄みを効かせて恫喝した。
「おい……!死にたくなかったらさっさと歌え!」
 それでもコノエは怯むことなく「嫌だ!」と言い放つ。どうせライが賛牙の歌を聞きつけてやってくれば、そこで自分は殺されるに決まっているのだ。賛牙の歌はライを呼び出すためのもので、ライに力を与えられては困るからだ。
 結果が死しかないならば、ライを危地に向かわせる選択などできるはずがない。
 雉猫は醜く牙を剥き出して、さらにコノエを二度殴りつけた。床板にしたたか頭を打ちつけて、コノエの意識がまた遠くなった。
「ち、また気を失っちまった」
「まあいい……もうしばらく待つか」
 二匹の会話が吸い込まれるように遠くなり、コノエの意識も暗転した。

 大通りの喧騒のなか、久しぶりに彼の姿を見た。
 背がずいぶんと伸びた。白銀の毛並みも腰に届くほどで以前よりいっそう美しい。
 声をかけようか悩む。賞金首を捕りあうような場ではないが、もはや気安い間柄でもない。
 ふと、彼がこちらを見る。探るような視線を向けて、「俺」のことに気づいたらしい。
 猫波をかきわけながら、ゆっくりと歩を進め、彼は俺の前に立った。
「探したぞ────馬鹿猫」

────え?────

 水面に浮かび上がるように意識が戻った。
 しかし、目に映るものに、自分はまだ夢のなかにいるのかとコノエは思った。
 目の前には、ライがいた────
 夢のなかと同じに薄い笑みを浮かべ、コノエを見おろしている。あたりはすっかり暗くなっていて、ライの白銀の髪が月の光を吸ってぼんやりと光っていた。
 その美しさに見蕩れていると、「いいかげん目を覚ませ」と鼻をつまみあげられた。
気がつくと床に転がっている状態は同じだったが、手足は縄を切られて自由になっている。コノエはふらつく頭を押さえ、ゆっくりと上体を起こす。
「ラ……イ……何で……?」 
 喋ると切れた口のなかがかすかに痛んだ。
「まったく、お前は本当にどうしようもない馬鹿猫だ」
 言葉とは裏腹に、ライの口調には安堵が滲んでいた。溜息をひとつつくと、懐から小剣を抜き出し、コノエの目の前にかざした。
「この剣が、俺をここまで導いた」
「え……?」
「勝手にいなくなった馬鹿猫を探して街を歩いていたら、不思議な気配を感じた。上手くは言えんが……赤錆とお前が混じりあったような気配だ」
「……何だよ……それ」
「知るか。ためしに赤錆の剣に触れたら、さらに気配が強くなって、それを辿ってここまで来た。壊れた窓もそのままで入ることは容易かった」
 コノエが何ごとか言おうとしたとき、部屋の外から数匹ぶんの足音が聞こえてきた。
「……とりあえず話はあとだ」
 ライは立ち上がると、すらりと長剣を抜く。「歌えるか?」の言葉にコノエは強くうなづいた。目を閉じ、意識を集中させる。
 荒々しく部屋の扉が開けられるのとほぼ同時に、コノエの体から光の旋律が迸った。
 

