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2007年7月10日 (火)

貴方の好きな歌  後編

「大丈夫。片目が見えなくたって歌を歌うには差し支えないし、それにアンタだって同じだろう?どうってことない」

 まるで、こうなることがわかっていたかのように、驚きもせずに淡々とそう言うコノエに、ライは密かに苛立った。
 わが身に起こった理不尽に嘆き、怒り、それらを全部ライに向けて叩きつけてくるなら、コノエの気が済むまで全部受け止めてやれるのに。何故当たり前のようにすべてを背負い込もうとする?
「……とにかく、いまは休むことだけを考えていろ。体が回復すれば視力も戻るかもしれん」
「また……アンタに迷惑をかけるのか」
「お前が無理を押して歌を歌うというなら、そっちのほうが迷惑だ。仕事なら俺ひとりでもできる。元々はずっとそうやってきたんだからな」
 コノエが息を呑む気配が伝わった。
「嫌だ!俺はアンタの賛牙だろう?アンタが闘っているときに呑気に寝ているなんてできるわけないだろう!」
「子供みたいなことを言うな!」
 病み上がりのコノエに声を荒げてしまった自分を恥じ、ライは口を閉ざした。
 数瞬の沈黙のあと、コノエの力ない溜息が聞こえてきた。憤っているようにもやるせないようにも、たんに疲弊しているようにも聞こえた。
  ライは、コノエの背を片手で支えると、ゆっくりと体を寝台に横たえさせた。毛布を肩までかけてやり、耳を軽くひと舐めする。
「……いまは寝ていろ……」
 優しく、強く、ライがそう言うとコノエはおとなしく目を閉じた。やはり体がまだ回復していないのか、すぐに寝息をたて始めた。ライはコノエの寝顔をしばらく眺めていたが、やおら立ちあがり壁にかけてあったマントを羽織った。
 階段をおり、受付にいたバルドに「少し出かけてくる。コノエを頼む」と言って宿を出た。

.

