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2007年1月 5日 (金)

祝福の歌

 笑顔をつくることは、トキノにとって息をするぐらい自然なことだった。

 商い猫の家に生まれて、父親からは「挨拶と笑顔さえ忘れなければ、大抵のことはなんとかなるもんだ」と教えられてきた。
 確かにそのとおりだと思った。子猫の頃はこのふたつがあれば、大人は頭を撫でてくれたし、商いを手伝うようになってからは、客の文句を和らげる手助けになった。
 トキノにとって笑顔はもはや標準装備で「つくっている」という意識はない。
 でも、コノエに出会って、コノエの前で笑うようになって。
 仕事のための笑顔と、本当の笑顔の違いを知った。

 藍閃の大通り、一番猫通りの多い界隈の宿のひとつ。
 そこにトキノの親友は住んでいる。
 建物と建物の隙間、裏口へと廻るための通路は狭く、猫一匹通るのがやっとだ。コノエは表の入り口からはいって来い、と言ってくれるのだが、商い猫の性分がそうさせてくれなかった。
 頼まれていた荷物に注意をはらいながら通路を抜け、宿の裏庭にでる。
 水浴び用の掘っ立て小屋と、手押しの井戸。以前にはなかった小さな菜園、これはコノエが作ったものだ。
 裏口の扉を叩いて「毎度どーもー」と声をかける。しばらくすると扉が開いて、コノエの柔らかい笑顔が迎えてくれた。
「ご苦労様」
 コノエも、すっかり宿屋の仕事が板についているようだった。

 親友は、元々は藍閃ではなく、火楼という貧しい村の猫だった。
 見習いとして、父の行商についていくようなった頃、初めて火楼に足を踏み入れた。火楼は商売としてのうまみはないが、それでも時々は出向いて顔を繋いでおかなくてはいけないと父は言った。
 商いの品々に寄ってくる村の猫たちは、ぎらぎらしてるくせにどこか排他的な目をしていて、距離感がつかみ難い雰囲気だった。トキノは笑顔こそ絶やさなかったが、藍閃とはあまりに違う空気に息を詰まらせていた。ふと目を猫だかりから逸らすと、広場のはずれに自分と同じ年頃の猫が立っているのに気がついた。
 それがコノエだった。

「けっこう大きいんだな。これ。表から声かけてくれればよかったのに」
注文の品──紐に縛られた木箱を受け取りながらコノエが言った。
「まあ、そこはね。やっぱり商売なんだからケジメはつけないと」
「……遊びにくるときは、ちゃんと表から来いよ」
「うん。もちろん」
 短く、淡々としたやりとり。こんな他愛もない会話を積み重ねて、トキノとコノエは親交を深めてきた。藍閃にはトキノと同じ年頃の猫は少なく、珍しさから声をかけたのが始まりだったが、互いの肩に額を摺りよせるようになるまで、たいした時間はかからなかった。特別な理由はない。ただ一緒にいると居心地がよかった。こういうのを相性というのだろうとトキノは思う。