「お前、この剣の記憶を読んだんだろう?」
 ライの言葉にコノエは首を竦めた。
「ごめん……」
「謝ることはない……」
 賞金首と手下の雑魚を数匹、ついでに雉猫もまとめて捕らえ保安所に叩きこみ、報奨金もさっくりといただいた。いまは宿に戻り、ようやくひと心地ついたところだ。
「おかげで賞金首も捕らえることができたからな……。まったく転んでもただでは起きないとはお前のことだ」
 今回ばかりは、さすがにコノエも言い返すことができない。
 ライは寝台に腰掛け、赤錆の小剣を鞘から抜いた。随分と手入れもされていなかったのかその刀身は刃こぼれだらけだった。
「おそらく……お前が赤錆の記憶に共感しすぎたんだろう。古い物が持つ記憶に、お前の力が添付されて、そしてこの剣はお前と俺を繋ぐ媒体になった。ただ、いまはもう何も感じなくなっているがな……」
 理屈はともかく感覚は理解できた。いまならわかる。コノエが見た夢のなか、記憶は確かに赤錆のものだったが、その想いはコノエ自身のものだったのだ。
「まったく……何を見たんだか知らないが」
 照れ隠しなのか、少し忌々しげにライが呟く。コノエは寝台から立ち上がり、ライの隣に腰をおろした。
「……ライが、まだ、俺ぐらいの年で、裸で寝台の上にいた。その、つまりそれって……」
「初めての発情期のときに、一度だけ寝た」
「そうか」
 不思議と嫉妬は感じなかった。そこでまたコノエは気づく。自分が赤錆に妬いていたのはそこではないということに。
「アンタが、なんだか寂しそうで、子供みたいで……何とかしてやりたくて、もどかしかった。何でそこにいるのが俺じゃないんだろうって……」
 あの背中を抱いてやりたかった。
 彼の寂しさを埋めてやりたかった。
 しかし、自分にはどうすることもできず、それがコノエには悔しかったのだ。
 コノエがそう言うと、ライが鼻で笑う気配が伝わってきた。
「馬鹿か。俺がその年の頃、お前はまだ母猫に尻の世話までされてたんじゃないのか?」
「そこまで小さくはない!……たぶん」
「だいたい、過去を振り返るなと何度も言っているのに、お前はちっとも聞かない。まして他猫の過去に心乱されるなど間抜けにもほどがある」
 さすがに少し腹がたって、コノエは尻尾でシーツを叩く。
「アンタだって……赤錆の剣を大事に持ってたじゃないか。それって過去にこだわってることじゃないのか?」
「違う」
「え?」
「その剣は鍛冶屋に引き取ってもらおうと思っていた。金属はどこでも不足しているからな。鋳潰して新しい剣にしたほうがよっぽど実がある」
 これには、さすがにコノエも呆れた。
「だって……あれは赤錆の形見なんだろう?」
 ライにはすでに赤錆がこの世の者ではないと伝えてある。
「形見など意味のない物だ」
「……赤錆は……ライにとって、どうでもいい猫だったのか?」
 パン、とライの太い尾がシーツを叩く。その音にわずかに気をとられた一瞬に、コノエの体はライに押し倒されていた。
「おい……ちょっと……」
 突然のことに、コノエは身じろいで抵抗する。しかし上向けた視線の先、自分を押さえつけているライの表情は、子供のような惑いを含んでいた。
 コノエの動きが止まる。
 ライは観念したように目を伏せ、口を開いた。
「……どうでもいいわけじゃない。赤錆の教えは確実に俺の血肉になって、いまの俺を成しているからな……」
「ライ……」
「なら、いまこうして、俺がここに在るというだけで充分だろう」
 そう呟いて、ライはそっと顔を寄せ、コノエにくちづけた。
ライの少し冷たい唇が、コノエのそこを撫でるように掠めていく。それを二、三度くり返し、やがて深いくちづけになる。
「……っ、んん……」
 ライの舌が咥内の傷に触れて少し痛んだ。それでもライと触れ合いたくて、コノエも舌を絡ませる。音がたつほど口を吸い合い、濡れた唇に互いの吐息がかかる。
 ライの舌がコノエの頬に触れ、ざらりと舐めあげる。そのまま毛繕いの要領で舌は目尻からこめかみへと這い、耳のなかに忍び込んできた。
「あっ……」
 くすぐったさと、それ以外の何か。コノエが背筋を震わせると、ライは耳の裏にくちづけながら囁いた。
「過去は……俺にとって忌むべきものでしかなかった」
「……ライ……?」
「知っているか……?コノエ。時の道筋はひとつではなく、蜘蛛の巣のように無数に分かれ八方に拡がっているんだそうだ」
 突然の語りかけにコノエが戸惑っていると、ライの手がさらりと上衣の裾から忍びこんできた。
「ひとつでも過去の因果が違えば、俺とお前の道筋は交わることがなかったかもしれん……。出会うこともないか、出会っても、つがいにならずにいたか……」
 神妙な口調とは裏腹に、ライの指先は淫猥な動きでコノエの乳首をさすっていた。胸の奥がだんだんと熱くなるのは、指のせいか言葉のせいか。
「ラ……イ……」
「そう考えれば、忌むだけだった過去にも意味があると思えてきた。過去は……振り返るものではないが、消し去りたいとも……いまは、思わない」
 胸が、大きく鳴った。たまらなくなって、コノエはライにしがみつき、もう一度くちづけをねだった。息もつけないほど深く口を吸われて、コノエは震えた。
  