 何故、そこへ向かっているのか、自分でもよくわからなかった。ただ漠然とした因果のようなものを感じていて、それを確信したかったのかもしれない。
 藍閃のはずれから森にはいり、迷いなく歩き進む。陽の月が空の真上に昇る頃、苔むした岩の祠にたどり着いた。
 十の年月に晒された祠の岩壁は苔に覆われ蔦に巻きつかれ、いよいよ世捨ての雰囲気を醸していたが、家主のほうはあいかわらずだった。
「おお、白猫。やっと聞きたいことを思い出したか」
 ずかずかと踏みいってきた無礼な白猫に憤慨することもなく、呪術師は石の長椅子にだらしなく横たわったまま、手を振ってみせた。
 ライは乱雑に詰まれた得体の知れない物品の山の間をすり抜けて、呪術師の前に立った。腕組みをして灰猫を見下ろす姿は、およそ誰かに物を訊ねる態度ではなかった。
「コノエの体はどうすれば治る?」
「はて……?わしは医者ではないんだがのう」
「わかっている。だから聞いている」
 ライの言葉に呪術師は、少し感心したように目を細めた。
「ほう。わかっておるか。あの賛牙の体、薬や養生でどうにかなるものではないと」
「……闇の魔術師とひとつになったと聞いたときから、あれの命が長くないことは知っていた。しかしあれの体をあやかしごとが蝕んでいるなら、治すこともあやかしごとでできるんじゃないのか?」
「勘違いしてもらっては困るのう。白猫」
 呪術師は、ゆっくりと長椅子から身を起こすと、近くの棚から茶器を手に取り、どす黒い「何か」を注いでライに手渡した。
 ライが胡乱げな視線を向けるのにもかまわずに、呪術師は茶碗の中のものを美味そうにすすった。
「魔術や呪術のあやかしごとは、万能ではない。死者を傀儡にできても生き返らせることはできぬ。雲を呼ぶことはできても月を落とすことはできぬ。不可侵な理は確実に存在し、あの賛牙の体については、まさにその不可侵の領域じゃ」
「…………」
「早く飲まぬと漏れてくるぞ」
 間延びした声をかけられライが手元を見ると、手にした茶碗には小さなひびがはいっており、そこから黒い液体がじくじくと漏れ始めていた。
「何だ……これは」
 液体は元から熱くなかったので、しかたなくライは器のなかのものを一息で煽った。液体は甘く苦く、鼻から焦げるような匂いが抜けたが予想に反して悪い味ではなかった。
「あの賛牙の体──まさにこのひびのはいった器じゃの」
 飲み干して空になった器を呪術師は、ひょいとライの手から取りあげた。
「これにひびがいったのはかれこれ三年前。だましだまし使い続ければまだあと何年かは使えるじゃろう。しかし」
 呪術師はいつの間にか右手に金属でできた玉を手にしていた。それを床の上に置き、その上から逆さにした器で覆いをする。
 そのまま器を床の上で円を描くように動かすと、中からコ──ンと高い金属音がして、器はあっけなくふたつに割れた。
「これこのように」
「……なにが言いたい」
「おとなしくさせていれば、まだあの賛牙もとうぶんは生きていられるということじゃ。内から音を鳴り響かせれば、器のひびも広がるばかりよの」
「賛牙の歌か……」
 ライも薄々と気づいてはいた。賛牙の歌がコノエの命を削っているのではないかと。「器のひび」と称されるものは、おそらく闇の魔術師とひとつになったことの弊害、賛牙の歌はそれをさらにひろげるもの。
 因果は、はっきりとした。コノエに賛牙の歌を歌わせなければいいのだ。それでも先は長くないかもしれない。しかし、ライはコノエに生きてほしいと思う。一日月でも一刻でも長く、共に在りたいと思うのだ──
「しかし、それにしても」
 カランと音をたてながら呪術師が割れた器を棚に戻した。
「おぬしのつがい、可愛い顔をして、なかなかの剛胆よのう」
 呪術師に自分のつがいを「可愛い」と呼ばれ、ライは露骨に眉を寄せた。
「正直なところ、あれがリークスとひとつになったと聞いたときには、長くは保たんと思っておった。体よりも心がの。リークスの記憶は果てのない闇。当のリークスですら持て余した代物じゃ」
「…………」
「それを抱えて十年、健やかな心を保ち続けるとは、あれもかなりの精神力じゃ。ひょっとすると、たまのみの賛牙も夢ではないかも……」
 呪術師の鼻先に短剣の切っ先が突きつけられていた。
「……黙れ……!」
 ライの獣の唸りにも似た恫喝に、呪術師は「おお怖い怖い」と手を振ってみせた。言葉とは裏腹に恐怖など欠片も感じてなさそうな呑気な声音だった。
「とにかく大事になされよ。わしもあれはなかなか気に入っておる。次は二匹で来るがよい。今度はひびのはいってない器で茶を淹れてやろう」
 そう言って呪術師は剣の刃先をついと人差し指で押し返した。

.

 祠を出て森の草を踏みしめながら、ライは、これからのことについて考えていた。
 コノエに賛牙の歌は歌わせない──それ自体は簡単だったがそれをコノエが納得して受け入れるだろうか。もちろん縛りつけてでも歌は止めさせるつもりだが、ライが賞金稼ぎを続ける以上、コノエが賛牙であり続けたがるのも容易に想像できた。
 賞金稼ぎを辞めるか──
 性に合った仕事ではあったが、全くそれ以外のことができないわけでもないし、さして未練もない。別の仕事を見つけて藍閃に定住するのも悪くないかとライは思った。
 宿に戻り、バルドからコノエの容態を聞いた。熱もなくずっと静かに寝ていたと聞かされ、ライはほっと息をつく。
 それからおもむろに「藍閃で俺に就ける仕事はあるか」と聞いた。バルドにこんな訊ねごとをするのは、森で野盗に会うよりうんざりした。バルドがまたおおげさに眉をつりあげて「へえええ、ほおお」などと言うので尚更だった。
 しかしすぐに相好を正し「お前さんほどの使い手が剣を手放すのは、勿体ないよなあ。どうだ、いっそのこと領主付きの闘牙になるってのは」と言った。
「領主付きの闘牙?」
「ああ、藍閃の領主は十匹の闘牙に城を守らせている。常に強い闘牙を募っては闘牙の入れ替えをしている。最近はあまり入れ替えはないらしいが……まあなんにせよ半分は領主の娯楽だな。しかし待遇は悪くないらしいからお前さん、行ってみたらどうだ」
 宮仕えは性分ではないような気もしたが、純粋にその領主付きの闘牙とやらとやり合ってみたいとも思った。とりあえず明日にでも領主のところへ行ってみようと決めた。
 また何か言われるかと思ったが、ライは口早に「礼を言う」と呟いた。
 バルドは意外にもからかうこともせず「そりゃどうも」と返してきた。

.