「お、来たか。ご苦労さん」
 声とともに厨房の扉が開いて、なかから大柄な虎縞猫が出てきた。腕まくりをして手には杓文字を持っている。この宿の主人バルドだった。
 年の頃は…自分の父と同じぐらいだろうか。実際コノエにとっても父のようなものかもしれない。故郷の村を失って身寄りのないコノエを宿に住まわせて世話をしてくれているだから。
「ほら。これ、アンタが注文したんだろ」
 コノエは、いったん受け取った荷物を少し乱暴に床におろす。ゴトンと重い音がして、バルドは「おい。気をつけろよ。割れ物なんだから」と、慌てて箱の前にしゃがみこんだ。
「ったく……」
そのまま膝をついて、慎重な手つきで木箱の紐を解く。それをコノエは後ろから覗いていた。顔は平静を装っていたが、尻尾が忙しなく左右に揺れている。どうやらコノエは中身が何であるか知らないらしい。トキノはもちろんそれを知っていたが、コノエの期待の視線につられて、自分も知らず知らずのうちに荷ほどきされる箱を凝視してしまっていた。
 木箱の蓋を開けると、出てきたのはカガミだった。
 カガミは、大人が両手で輪をつくったほどの大きさだった。カガミ自体は特別貴重品というわけではないが、これほどの大きさのものは珍しい。大抵の家では、手のひらに収まるほどの小さなものを使っている。
「ほお。綺麗なもんだな。ひびも入ってないし。ダメ元で注文してみたが、よくこれほどのものが手にはいったもんだ」
「そりゃあ、うちは品揃えが自慢ですから。ツテの広さは藍閃一だと思いますよー」
 そう言ってトキノはわずかに胸を張った。コノエはまばたきをしながらカガミを見つめ「こんなもの……どうするんだ?」と言った。確かにそれはトキノも思っていたことだ。
「ああ……以前からお客に言われていたことなんだが。祭のときに衣装の貸し出しもやっているだろう?そのときにもっと全体が映るようなカガミが欲しいとさ。春の祭にまで間に合えばいい思ってたが、意外に早く来てよかった」
 両手でカガミを目の前にかざし、自分の顔を映しながらバルドが言った。言いながら顔の角度を変えたり、表情を変えたりしている。トキノの腹の中心から、笑いの波がじわりと昇ってくる。頬を引きつらせながら、ふと視線を隣に移すとコノエもなんとも神妙な顔をしている。コノエがトキノの視線に気づき、顔を見合わせる。互いに笑いをこらえていることに気づいたとたん──二匹同時に吹き出した。
「あ、コラ何笑ってやがる。お前ら」
「す、すいません。バルドさん」
「……アンタが馬鹿なことしてるからだろ」
 二匹で笑いまじりの言葉を返すと、バルドはフンと鼻を鳴らし、カガミを抱えたまま厨房にはいって行ってしまった。……怒らせてしまっただろうか。トキノは内心で首を竦める。しかしすぐにバルドは、広口の小さな壷を持って戻ってきた。
「祭りのときに作ったカディルがまだ残ってた。ガキども二匹にお駄賃やろうな」
 そう言って、壷のなかから蜜にまみれた果実の一粒をつまみ出し、トキノの前に差し出した。さすがに口で受けるわけにもいかず、手のひらに乗せてもらった。
「ほら。あんたも」
 同じようにコノエにもカディルを差し出す。違うのはトキノのときよりもさらに唇の近くまでそれを突きつけ、「あーん」などと言うひと言をつけ加えたことだった。
「やめろよ!馬鹿!」
 コノエは小さく怒鳴って、バルドの手の甲をぴしゃりとはたいた。
「いってえな…。いらないのか?」
「いらない」
「好きなくせに」
 笑いながらバルドはつまんでいたカディルを自分の口に運んだ。憮然として眉をよせるコノエを横目に見ながら、これはバルドのささやかな仕返しなんだと、トキノは思った。コノエは子供扱いされるのが嫌いみたいだから、確かにこれは効くだろうと、カディルを咀嚼しながらそんなことを呑気に考えていた。

 帰りぎわ、トキノは本当に何の気なく「バルドさんってお父さんみたいだよね」と言った。自分も父にそんなふうにからかわれることがあるからだ。
 しかしコノエはそれに答えず、じつに形容しがたい表情を浮かべていた。
 強いて言うなら困惑を笑顔で上塗りするような。
 その表情の意味をトキノが知るのは数日後のことだ。
  

 冬の祭──暗冬が終わったあとは、藍閃の街全体が冬ごもりの状態になる。
 トキノ親子も行商にでることは少なくなり、家で商品の仕込みに専念する。バルドの宿も似たようなものだろう。仕事がなくなるわけではないが、春から秋までの期間に比べたらだいぶ暇なはずだ。
 その日、トキノは一匹で家にいた。父親は、冬にしか作られないという凍み葡萄の買い付けに山向こうの村に行って、明日まで帰ってこない。
 のんびりと木の蔓のリースを編みながら、トキノはふと、コノエのところに遊びに行こうかと考えた。
 天気がよかった。美味しい干菓子があった。いま編んでいる木の蔓の色がコノエの毛並みに似ていた。
 気まぐれを起こすことはめったにないトキノだったが、そんな小さな要因に動かされて、干菓子のはいった袋を手に家を出た。もしコノエに用事があったら引き返せばいいだけのことだ。
 