「っ、……あ、ぁ……は……」
 寝台の上、素裸になったコノエはライに後ろ抱きにされ、快楽の芽をつまみあげられていた。ライの舌は、コノエの肩から首筋を、右の手は赤く色づいた雄茎を、左の手は固くしこった乳首をそれぞれ可愛がっていた。
「感じるか?」
 囁かれて、コノエはライの腕にきつく爪を立てた。ここまでされて感じていないわけがない。
 やり返すように、ライの指が雄茎のくびれをひときわ強く揉みたてた。絞られるように先端から先走りが溢れ、コノエは細い悲鳴をあげた。
 一番敏感な部分を苛むように、けれどそれ以外の部分をいたわるように愛撫され、コノエの体はすでに蕩けきっていた。尾の根のあたりに触れているライの欲望、すでに固く熱くなっているそれが、早く欲しいとコノエは思う。
「ライ………」
 懇願の意を込めて名前を呼ぶ。
「まだだ……」
 掠れた声でそう言うと、ライは後ろからコノエの膝の裏に手をまわし、腰を浮かせるように抱えあげた。
「あっ……」
 羞恥に抵抗する間もなく、ライの濡れた指が、むき出しになった臀孔に潜りこんできた。
「く、あぁっ……ん……」
 いったん指を引き抜き、入り口のあたりを捏ねてまた潜らせる。それを何度かくり返すうちに、だんだんそこは柔らかくなり、ライの指を滑らかに飲み込むようになる。ぬるぬると指が行き来する感触に、コノエの背筋が小さく震えた。
「ああ……あ、あっ……ラ、ライ……」
 指だけで達しそうになり、コノエは足をばたつかせた。「がっつくな」とライが耳元で囁き、指を引き抜いた。
 コノエの体はライに抱えられたまま、ゆっくり前に倒され、そのまま四つん這いの格好をとらされた。濡れてひくつく孔をライに見られているのかと思うと、羞恥と興奮で涙が滲む。早く、早く、と言葉に出せない思いを鼓動とともにくり返す。
 熱い塊が尻の狭間を割った。
「……は、あっ……」
 ゆっくりとライの猛りがコノエの粘膜を開いていく。じりじりとそれが埋まっていくたびに、コノエの口からあられもない声が漏れた。恥ずかしいと思いながらも止めることができない。
「あっ…あー……あ、うあ……はっ…」
 ライの動きが止まり、背中に吐息が落ちる。どうやらすべてがコノエの身の内に収まったらしい。
 ライの欲をもっと感じたくて、コノエは力を抜くよう努めていたそこを、あえて締めてみた。
感じる──腹の奥に届きそうなほど、大きくて熱いライの、ものが……。
「んん……っ……」
 それだけのことで、鼻にかかった甘い声が漏れた。ライは呆れたように「動いてもいないうちから、これか」と呟き、コノエの両の腰骨に手を添えた。
 そのままゆっくりと抽送を始める。
 濡れた音をたてながら、ライの雄茎がコノエのなかを出入りする。怖いくらい拡げられた孔を擦られ、怖いくらい体の、奥の、奥まで──
「ああ、はっ…あ、う、あああ……あっ、あ」
 自分のあられもない声に、ライの短い喘ぎが重なる。その声がまたコノエを刺激する。もっと聞きたいと思うのに、自分の声が抑えられない。
「ライ……っライ……」
「……コノエ……っ」
 ライが、自分のなかにいる。
 こんなにも深く繋がっている。
 それは眩暈がするほどの幸福だった。けれど、この瞬間もみるみる過去になっていくのだろう。
 過去は自分たちのなかに降り積もり、また新しい自分を創っていく。
 自分も……ライの血肉になれているだろうか?
 ひとつ大きくなかを穿たれ、コノエの瞼の裏に光が散った。
「ライ……も、もう……っ……」
 荒い息でコノエが訴えると、ライはコノエの前に手をまわし、弾ける寸前の雄茎を扱きたてた。
「あ、ああああ……うっ…あ……!」
 猫のように頭を左右に振ってコノエは絶頂を迎えた。体の奥がきゅう、と引き絞られて、ライの手のなかに、はしたないほどの量を吐き出した。
少し遅れて、ライが息を詰める気配が伝わった。敏感になった粘膜が、ライの脈動と熱い迸りを感じとる。
「ん……あ……ライの……が……」
 染みていく────満たされていく。
 ライの重みが背中にのしかかった。ライの激しい鼓動が伝わってきて、それが何故だか嬉しかった。
 二匹は繋がったまま荒い息を交わしていたが、しばらくしてライが体をずらし、自分の雄茎をゆっくり抜き取った。
「あ………」
 すぐには閉じきらないそこから、ライの精がとろりと溢れた。コノエは慌てて尻尾で隠そうとしたが、ライの手に払いのけられた。
「いまさら隠そうとするな」
 そう言われて布で拭われた。睦み合うのは嫌いじゃないが、事後の始末はいつまでたっても慣れることがない。
「……ありがとう……」
 そう呟いた声はひどく掠れていた。
「水を飲むか?」ライに問われて素直にうなづく。
 ライは寝台から降りると、裸のまま水瓶のある窓際へ向かう。
 水を汲むライの裸の背を、コノエはまるで初めて見るような気持ちで見つめていた。
 その背中は、もうあのときのものではない。白い肌だけはそのままに、しなやかな筋肉のついた雄々しいそれ。
 この背中は、もう色々なものを知ったのだろう。
 害なす者の憎しみの視線も、強敵を前にした汗の冷たさも。
 そして────
「何だ?」
 ライがコノエの視線に気づいて問いかける。
 コノエも寝台から降りて、ゆっくりとライの前まで歩み寄った。
 ライの水縹の目をそっと覗きこむ。
 この先、もし、どちらかの命が失われることがあったとしても、残されたほうが生き続ければ、それは意味のあることなのだろう。
 「過去を振り返るなって言う、アンタの言葉、少しわかったような気がするよ……」
 そう言ってコノエはライの胸板に額をすり寄せ、そっと背中に手を回した。

 彼の背はもう知っている。
 愛する者の掌の温もりを────
 

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