 部屋に戻ると、コノエは起きていて、枕に頭を沈めたまま「おかえり」と言った。
 ライは自分の寝台に腰掛けると、賛牙の歌がコノエの寿命を縮めていると告げ、さらに相談ではなく、すでに決まったこととして賞金稼ぎを辞めること、領主付きの闘牙になろうということ、藍閃に定住することをコノエに伝えた。
 反発するかと思っていたが、コノエは天井をぼんやりと見つめたまま「そうか」と呟いた。しばらくしてコノエはゆっくりと上体を起こしてライと視線を合わせた。その右目はやはり虚ろなままだった。
「……そうするのが、やっぱり一番いいんだろうな」
「そうだ」
「俺は、もう……アンタのために歌は歌えないんだな」
 賛牙であるということは、自分とコノエを繋ぐきっかけであり、絆でもあった。もちろんいまは、賛牙ということ以外に二匹を繋ぐものは多々ある。しかしそれを失うということはコノエに大きな喪失感をもたらすことは、ライにも理解できた。
 ライは腰をあげて、コノエの傍に座り直した。コノエの頭を抱き寄せると自分の頬を擦り合わせた。コノエの喉が薄く鳴り、つられてライの喉も鳴った。
「……歌うたいの歌を歌ってくれ。俺のために」
 ひどく柄にもない言葉だとライは思った。しかし偽りではない。だからコノエも笑ったりはしない。ライの頬に唇を寄せて吐息交じりに囁く。
「ライは……どんな歌が好きなんだ?」
「俺の好きな歌は……」
 胸のなかで問い直して、ライは答えた。
「俺の好きな歌は、お前の歌だ。生きたお前が歌うお前の歌だ。俺にとっての歌は……それだけだ」
 目覚めの歌も、じゃらしの花の歌も、祭の歌も、そしておそらくは別れの歌も。
 ライの心を震わし動かすのは、コノエの歌だけなのだ。
「アンタにそんなこと言われると……くすぐったくて、落ち着かない…」
 コノエがライの肩にもたれて小さく笑った。久しぶりに聞く笑声にライは心底安堵する。

 そのあと、ライはコノエの汗ばんだ体を毛づくろいしてやった。性的なものは含まずただただ慈愛を舌にこめた。何故こんなに、この行為が好きなのか自分でもわからない。コノエと出会うまで親にされたこともほとんどなく、まして他猫にしてやったこともなかったというのに──
「アンタに、毛づくろいされるの……好きだ」
 突然、ぽつりとコノエが呟く。ライはふんと鼻で笑い
「いつもは嫌がるくせに」と言ってコノエの耳を噛んだ。
「それは……アンタがやり過ぎるからだろ……これぐらいなら、好きなんだ」
 その言葉にわずかに胸がざわめき、ライはコノエにくちづけた。そして天邪鬼なことに、またコノエがもがいて嫌がるまで毛づくろいを続けてしまっていた。

.

 次の日──ライは藍閃の中央にある領主の城へと向かった。
 ひょろ長い石の建物、二つ杖の遺跡を利用したものらしい。入り口に立つ門番に用件を告げるとすぐさま奥に案内された。
 床がカガミのように光る四角い部屋のなかで、しばらく待っていると、従者らしい猫がやってきて、今度は城の中庭まで連れていかれた。
 緑の芝が敷かれた広い敷地の中央に白い石を敷き詰めた楕円の試合台があった。なるほど、ここが闘技場というわけか。ライが前を見据えるとすでに藍閃の領主らしき猫は十匹の闘牙を従えて試合台の中央に立っていた。
 領主を見るのは初めてだったが、想像とあまり大差はなかった。でっぷりと太っていて愚鈍そうな弛んだ目をしていた。想像と違ったのは毛色くらいか。

