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2007年7月 7日 (土)

貴方の好きな歌  前編

「治癒の歌?そんなものが歌えるのは、たまのみの賛牙ぐらいじゃろうて」
「たまのみの賛牙?」
「言葉どおり、魂のみ、つまり肉体をもたない賛牙のことよの」

 向かい合わせに座り呪術師の言葉を神妙に聞き入るコノエから、数歩離れたところでライは憮然と腕組みをして二匹を見下ろしていた。
 この胡散臭い呪術師と出会ってから、もうすぐ十の指では足りないほどの年月が経つ。そのときはまだ子猫だったコノエはもちろん、ライでさえ多少の変貌があるというのに、この呪術師の姿には毛ほどの変化もなく、会うたびに時を巻き戻されるような奇妙な気分にさせられる。
「肉体をもたないって……それって死んだ賛牙ってことか?」
 コノエの言葉に呪術師は軽くうなづき、だるそうに組んだ足を組みかえる。
「おぬしも賛牙ならわかるじゃろう?賛牙の歌は魂で奏でる歌。しかし肉体は、歌を阻み音をにごらせその効力を鈍らせる。いわば壷のなかで楽器を鳴らすようなものじゃからの」
「………」
「しかしたまのみの賛牙ならば、その歌の力をすべて解き放つことができる。治癒の歌くらいわけないであろうよ」
 コノエの唇が引き結ばれ、得心したように笑みの形をとる。コノエが誰のことを思い浮かべているのかは瞭然だった。ライが自分の目で見たわけでないが、コノエから話だけは聞いていた。コノエを導き、幾度も危機から救ってくれたという赤茶の毛並みの歌うたい──あれが、たまのみの賛牙だったのだ。
「賛牙が死ぬと、たまのみの賛牙になるってことか?」
 コノエの呟きにライの耳がぴくりと動いた。我知らず眉根が寄る。呪術師はちらりとライを横目で見るとすぐに視線をコノエに戻し、ため息のような間延びした声を吐き出した。
「そんな簡単なものなら、祇沙にはたまのみの賛牙が溢れているじゃろうて」
「う……」
「闘牙だろうが賛牙だろうが、死すれば魂は黄泉路へと向かうもの。それは水が上から下へ流れるように誰に止められるものでなし。たまに強く現の世に未練を残す者もおるが、やがて猫の心は失せて、その執着のみの存在──屍鬼か亡霊になってさまようのが関の山じゃ」
 言いながら呪術師はコノエの眼前で、からかうようにひらひらと手を振った。
「猫の心を保ち続け、現の世に魂だけをとどめ続けるのは、それはそれは精神力のいることじゃ。あきらめなされ。血肉のある者に治癒の歌など歌えはせん」
 呪術師の言葉に、ライはそっと安堵の吐息をついた。
 利かん気の強い子猫だったコノエも、十の年月で大人び、穏やかな落ち着きを見せるようになったが、やはり中身はいまだ頑固で強情で、触れると弾ける木の実のようだ。
 そんなコノエが、治癒の歌を体得したいと言い出し、ここしばらくの間それに関する調べごとで藍閃をかけ巡っていたのだ。
 ライにとっては、そんな歌はどうでもいいことだった。何度も「くだらん」「やめろ」と言ったが、耳を伏せられ聞き流された。しかし、この祇沙の生き字引とも言うべき灰猫の言葉にはあきらめざるをえないだろう。
「さて」
 呪術師が言葉とともに、ライのほうへと顔を向ける。
「白猫。おぬしのほうも、何かわしに聞きたいことがあるのではないのか?」
 すべてを見透かすような視線。忌々しさに揺れそうになる尾に力をこめて抑え、「そんなものはない」と短く吐き捨てた。
「ほう……まあよい。また何か聞きたいことを思い出したら来るがよい。お前のつがいが、いぎたなく寝こけているときにでも、のう」
 後半、からかうように声をひそめる呪術師に、ライは小さく牙を食いしめた。
 