 遊びに来るときは表からはいって来い──コノエに言われたとおり、トキノは宿の客用の入り口の戸を開けた。そっと中を覗くと、当然ながら待合室はがらんとしていて、受付のカウンターには、「用のある方はこの呼び鈴を鳴らしてください」と札が立てかけてあった。
 しかし肝心の呼び鈴が置いてなかった。
 バルドの適当さはトキノもよく知っていたので、特に驚きはしなかった。苦笑いを浮かべて、そのまま待合室を抜け、厨房へと向かう。
 厨房の隣にバルドの私室がある。どうやらコノエもそこで寝起きしているらしい。遊びに行くと、いつも食堂でもてなされる。コノエの部屋がないことに以前トキノは不満を漏らしたが、コノエは「いいんだ。寝るだけの部屋みたいなものだから」と言った。やはり、住み込みは肩身が狭いのだろうか。コノエのつましさに少し胸が痛む。

 厨房のカウンターから中を覗く。そこにも誰もいなかった。やはり私室にいるのか、それとも出かけているのか。奥の扉に向かって「すいません」と声をかけようとして──体が竦んだ。
 うめき声が聞こえた──
 奥の扉がほんのわずかに開いていて、そこから声が流れている。声の主はあきらかにコノエで、声は熱に浮かされているような苦しげな、だけどそれだけではない何かも含んでいた。
 コノエ……風邪?寝込んでる…?
 トキノの頭のなかでひどくまっとうな予想が提示された。しかし胸の奥では別の予感が浮かびあがろうとしている。それを押さえつけてはいたものの、体は後者の予感に従い、ひっそりと物音をたてないように扉に近づいていった。
扉の隙間から、そっと中を覗く。目にはいったのは、本が積みあげられた雑然とした部屋、そして寝台の上で胡坐をかいているバルドの背中だった。
 一瞬、あの声はバルドだったのかと思い、目をしばたかせて、トキノは凍りついた。
 バルドの背の向こう、白い何かが見え隠れする。それがコノエの脚だと気づくのにそう時間はかからなかった。
 コノエがバルドに後ろから抱きかかえられている。それが何を意味するか──わからない年頃ではない。
 けれど、理解できるのは、そこまでだった。
 そこから先は頭に靄がかかったようになって、思考がまともな形にならない。
 ただ無数の疑問符が駆け巡るばかりだ。
 ……なんで、コノエとバルドさんが?
 雄同士なのに?
 バルドさん、父さんと同じくらいの歳なのに?
 なんで?なんで?なんで?
 理解の許容を越えた光景は、トキノを呆然と立ちすくませる。目も逸らせず、耳も塞げず、目の前で行われていることを見続けるしかできなかった。

「ほら……見えるか?根元まではいってるぞ」
 バルドがわずかに首を傾けると、肩の向こうからコノエの頭が見えた。その耳にバルドが舌を差し込みながら囁きを吹き込む。
「いい色だな…熟し始めたクィムみたいだ」
「なん……っで…、こんな、ことするんだよっ……」
 快楽に上擦るようなバルドの声音に対し、コノエのそれは、ただひたすら苦しげに聞こえた。
「そりゃあ……せっかく買ったもんだし使ってみないテはないだろう」
「アンタ……まさか、この、ためだけに…」
「そんなわけないだろう。宿のためだよ宿の。でもその宿が休業中だし、少しぐらい自分の楽しみに使ったってバチは当たらんさ」
「馬鹿……アンタ、最低…だ。あ、あっ」
……どうやら、バルドは先日買ったカガミを寝台の前に置いて、自分たちの交接を映し見ているらしい。そんなことをして楽しいのだろうか。トキノにはわからない。
「ちゃんと目を開けろてよ」
「いや……っ、だ!ひっ…!」
 バルドがコノエの腰を抱えて、捏ねるように揺らす。そのたびにコノエの白い脚もゆらゆらと揺れて、トキノには見えない部分も容易に想像させた。生々しさにうっすらと吐き気を感じた。
「うっ…く、ん、んんっ」
 苦痛を堪えるかのような呻き。コノエがそんな哀れな声を出しているのに、バルドはおかまいなしに、さらに腰を揺すりあげた。寝台がギシギシと乾いた音をたてる。
「見てみろよ。……ほら、俺の好きな、あんたの、いい顔」
「や、だ……っ」
「やだばっかりだな。あんた」
「うっ……あぁっ…あう」
 ……次第にトキノの胸に怒りがこみあげる。コノエが泣いてるのに、嫌がっているのに、あんな、大きな体で、コノエのこと……いいようにして。
 しかし、二匹の情事を割ってはいって止めることはできなかった。そこは商い猫の気遣いが骨の髄まで染みているのだ。コノエだって…見られたことを知られたくはないだろう。
 ゆっくりと後ずさりをして踵を返し、できるだけ音をたてないように、足早にその場を去った。
 宿の外に出た途端、氷結していた感覚が溶け出して、どっと溢れ出すのを感じた。頭に血がのぼって心臓が早鐘を打つ。尻尾の毛はおろか、体中の産毛が逆だった。冬だというのに額に汗が滲む。腹の底にずしりと溜まる何か。叫びたい気持ちを堪えるためにトキノは走り出した。道ゆくほかの猫にぶつかっても、石畳に足をとられそうになっても、闇雲に走る以外、いまの気持ちを鎮める方法が思いつかなかった。