「君が今回の志願者か。ほお大型種なのだね。これは期待できそうだ」
 領主は、ライを頭からつま先まで舐めるように眺め、ひとりこくこくと忙しなく頷いていた。
「領主付きの闘牙は闘牙のなかでも選りすぐりの猛者。その名誉は闘牙ならば誰しもが望む栄達であろうが……」
 そんな話は初めて聞いたとライは胸で呟いたが、もちろん領主に聞こえるはずもない。領主は自分の言葉に酔うかのように太った体を揺らしながら試合台の外にしつらえた豪奢な椅子に腰掛けた。
「なればこそ、それなりの試験を受けてもらわねばならん。ここにいる闘牙と闘ってもらう。ルールは簡単。相手にかすり傷でもいい、とにかく少しでも血を流させたほうが勝ちだ。ああ、もちろんたっぷり流させてくれてもよいのだが」
 ライの目が侮蔑を湛えて細められた。
 世界が破滅の淵にあったことなど、とうに忘れられた藍閃で、この領主は退屈を持て余している。自分も、後ろに控えている十匹の闘牙も、この領主にとってはおそらく退屈を紛らわせる玩具でしかないのだ。
 しかし、それならばいい。この俗物に腹のなかまで忠誠を誓う必要はない。
「五匹抜きができれば及第であるぞ。少々難関であろうが」
 太った五本の指を突き出して言う領主に
「十匹抜きでいい」
 ライはそう返して長剣を鞘から引き抜いた。

 とにかくできるだけ早く終わらせてしまいたい──
 ライはそう思い、その通りに剣を振るった。
 相手の剣を跳躍でかわし、背後から耳を薄く斬る。速力で押し切り頬を、短剣を投げつけ指を。次々と領主付きの闘牙と呼ばれる猫たちの薄皮を切り裂いていった。
 怖ろしいほどあっけなく──十匹抜きは達せられた。
 領主はしばらくの間、目を丸くしたまま動かずにいたが、やがて椅子から立ちあがり、太った両手をバチバチと打ち鳴らした。
「じつに見事であった!その剣技といい見目といい、まさに余の従僕にふさわしい」
「で、それは合格ということなのか?」
 領主を前にしての無礼千万の物言いに、従者も他の闘牙も驚きに身を竦めたが、当の領主は興奮のあまりすっかり聞き流していた。
「おお、おお、勿論だとも。明日には城の者に披露目をしよう。それと去るべき者を決める試合もせねば」
 その言葉に領主付きの闘牙たちは、複雑な表情を浮かべて互いを見合い、ライへと険のある視線を投げつけてきた。ライが領主付きの闘牙になるということは、代わりに誰か一匹がその座を追われるということだ。しかし奴らとて、元いた闘牙を追い出していまこの場にいるのだし、恨みを買う筋合いはない。
 この闘牙たちも、領主と同じ匂いがした。安寧に浸かりきって己を研磨することを忘れた赤錆の匂いだった。