 呪術師の祠を出て、藍閃へと続く森を歩く。
 空はすでに薄い橙に染まっている。藍閃に着く頃には夜になってしまうだろうが、野宿はせずに済みそうだ。繰春の祭も終わって季節は夏に向かっているが、いまのコノエにできるだけ野宿はさせたくない。
「結局、すべて無駄足だったな」
 数歩後ろを歩くコノエの気配に絶えず気を払いながら、それでもライは横柄な口調で言ってやる。
「だいたい治癒の歌が必要になるような怪我を負うほど、俺は鈍間じゃない」
「わかってるよ……そんなこと。でも」
 せわしなく草を踏む音が聞こえて、コノエの気配がライの背に追いついた。
「最近……アンタ、大きな仕事請け負わないだろ?何日も森を渡らなきゃいけないような長丁場の。それって、やっぱり俺のせいなんだろ?」
「………」
「わかってる。いまの俺が足手まといだってことぐらい。だからせめて、もっと強い歌を覚え……」
 ライはやにわに振り返ると、すぐ後ろにいたコノエを抱き寄せ、その耳にかじりついた。身を捩って逃れようとする馬鹿猫をさらに抱きしめ、低い呟きをおとす。
「馬鹿が。二、三度寝込んだくらいでなにを弱気になっている。最近はこれといって旨味のない仕事がないから引き受けてないだけだ。いい仕事がはいったら、こき使ってやるからいまは休んでいろ」
 最後に薄茶の耳をひと舐めして、ライはコノエを解放した。
 言われたコノエがどんな表情をしているかも見ずに、ライはまた前を歩き出す。後ろで小さなため息が聞こえたが、聞かないふりをして歩き続けた。

 少しづつ、少しづつ、コノエの体が衰弱している。
 それが顕著になったのは、ここ二年ほどだ。季節の変わり目にコノエは体調を崩して寝込むようになった。特にこの冬は、五日月も起き上がることができずにいた。歌を歌ったあとの回復も遅くなり、平素を装おうとしてもひどく辛そうだった。
「自分は長く生きられない」と、コノエからは聞いていた。その言葉は理解していたが、実感はライのなかでひどく薄い。自分が剣を携えた刹那のなかで生きてきたせいか、未来に対しての明確な像が描けない。自分だっていつかは死ぬのだ。賞金稼ぎなどをやっていれば殊更それは身近だ。自分の死にもコノエの死にもそれなりの覚悟はできている。しかし、いまの状態がゆるゆるとコノエの死に繋がっているとは………思いたくはない。
 

 藍閃の門をくぐる頃には、陽の月は翳って空は濃紺に染まっていた。
 夜歩きの猫たちの間をすり抜けて、二匹はまっすぐにバルドの宿へ向かう。
 バルドの宿を定宿にするのは、ライとしては癪だったが、飛び込みにも長逗留にも文句を言わずに泊めてくれるのは、ここぐらいしかない。
 煤けた木の戸を開けると、受付でバルドが酒を呑みながら本を読んでいた。
「あいかわらず舐めた仕事ぶりだな」
 呆れてライが呟くと、バルドは目線だけをライに向け
「誰かさんたちの帰りが遅いせいで、こんな時間まで仕事してなきゃならん。むしろ褒めてほしいぐらいなんだが」
 言いながら両手をあげて大きく伸びをした。
「ごめん……バルド」
「何故、お前が謝る」
「ところで何か収穫はあったのか?その、治癒の歌とやらの」
「いや……やっぱり普通の賛牙には歌うのは無理みたいだ」
 コノエもバルドもライをいなすことにかけては天下一品だ。憮然としつつもそれ以上の言及はせずに、ライは二匹の会話に耳を傾けた。
「そうか。まあ、いまのままでもアンタは賛牙としては、上の上だと思うがな」
「………」
 コノエが複雑な表情を浮かべて口ごもった。またくだらん卑下をしているのかと、ライは内心で舌打ちをする。
「ところでアンタ」
 わずかに声を笑ませて、バルドが頬杖をついたままコノエの顔を覗きこんだ。
「賛牙の歌もいいが、普通の歌もたまには歌ってくれないか?アンタの歌を聴きたくて宿に来るお客も少なくはないんだぞ」
「あ、ああ……じゃあ明日の夜でよければ歌うよ」
「そうか。じゃあ夕飯の後に食堂に集まってもらおう。久しぶりだからな。ゲンさんも呼ぶとするか」
 虎猫はそう言ってひげ面に満面の笑みを浮かべた。コノエもつられて笑顔になる。こんなふうにコノエから素直な笑顔をひきだす術を、ライはいまだに会得できずにいる。大人げないと思いながらも不愉快の色を隠そうともせず、ライはコノエの腕を引いた。
「いつまで無駄話をしている。馬鹿猫」
「ああ。ごめん」
 話の腰を折られて、昔のコノエなら口を尖らせて言い返すだろう場面も、いまのコノエは穏やかに笑って受け流す。自分の子供じみた悋気などとうに見透かされているのだろう。自分ばかりが変わっていないようで、ライは我知らず眉間に皺を寄せていた。