 二匹はいつから、そうなったのだろう……。
 家に戻り、寝台に寝転がって煤けた天井を見つめているうちに、ようやくトキノは平静を取り戻した。ただそれは見た目だけのことで、無駄な激情が去れば心は却ってそのことばかりを考えてしまう。
 二年前──世界の終わりを感じさせる事件があった。空が血の色に塗り込められて、街に生ける屍となった猫たちが押し寄せた。
 トキノの家は魔よけの札を貼って(伊達によろず屋はやっていない)被害を最小限に食い止めたが、バルドの宿は壊滅とまではいかないが、並々ならぬ被害を受けた。コノエとバルドは黙々と修繕に精をだし、トキノもそれを手伝った。屋根の上、二匹で板張りをしているときに何気なく「コノエはこれが終わったら火楼に帰るの?」と尋ねると、コノエは少し間をおいて「火楼は、もうないんだ」と言った。
 淡々とした口調は、同情するなとトキノに言っているようだった。
 だからトキノも「ごめん」とは言わなかった。ただ「そうか」と返した。けれど。
 あのときの寂しげな表情をトキノは思い返す。
 …もしかしたら、もうあの頃にはバルドに求められていたのかもしれない。
 故郷も住む場所も失ったコノエに、身を寄せる場所提供してくれたバルド、そんな恩ある大人が体を寄こせと言ってきたら、やはり断ることはできないのではないだろうか。
 先刻の、二匹の姿を思い出し、トキノはまた唇を噛んだ。なすすべもなく刺し貫かれているコノエの姿。か細い泣き声。可哀想だった。
 そしてコノエを泣かせるバルドに憤りを感じる。いつも見せる猫のよさそうな笑顔ですら、狡猾さを隠すためのものだと思うと不快だった。
 
 ため息をついてトキノは寝返りをうった。視線の先には自分用の小さな作業机と、編みかけのリースがあった。宿の飾りとして、春の祭までに編みあげようと思っていたのだが、とても続きをする気にはなれない。
 俺は……どうすればいいんだろう。
 商い猫は自分というものを知っている。自分の分も度量もわきまえている。商品を品定めするように、自分も見定めできるのだった。
 親友が藍閃にやってきたとき、彼が禍々しいものを背負わされていることを知った。不吉の色に染まった耳と尾、肌に染み込む紋章のような痣。
 けれど、そのとき自分にしてあげられることはないとも思った。自分には手の届かない次元の問題だと。それを悟るのは悲しいことだったけれど。
 だから、せめて、笑顔でいようと思った。コノエがなんであろうと自分は変わらずにいること、それがトキノがそのときにできる精いっぱいだった。
 
 いまは──どうだろう。
 いまのコノエに、いまの俺は何がしてあげられるだろう。
 トキノは寝台の上で、寝返りを二転、三転くり返した。
 父親がいなくてよかったと思った。こんな気詰まりを抱えているときに、誰かと顔を合わせたくない。
 いつもは、がらんとなる家のなかを寂しく感じるくせに勝手なものだ。
 そこで、ふと、気づく。
 この家が、倉庫のようになっている空き部屋をいくつか抱えていることに。
 そうだ。何でこのことに気づかなかったんだろう──
 これこそが、自分にできる最大で最善だとトキノは確信した。