 明日、陽の月が指三本の高さに昇る頃、またここへ来るようにと告げられ、ライは領主の城をでた。
 夕暮れどきの市場へはいり、なにか滋養のつくものはないかと物色する。
 クィムの果汁で作った冷菓子を見つけて、それをふたつ買った。まだ食欲なさげにしていたコノエにも、これなら食べられるかもしれない。
 しばらく市場を流していると、妙な気配を猫波の隙間から感じた。
 気配はひとつではなかった。八方からじりじりと、つかず離れずライの後を追っているようだった。
 こんなことは初めてではなかった。賞金稼ぎの商売敵、街のごろつき、そんな輩につけ狙われることはままあった。
 このまま宿に戻るのは賢くない……どこかでひとまとめにして一掃したほうがいい。ライはそう考え、あえて帰路からはずれた路地へとはいった。
 猫気のない暗い建物の狭間、塵の匂いのする石畳を歩いていると、案の定猫の気配は背後で固まりつつあった。
 頃合いかと振り返ると、猫の影が八つ。頭からマントを被っていたが、隠れていない顔の下半分に見覚えある傷をもつ者がいた。
 あれは、ほんの数刻前にライがつけたもの──
「……貴様ら、領主付きの闘牙か」
 その言葉に、一匹がマントを剥ぐ。倣うように残りの者たちも、顔を晒した。
 確かに四匹は先ほどやりあった闘牙たちだったが、残りの四匹は見覚えのない顔だった。
「いまならまだ遅くないぞ。領主付きの座を辞退するなら、お前の命までは奪らずにいてやろう」
 首謀格らしい一匹が、精一杯の虚勢をはってライに告げる。なるほど──ライはすべてを理解した。この連中は、やり合ったなかでも特に手応えのない奴らだった。そして四匹の実力はよく言えば拮抗、悪く言えばどんぐりの背くらべ。
 おそらくこいつらは、弱い者同士結託して、新しくはいって座を脅かそうとする闘牙を秘密裏に排除していたのだ。
「……弱い者でも束になれば、それなりというわけか」
 ライの露骨なせせら笑いに、闘牙たちが威嚇の唸りをあげて次々と剣を構えた。しかし見覚えのない四匹はその場に立ったまま動く気配をみせなかった。
(こいつら……?)
 ライはその違和感に、ほんのわずか考えを巡らせ、そして唐突に気づいた。
 しかし──次の瞬間。
 その四匹から青白い光が一斉に放たれた。
「……賛牙か!こいつら!」
 そう、領主は闘牙と同じく、賛牙も領主付きとして囲っているのだった。普段は賛牙の歌の研究をしているらしいが、有事には闘牙と組んで闘いに出向くこともあるらしい。しかしいまがその有事であるわけがない。この賛牙たちも、また弱者同士の結束があるようだ。
 ライは忌々しさに舌打ちした。この程度の闘牙が、四匹束になろうがたいした痛痒はないが、その全員に賛牙がついているとなると少々厄介だ。
 賛牙の歌は光の粒子を撒き散らしながら闘牙へと注がれ、確実に力を漲らせている。一匹が剣を振りあげライに向かう。振りおろされた刃を長剣で受け止めるが、その重さは先ほどとは段違いだった。
 なんとか、力でその刃をはじき、間髪いれずに斬りかかってくる猫の刃を短剣で掃った。そのわすがな隙にライは跳躍し、建物の壁を蹴り上げて猫たちの頭を飛び越えた。しかしすぐに追いつかれ、また斬りかかられる。
 歌を放つ賛牙のほうを一匹でも討てれば、まだ状況は打開できるが、四匹のうちの二匹が賛牙を守るよう陣形を組んでいる。さすがにそのあたりは共闘に長けた領主付きというだけはある。
 攻防はじりじりと続き、ライは自分の息があがってくるのを感じた。つがいと闘う場合、持久戦は不利になる。一刻も早く、何がしかの綻びを見つけなくては……。
 また打ち下ろされる鉾先を剣で受けた。しかし思いのほか力がはいらずに、それは一気に眼前にまで迫ってきた。ギリギリと距離をつめる相手の剣、刃先の向こうに下卑た笑みを浮かべる顔が覗いて、ライは牙を食いしばった。
「くっ………」
 手に力を篭め、剣先を押し返す。しかしまた距離は詰まる。ほんの一瞬でも気を抜けば相手の剣先はライの額を割るだろう。力を絞り、束を握りこむ。
 そのとき────
 淡い新緑の色をした光がライの周りを包み込んだ。
 目を刺すようなまぶしさはない、優しい光。それが全身に染み込んでいき、臓腑を駆け巡り、瞬時に力を湧き立たせた。時が狂ったように相手の動きが愚鈍になり、ライは相手の剣をはじき、よろめいたところを横薙ぎに斬った。
 相手の叫びがひどく遠くに聞こえる。光の旋律がライの周りをゆらゆらと蕩い繭のように包んでいるからだろう。
 一瞬安らいでいたライの心は、すぐに驚愕に引き戻される。

 温かく、力漲る光……これは賛牙の歌。
 賛牙の……歌。

 猛然と振り返り、ライはその姿を見た。路地の入り口、光の帯を幾重にも放ちながら、ゆらゆらと立ち撓うコノエの姿を──
「お前……!何故ここに……」
 コノエが唇を動かした。呟きが聞こえるような距離ではないはずなのに、歌で繋がっているせいか、その言葉はしっかりとライの耳に届いた。
(……窓の外を見てたら……外から歌が聞こえてきたんだ。何人もの賛牙の、嫌な歌が。方角は領主の城の方だったし、嫌な予感がした。だから……)
 コノエは淡い光を纏わりつかせて目を細めた。
(よかった……間に合って……)
「歌うな!馬鹿猫!」
 制止の声は、もはや叫びに近かった。
 ライは剣を握りなおし、猛進しながら相手に斬りかかった。とにかく一刻も早くこいつらを倒して、コノエの歌を止めさせなければ。
 一刻も、一刻も早く。
 しかし、領主付きの賛牙の歌も強力で多彩だった。防壁の歌、とでもいうのだろうか。相手の闘牙の皮膚がなめし革のように硬くなり、斬ったはいいが薄皮一枚ほどのダメージしか与えられない。
 しかし、ライは何度も斬りつけた。狂戦士のように。賛牙の力を得たライの剣戟は、さながらかまいたちのようで、相手を八方から切り崩しとうとう血を噴出させ地に落とした。
 残りの闘牙に二匹の顔にあからさまな怯えが走る。
「お、お前たち、もっと強い歌を歌わないか!」震える声で後ろの賛牙を叱りつけた。
 「………去れ……」
  静かに低く、ライは恫喝した。
 闘牙と賛牙が顔を見合わせて、じりじりと後ずさる。戦意がないのは明白で、これ以上闘う意味はないだろう。