 十の年月の間に変わったものはいくつかある。
 ライとは頭ふたつぶんほどの開きがあったコノエの背は、いまやライの頭半分ほどにまで伸びている。編んだ髪は腰までの長さになり、面差しもすっかり大人のそれだ。大きなところでは、もうひとつ、コノエは声と楽器を奏でての歌も歌うようになっていた。
 きっかけは何年か前の祭のとき、コノエにリュートを買ってやったことだった。道具屋の屋台の前で、古びた弦楽器をコノエがじっと見つめていて、聞けば、父猫の持っていたものに似ているという。そんなに気になるならと固辞するコノエを無視して買いあげた。
「べつにいいのに……」などと文句を言っていたコノエだったが、やがて少しづつ弦を爪弾くようになり、雨だれのような不規則な音が曲と呼べるものになるまでに、たいした時間はかからなかった。
 心のなかの調べを歌として形にするのは、コノエにとっても楽しいことらしかった。賞金稼ぎの仕事にでる間は、リュートはバルドに預かっていてもらい、時間ができるとコノエは歌を歌った。
 最初は恥ずかしいからと、宿の裏庭でこっそりと歌っていたが、「この狭苦しい宿のどこで歌っていようが同じだからこそこそするな」とライが叱ると、おずおずとライの前で歌うようになった。
 やがてバルドが「俺にも聴かせてくれよ。リュートの預かり賃だと思ってさ」などと言ってきた。ライとしては不本意だったが、コノエは夕食のあとの寛ぎの時間に食堂で歌を歌うようになった。
 最初はライとバルドだけで聴いていたものが、だんだんと宿の泊まり客までが集まりだし、いまでは歌うたいとしてのコノエは藍閃でちょっとした評判だ。

 そのあたりのことについては、ライの心中はやや複雑だ。
 誇らしい気持ちと、わずかばかりの後悔と、子供じみた独占欲。
 次の日の夜、宿の食堂に集まった猫たち──泊り客以外に近所の猫たちも来ていた──の前で朗々と歌うコノエを見て、ライはまた、そんな気分を味わっていた。
 しかし、それでも、目を閉じて耳を傾けているうちにライはコノエの歌に引き込まれていく。コノエに詩心があるのかないのかライにはよくわからない。しかし朝の光、花の香り、川面のきらめき、そんなものがライのまぶたの裏に浮かんでは消えていく。叙情とは無縁に生きてきたライの心を、ささやかにだが揺さぶる力がコノエの歌にはあった。
 優しい歌のあと、コノエは軽快で明るい祭の歌を、そして最後に哀しい歌を歌った。
 それは愛する者を失う悲しみを綴った歌だった。
 愛する者が何者か、詩ははっきりとは語らない。肉親とも友人とも恋人とも受け取れた。答えはおそらく聴く者の胸のなかにあり、コノエの歌声はそれを切々と問いかけた。
 猫たちは目を閉じてそれに聴き入り、なかには酔いのせいか泣き出す者もいた。ただ、ライだけは腕組をしたまま憮然の態を崩さずにいた。
 愛する者を失う悲しみなど──ライは知らない。
 だから歌に問われても、胸のなかには何も、何も湧いてはこなかった。

.