 次の日── 配達も用聞きもなかったが、トキノはまっすぐに宿の裏庭に向かう。昼前のこの時間、コノエは食堂の掃除をしていることが多かった。なるべくバルドの目に触れずにコノエを呼び出したい。
 しかし、その必要はなかった。コノエは裏庭で、菜園の青菜に水をあげていた。
 立ちつくし、少しの間その横顔に魅入る。
 髪が少し伸びたせいだろうか、穏やかな表情のせいだろうか。コノエはやはり以前と変わったと思う。それはたんに成長の一言で言えない何か。単色が混色になったような、明だけでなく暗も含んだ複雑な色彩……しかしそれを的確に言い表せる語彙をトキノは持っていなかった。
 コノエが気配に気づき、顔を向ける。トキノの姿が意外だったのか一瞬目を丸くしたが、すぐに破顔する。
「トキノ。どうしたんだ?こんな時間に」
「あの……おはよう」
「もう、おはようって時間でもないだろ?」
「そ、そうだね…」
 声が上擦る。平静を装おうとする気持ちに反して顔が引きつる。大きな息継ぎを二回して改めてコノエを見ると、眉根を寄せたその顔は、ありありと不審を湛えていた。
「お前……どうしたんだ?」
「いや……その。コノエさ」
「なに」
「あの……いまの暮らし…嫌じゃない?」
 これもまた、意外な問いかけだったのだろう。顰められていたコノエの眉が山なりになり、目から険が一気に抜ける。
「あのさ……バルドさんのところにいるの、大変じゃない?コノエの部屋だってないし、一日中ずっと働いててさ、息つく暇もないんじゃないかって…コノエ、辛いこと…ない?」
 「別に。火楼では子供だって働き手だった。それにお前だって一日中仕事してるじゃないか」
「それは…そうなんだけど」
 沈黙が降り、二匹の間で怪訝な空気が煮詰まっていく。コノエが短いため息を吐いた。
「……何か言いたいことがあるならハッキリ言えよ。何か俺、悪いことしたか?」
 その言葉に弾かれるようにトキノは顔をあげた。そうだ。自分は親友を困らせるためにここに来たわけじゃない。
「コノエ!……バルドさんのところ出て、俺の家で暮らさない?」
 一息とびに本題を告げる。
「…………」
 コノエの表情は変わらなかった。いや、変えようがなかったのかもしれない。さっきからの自分の問いかけは、つぎはぎの布のようで、まるで辻褄が合っていない。それは自分でもわかっている。だからコノエも処理しきれなくなっているのだろう。
 しかしトキノはさらに言葉を続けた。
「俺のところなら、部屋も空いてるし!父さんもしょっちゅう行商に出てるから気兼ねすることもないよ!そりゃ、まあ商いの仕事は手伝ってもらうかもだけど、でも宿の仕事よりは辛くないと思うんだ」
 コノエは肩を落とし、今度は長々としたため息を吐いた。
「何で……そうなるんだ?」
「それは……」
「俺が宿屋の仕事が辛いなんて、いつ言ったんだよ」
 言葉につまる。話が支離滅裂なのは、コノエとバルドの関係に触れるのを避けているからだ。コノエを困らせたくなかったが、やはりそこは避けられない部分なのだろう。
それでも。
「コノエ……バルドさんに虐められているだろう?」
 出来る限り遠まわしに言ってみる。
「虐められるって……何が…?……!」
 コノエが息を呑む気配が伝わった。トキノの言わんとすることに気づいたらしい。動揺に耳が後ろを向き、顔がみるみる赤くなっていく。つられてトキノの顔も熱くなる。
「ごめん……ごめん!昨日、見ちゃったんだ。見るつもりはなかったんだけど!でも…その…あれは…」
「ト……トキ」
「バルドさんはずるいと思う!お、大人のくせにコノエにあんなことして!コノエだって苦しいだろ。あんなの」
「トキ……ノ」
「コノエだって、行くとこないからってバルドさんの言いなりになることないよ!俺のところで暮らそう!そしたら……」
「トキノ!」
「いい加減にしろ!」
 ふたつの怒鳴り声が重なった。