 歌がやんだ。

 突然、ライをとりまいていた旋律が掻き消えた。
 賛牙が歌をやめるときは、霧が晴れるようにゆっくりと沈静していくものだが、いまさっきまで、滾々と注がれていた歌が、まるで「何か」を引きちぎるようにぶつりと消えたのだ。
 引く血の気に背筋が痺れた。ライが体ごと振り返ると石畳の上に倒れ伏すコノエの姿があった。
「コノエ……!」
 その光景に、ライはほんのわずかな間、自失した。それは瞬きを五回するほどの短い時間だったが、闘牙にとっては充分すぎるほどの隙だった。
 ふいに、脇腹に鈍い衝撃がきた。
 我にかえったライは、差し込まれた金属の冷たさと、切り裂かれた肉の熱さを同時に感じていた。
 後ろから腹を刺されたことに気づいたのは、さらに瞬きを二回したあとだった。喉から温いものがせりあがってくる。
「……が……っ……」
 ずるりと、剣が引き抜かれて苦悶の呻きが漏れた。片膝を地面につくと、甲高い哄笑がライの頭上に降り注いだ。その間にも血は脈動に合わせて流れ続け視界をじょじょにぼやかしていく。
 しかしライの頭は怖ろしいほど冴え冴えと、ひとつの言葉を念じ続けていた。
 己のつがいの名前、どうしようもないほどの馬鹿猫の名前を。

 ライがゆらりと立ち上がった。もうそんな力など残っていないはずの白猫の姿に、残りの闘牙がひっと息を呑んだ。
 ライを突き動かしているものが何なのか、ライ自身にもわからない。憎悪か、未練か、熱情か。
 白銀の髪を纏わりつかせ、脇腹から下をぐっしょりと血で濡らして立つ姿は幽鬼そのものだった。四匹の賛牙たちは、歯の根が合わないほど震え、惑いのために歌を紡ぐこともできずにいる。
 この者たちにもう戦意はない。
 それでも───生かしておくことはできなかった。

.

 血溜まりのなかに、ライは背中から倒れこんだ。
 すべての猫を切り裂いて、もうライの力は欠片ほども残っていなかった。
 たぶん、自分はここで死ぬのだろう。それは、ずっとずっと昔から漠然と思い描いていた死に様そのものだった。自分に似合いの、愚かしく、血なまぐさい。
 ふと、最後くらいはコノエの顔が見たいと思った。
 しかし、もう指一本動かすこともできない。あれを散々馬鹿猫呼ばわりしてきたが、一番馬鹿なのはおそらく自分だろう。
 目を閉じて、ライは最後の刻を待った。体が温もりに包まれていたが、血の温もりだろうと思っていた。しかしそれはだんだんと全身にひろがっていき、ひどく馴染みのある感覚に包まれる。