「お前もずいぶんと小賢しくなったものだ」
 演奏を終え、そのあと客の酒に少しつきあって、陰の月が西に傾く真夜中に、ようやくコノエとライは部屋に戻った。
 リュートを壁に立てかけ服を緩めていた背に、そう声をかけられ、コノエはライのほうを向く。
「……何?」
「あんな歌で客を泣かせる芸当なんて、どこで覚えた」
「ああ、あの歌か」
 コノエは小さく笑って編んだ髪をほどき始めた。
「時々、夢をみるんだ。遠い昔に誰かを失くす夢を。それが誰かとか……はっきりしたことは全然覚えてなくて、ただ悲しいって気持ちだけが残ってる。悲しいんだけど、なんか、忘れたくなくて、だから歌にしてみたんだけど……」
「俺はああいう歌は好かん」
 コノエの指先はもたもたとして、長い結い髪をなかなかほどくことができない。ライはコノエの背に寄って、髪の房を手にとった。コノエの耳がぴくりと跳ねた。
 ライの、闘牙にしては白く長い指先が、コノエの髪をゆっくりと梳いていく。
「俺は……ああいう歌は好きじゃない」
 もう一度言う。
「じゃあ、ライはどんな歌が好きなんだ?やっぱり楽しい歌のほうがいいのかな。こないだ歌ったじゃらしの花の歌みたいな」
「……べつに特には、ない」
 ライが言うと、コノエはくくっと笑って小さく背を震わせた。なんだ?とコノエの髪のひと房を軽く引っぱると、コノエは顔だけで振り向きライを見つめると
「……そう言うと思った……」
 そう呟いて、笑んだ。
 ムッとなって、その小憎らしい唇にライは噛みつくようにくちづけた。
 こらしめるようにきつく抱きしめ、息もつけないほど唇を吸いあげた。コノエが苦しさを訴えてライの肩を叩くと、ライはようやく唇を離し、鼻で笑った。
 上目でライを睨むコノエに、ふいに慈しみにも似た気持ちが湧きあがり、ライは目を細め今度はゆっくりと唇を重ねた。コノエも目を閉じ、それを受けいれる。
 舌でコノエの唇をつついて、招きいれろと催促する。薄く開かれた口に舌をいれコノエのそれと絡ませた。わずかに酒の甘さの残る唾液を交し合う。
 コノエの上唇と下唇を交互についばんで、軽く噛み、ようやくライは顔を離した。しかしすぐにコノエの赤く染まった目尻に吸い寄せられて、そこにくちづけを落とし、前髪をかきあげ額にもくちづける。
 射精という終着のある交尾と違い、くちづけや毛づくろいはいったん始めるとやめどきが定められなくて困る。いつも腕のなかのコノエが焦れて身じろぐまで、しつこく続けてしまう。
「ん……ん、ライ……」
 現にコノエは、呟きにわずかに抗議の色を含ませ、鉤尻尾をライの尾にゆるりと絡みつかせてきた。その潤んだ目が何を求めているのかは、瞭然だったが……。
「……体に、障るぞ」
 コノエを見下ろして、ライは静かにそう言った。
 冬に長く寝込んで以来、ライはずっとコノエを抱いていない。リビカは発情期以外は性衝動が強くないので、我慢はそれほど苦ではない。
 いまのコノエは無理をさせたら、すぐに壊れてしまいそうな心許なさがあった。またライのほうも、いったんその体を抱いたら、ほどほどで済ませられる自信がない。腹の奥に欲情の焔があるのは自覚していたが、いまならまだ消しつぶすことはできそうだった。
 コノエは不満げに眉を寄せると、ライの肩に額をすり寄せ吐息をついた。
「……だったら、するなよ。こんなこと」
「………」
「俺に弱気になるなって言ったくせに……。弱気になってるのはアンタのほうじゃないか?俺の体はもう大丈夫だよ。それとも」
 コノエは顔をあげ、ライに視線をぶつけた。その目が挑発的に細められる。
「もう、このままずっと、しないでいるつもりなのか?」
 ライは目を閉じて、観念の意をもって重いため息を吐いた。
「そんなこと……できるわけないだろう」
 そう呟いて、もう一度コノエにくちづけた。コノエもライの首に腕をまわし、それに応える。密着した胸が服ごしにも熱い。
 ライはコノエの背にまわした手をゆっくりと下げていき、右手で尾の根を、左手で腰骨のあたりを撫でた。コノエの体がぴくりと跳ねて、わずかに体を離したすきに、ライは左手をコノエの股間に滑りこませた。
「あ……」
 そこは、布の上からでもわかるほど固くなっていた。
「なんだ?少し口を吸っただけで、もうこんなか」
 意趣返しの意味をこめて、少し意地悪く囁く。
「アンタだって……っ」
 コノエも同じようにライのそこへ手を伸ばす。ライの雄も固く、コノエの手にあまるほどの大きさになっていた。
 しかしライは平然と
「お前がそうしたんだから、責任はとってもらおうか。久しぶりだからそうそうすぐには治まらんだろうがな」
 そう言って片牙をちらりと見せて笑った。

.

 
 久しぶりに重ねる素肌、白くてさらさらと温かいコノエの肌を、ライは掌でたっぷりと撫でた。その皮膚の下の肉がずいぶん薄くなったことに気づいてはいたが、いまはコノエと悦び合うことに気を向けようと見ないふりをする。
 首筋を舐めて、鎖骨を甘噛みする。それだけでコノエは小さく叫んで仰け反った。身を捩って性急に快楽を求めようとするコノエを抑えつけて、ライはじりじりとした弱い愛撫を続けた。
「あ……ん、ぁ。ライ……っ」
 なじるようなコノエの声。ライがコノエの下肢に視線を向けると、そこはすでに筋を浮かせていきり立っていた。ひくひくと揺れる先端からは、透明の雫が滴っている。懇願の塊のようになっているその部分を、どう虐めて、どう可愛がってやろうかと、ライは目を細めて考える。
 顔を近づけて、そっと息を吹きかける。それだけでコノエは小さな声を漏らす。
「ラ、イ……」
 コノエに呼ばれる自分の名が耳に心地よい。もっと聞きたいと思い、薄桃色の茎の先端を舌で軽くつついた。
「ひ、……あっ」
 コノエの腹が引き締まる。すぐに達せられてはもったいないと、ライはコノエの幹の根元を指で縛めた。握りこまれてさらに張りつめたそこを、ゆっくりと下から上、上から下へと舐めあげる。
「ライっ……!も、や……いやだ。くるし……っ」
 咎めるように、コノエの手がライの髪をかきまわした。しかしまだ解放してやる気はライにはない。指の力はそのままに、コノエの幹から舌を離し、内腿を軽く噛み、袋の部分に舌を這わせた。
「あ……、あ、ああ」
 射精にまで到らせないほどのゆるい快感は、逆にコノエを宥めたようだった。腹から腿への緊張がほどけて、手のなかの膨張もほんの少し治まった。
 そっと幹から手を離し、コノエの顔を覗くと、涙を浮かべた杏色の目に睨まれた。
「……意地悪だ。アンタ……」
「いまごろ知ったか」
 コノエの憤けた口調に、ライはからかいで返そうとしたが、思いのほか優しい声音になってしまった。コノエの目から険が抜けて、苦笑するように細められた。
「忘れてた……。アンタ、最近ずっと優しかったから……」
 その言葉に、ライは白くけぶる睫毛をしばたかせた。
「お前の口から、そんな殊勝な言葉が出るとはな」
 言いながら、ライはコノエの目尻を舐めた。涙の味が舌に滲む。
「ああ……でも、アンタはやっぱり意地の悪いほうがいい。優しくないほうが……いい」
 溜息のように吐き出されたコノエの言葉の意味を、ライはすんなりと受け取った。弱ったコノエを気遣う優しさなど、コノエはきっと欲しくないのだ。憎まれ口を叩きあい、噛みつき合っているほうが、自分たちにとってはよほど健やかであることだろう。
 そして、それはライも同じだった。いま、コノエは、自分がライの負担になっているのではと、そのことをひどく気に病んでいる。そんな懸念がなにになる。
 この馬鹿猫に、どうすればわからせることができるだろう。
 (お前がここに在ることだけが、俺にとって、たったひとつの意味あることだと。)