 それは──まるで
 賛牙の………歌のような……

 ライが目を開けると、宵闇に包まれた路地裏が無数の燐光に包まれていた。
 光は舞い散り、また集まり、生き物のようにライの周りを飛び交っている。
 そして頭のなかに直接響いてくるそれは、間違いなく賛牙の歌だったが、ライがいままでに聴いたことのないものだった。
 ふいに、脇腹が熱くなった。チリチリと肉が蠢く感触がする。もはや重いとしか感じなくなっていた痛みが一瞬刺すように蘇ったが、すぐに消えていった。
 そっと脇腹に手を伸ばす。指一本動かせなかった体は、なにごとなく、腹の上を探った。ライの引き締まった腹は、ひと筋の傷もなく、指をするすると滑らせていった。
 信じられない思いに、ライは半身を起こした。そして難なく起き上がれることにまた驚く。
 あたりは依然、死屍が転がる地獄さながらの光景だったが、それでも光はライを責めることなく優しく包んでいた。
 ゆっくりと立ち上がり、歩き出す。
 血塗れた石畳を越え、倒れ伏したときのまま動かないコノエの前に立った。
 そっと髪をかきあげ、頬に触れる。
 冷たい感触は、もうこの体に命がないことを告げていた。
「……コノエ………」
 小さく呟くと、燐光はそれに応えるようにライの周りに集まってきた。
 ああ──そうだ。ライはすべてを理解した。
 これが、治癒の歌。たまのみの賛牙にしか歌えないという、この世ならざる力の歌。そして、いま、自分に寄り添うこの光こそが、体を持たない魂のみの存在の賛牙、たまのみの賛牙だということに。
「コノエ……お前か……」
 そっと中空に手を伸ばした。燐光は触れることができずに、手のなかで拡散する。しかし温かい大気のゆらめきは、ライを抱くように包み込んでいた。

.

 祇沙にその名轟く賞金稼ぎがいた。
 白銀の髪の隻眼の賞金稼ぎは、伝説のたまのみの賛牙を連れていると噂されていた。
 単独で行動しているのに、彼の周りには絶えず光が揺らめいていて、その剣を薙ぐ速さ、剣を振るう重さは常猫のそれではないと。
 さらには多少の傷を負わせたところで、たちどころに治してしまう。もはや彼に勝てる闘牙は、この祇沙にはいないと言われていた。
 藍閃はもちろん、他の大きな街の領主も彼を配下に置きたいと何度も打診してきたが、彼は頑なにひとりで行動したいとそれらをすべて跳ね除けていた。

 陰の月明かりが青白く照らす小道をライは歩いていた。
 鳥唄の村へと続く静かな道。道の両脇は平原で、ときおり吹く風が背丈の高い草をさらさらと揺らしていた。
 もう少し足を速めれば、日付が変わる前に鳥唄に着けるだろう。しかし野宿でもかまわない、そしてこのまま眠らずに歩き続けてもかまわないとライは思っていた。
 こんなふうに、ふたりきりでいられる時間はとても大切なものだからだ。
 ライの背後で燐光が揺らめき、暖かい風のような「言葉」が伝えられる。

 う
  た う た     か?
        おう

 「……そうだな……」
 ライが呟くと、ゆらゆらと空気が揺れ、ライにしか聞こえない旋律となる。

 これは、ライが好きな歌ではない。
 ライが、ライの好きな歌を聴くことは、もう二度とない。
 それでも歌は優しくひたひたと、ライの胸に染みていく。
 
 ふわふわと揺れ光る「歌」を聴きながら、ライは白く続く道をいつまでもいつまでも歩き続けた。

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コメント

下から5行目辺りから、もう涙で画面が見えない。だからオレ死にネタ苦手なんだ。。。

投稿: もっちゃん | 2008年5月25日 (日) 01時32分

この話にはやられた…。ネットでこういう無駄な要素のなかった二次を見ることになるとは思わなかった…。
この設定すごくいい。もうライコノオオオ

投稿: 通行人 | 2008年12月 9日 (火) 21時57分

感想ありがとうございます。
頭の中でかなり長いことネチネチ考えてた話です。
10年経ったコノエはシュイさんみたいな雰囲気かもとかイロイロ妄想していました。書いててとても楽しかったので読んでいただけて幸いです。

投稿: 後藤羽矢子 | 2009年8月 7日 (金) 22時28分

コノエの運命を克服すべく書かれる死にネタの二次がいくつかあって目にする機会がありましたが、そのどれにも感心します。このお話しは切なくて、でもライとコノエの救済でもあり、大泣きしました。ここから始まる物語があってもいいですね。伝説の魂のみの賛牙を連れた闘牙の物語。

投稿: よりしろ | 2011年4月24日 (日) 01時05分

>よりしろ様

ありがとうございます。
本編でのライコノの運命を少しでもいいほうへと終着させたいと思って書きました。楽しんでいただけて幸いです。

投稿: 後藤羽矢子 | 2011年4月25日 (月) 11時30分

ああやっぱり泣きます
何年経っても泣くかな

投稿: 夜 | 2012年3月 3日 (土) 23時45分

これは名作だ・・・ありがとう

投稿: やっぱり | 2012年8月17日 (金) 21時21分

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