 しかしライは、胸のなかに湧く情動を言葉にすることができなかった。そういう類の語彙がライはひどく乏しい。牙を食いしばるほどの愛しさを、結局いつも少し捩れた態度に託す。
 コノエをうつ伏せにさせ、腰をつかんで高くあげさせる。あらかじめ枕元に置いておいた瓶に手を伸ばし、油を薬草に漬け込んで作った膏薬を指に垂らした。
 濡れた親指を、ライはコノエの臀孔にそっとあてがった。戸惑いにコノエが息を詰めるのがわかったが、ためらわず指先をそっと押し込めた。油の滑りを借りて小さな窪みは、やすやすとライの指を根元まで飲み込んだ。
「……っ……」
 久しぶりの行為のせいか、コノエの体が緊張に竦みライの指をきつく締めつけた。ライは残りの指でコノエの尻をゆっくりと撫でて宥めた。ときおりなかの指を円を描くように回すと、コノエの鉤尻尾が面白いほどゆらゆらと波打った。
 コノエの惑いも快楽もすべてを明け透けにする尻尾を眺めながら、ライは指を増やし蠢かし、コノエの体をゆっくりと開いていった。
「ラ……イっ……」
 柔らかい肉壁の固い一点を刺激すると、懇願のような呟きとともにコノエの尻尾が縋るように、ライの腕に絡みついてきた。請われるまでもなく、ライの我慢もそろそろ限界だった。
 ライは自分の雄茎にも油を塗って、コノエの背に覆いかぶさった。目の前にあるコノエの耳──薄毛の白い部分が紅潮して薄い桃色に染まったそれをライはそっと唇で食んだ。
「力を抜け」
「あ……っ、く……」
 コノエの尻の狭間に自分の欲望をあてがう。ぬらぬらと逃げるように滑るそこに、やや強引に先端を埋め込んだ。「ひっ」とコノエの喉が細く鳴った。
 反射的に逃げようとするコノエの腰を片手で押さえ、ゆっくりとライは、その身を埋めていった。
 きつい入り口を過ぎると、コノエの体はもう拒むことはない。底なしに柔らかく熱い肉壁がライを受け入れてくれる。
 繋がっている──その実感に、ライは充足の吐息をつく。
 緊張のためか、ぺたりと伏せられているコノエの耳に「動くぞ」と囁いて、ライはゆっくりと腰を揺すり始めた。
「ん、ん……あ、っ」
 コノエの声に悦楽のの甘さが混じっているのに気づき、ライは安心してコノエの中を味わった。突きあげ、揺すりたて、捏ねまわし、極みまで繋がってなお、もっと欲しいと渇望し───気がつけばライは、獣のように息を荒げてコノエの体を懸命に貪っていた。
 そしてコノエもまた、全身に汗を浮かべて自ら腰をくねらせ、淫奔にライの雄を味わっている。それはまさに貪りあうといった態だった。
 「コノ……エ」
「ラ、イ……っ、あ、あっ……ライ」
 熱い情動が胸のなかでうねり、堪えかねてライはコノエのうなじに祖先のように牙をたてた。十の年月を共にしていても、まるで褪せることのない感情。互いを食らって糧にして、そうしてこの想いを生み出しているのだろうか。
 そのとき──ふいに。
 ライの閉じた目の闇から、まるで夜魔が囁くように、その「言葉」が浮かびあがった。

 ──この猫を失って自分は正気でいられるだろうか──

 轟々と風が吹き込む底なしの穴のような、ぽっかりとした恐怖がライの腹に落ちた。
 それを振り切るように、ライは牙を食いしばり、コノエの腰を掴んで、猛然と動き始めた。
「あ!ラ、……イ?あぁっ!」
 突然激しくなった抽送に、コノエはとまどいの声をあげた。突きあげられてがくがくと揺れる体を、シーツに顔を埋めて支える。苦と悦のいり混じった声が切れ切れに漏れた。
「あっ……あ、ん……うっ……っく」
 コノエの背筋が硬くなったのが、重ねたライの胸板に伝わってくる。絶頂が近いのだろう。コノエが体の内に力をいれ、ライの雄を絞りあげる。眩むような快楽に、ライも呻きを止められなかった。
「………っ!」
 コノエの体をきつく抱きこみながら、ライはコノエのなかで達した。小さく「熱い」と呟く声が聞こえて、直後、粘膜をひくつかせながらコノエも射精した。
 雄に触れないままに達するそれは、勢いがなく、とくとくとしているが快楽はそのぶん長い。コノエは細い泣き声をあげながら途切れない快感に身を震わせていた。それがあまりに可愛いので、ライは腰を回して、もう一度コノエのなかを味わった。
 互いの荒い息が治まるのを待って、ライはゆっくりと体を離し、コノエの体を寝台の上で仰向かせた。
 コノエの顔は、汗と涙と口端に滴る唾液で濡れそぼっていた。ぼんやりとさまよっていた視線がやがてライに向けられ、それが怪訝そうなものに変わる。
「……なに、笑ってるんだよ……」
 言われて、ライは自分が微笑んでいることに気がついた。
「随分と、毛づくろいしがいのありそうな顔だと思っただけだ」
 そう言って、コノエの頬に舌を這わせた。わざとらしく嫌そうな顔をしていたコノエだったが、重そうなまばたきを繰り返して、やがてライの腕のなかで寝息をたて始めた。コノエが眠ってしまったのをいいことに、ライは丹念にその毛をつくろった。抱いているコノエの存在を確かめるように、慈しみをこめてライは舌を這わせ続けた。

.

 いまのコノエは、「ひびのはいった器」だ───
 
 夏のはじめ、ライとコノエは久々に賞金稼ぎの仕事に出た。
 枝渡りの盗賊を追って、半月巡りほどを森のなかで過ごした。盗賊を追い詰めた末の接近戦で、コノエが歌った賛牙の歌は心地よくライの体に響き、その剣に力を与えてくれた。
 コノエ自身もそれは満足のいくものだったらしい。難なく賞金首を討ちとり、報奨金も上々、そして何より「久しぶりにアンタに歌が歌えた」と言って屈託なく笑った。

 しかし、それからしばらくして、コノエは高い熱を出して寝込んだ。
 バルドが薬湯を作ってくれたりと、何くれと世話を焼いてくれるので「すまない」と一言言ったら「こりゃあ雪が降るかもしれないなあ」と大笑いされたので、ライは金輪際何も言うまいと決めた。
 三日月めにいよいよ病状は悪化して昏睡に近い状態に陥った。そんなコノエを傍で見ているだけしかできない自分にライはひっそりと腹をたてた。
 四日月めにコノエはようやく意識を取り戻し、五日月めには半身を起こせるようになった。
 ライがコノエの様子がおかしいことに気づいたのは六日月めだった。
 薬湯を匙でコノエに啜らせていたライは、その匙を見るコノエの視線に妙な違和感を覚えた。
 コノエに片目を瞑らせ、開いている眼前に手をかざし、ようやくライは気がついた。
「お前……右目が見えていないのか?」
 その言葉にライを見上げても、コノエの右の瞳は動くことなく宙をさまよっていた。

 

 

 
 
 

 
 
 
 
 
 

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