 ひとつはコノエ、そしてもうひとつは、宿の裏口の戸を叩きつけながら出てきたバルドだった。
 コノエとトキノ、二匹の尻尾が同時に逆立って膨らんだ。
「さっきから黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがって。トキノ、お前は俺のことどんな悪漢だと思っていやがる」
 まさに噂をすれば影、だ。しかも当の猫は、腕まくりをした太い右手に鉈のような大振りの包丁を持っていて剣呑なことこの上ない。しかしトキノは負けじとばかりに、バルドを睨みつけた。
「わ、悪いじゃないですか!バルドさんうちの父さんと変わらない歳のくせに!コノエを食い物にして!」
「おい!俺はお前の親父を知ってるが、俺のほうが五つ若いぞ!」
「たいして変わりませんよ!そんなの!」
 コノエが隣で「やめろよ」と呟いたような気がしたが、あえて聞き流した。バルドも同様らしい。包丁のみねの部分でトントンと肩を叩きながら、憤懣やるかたない風情で片牙を剥いた。
「だいたいな。お前が俺とコノエのお楽しみを覗いてたことは、まあ許そう。しかし何でそこで俺がコノエに悪さしてることになってるんだ?俺とコノエが深く愛し合ってるって、何で思えない!」
「な……っ…!」
 うろたえた声は、コノエとトキノ、両方から出たものだ。
「ガキはこれだから困る。泣き声と悦い声の区別もつかないんだからなあ」
 唇の端をつりあげ色悪めいた笑みを浮かべながら、いい歳をした大人はさらに追い討ちをかける。
「コノエさんはな、お前が思ってるよりずっと凶暴だぞ。本当に嫌なことは絶対させてくれないんだよ。カガミに映すのだって本当は悦ん……ぐおっ!」
 バルドがくぐもった悲鳴をあげた。コノエがバルドの尾をつかみ、容赦なくその手を頭上まで振り上げていたからだ。
「いいかげんにしろよ!」
 顔を真っ赤にして唸り声をあげるコノエに、バルドは「はい」と答え、耳を伏せて見せた。
 ため息とはまた違う、熱を散らせるかのような荒い息を吐いて、コノエはトキノに顔を向けた。コノエの視線はゆらゆらとトキノの足元のあたりをさまよっていたが、やがて意を決したように、まっすぐにトキノの目に当てられた。
「トキノ……俺は、嫌な奴と一緒に暮らしたりしない。いくら住むところがないからって代わりに体を好きにさせろなんて言う奴がいたら……そのときは出ていくよ。そんなことするぐらいなら森で野宿したほうがマシだ」
 その言葉は──バルドとの関係を肯定していた。
 ……自分の早とちりでコノエを困らせてしまった。トキノは羞恥と後悔で深くうなだれた。ちゃんと謝らなければいけないのに、胸がギチギチに詰まって「ごめん……」の一言だけがやっと絞りだせる有様だった。
「俺のほうこそ、ごめん。ずっと……黙ってて。隠すつもりはなかったんだけど、その、照れくさくて……」
「コノエは悪くないよ。本当にごめん……」
 そんな二匹のやりとりをバルドは顎ひげを扱きながら眺めていたが、やがてふてくされた声を割り込ませてきた。
「しかし、なんだなあ。これから俺とコノエのことが周りに知れるたびに、いちいち俺が悪者にされちゃ堪らんよなあ」
 コノエはバルドを冷ややかな目で一瞥すると「日頃の行いのせいだろ」と言い捨てた。トキノは思わずふきだしそうになる。
 しかしバルドも負けていない。
「なあ。お披露目でもするか。俺たちの婚礼お披露目を」
「え……?」
 おさまりつつあったコノエの頬の紅潮がまた一気に巻き戻る。
「ああ、いい考えだな。宿も暇だし、食堂を会場にしてな。ゲンさんとか日頃お世話になってる猫たちを招待して、いかに俺たちが愛し合っているかを周りの連中に知って……ぐあっ!」
 またもバルドは皆まで言い切ることができなかった。コノエがバルドの尾に今度は盛大に噛みついたからだ。
「馬鹿猫親父!」
 羞恥の針が最大を振り切ってしまったらしいコノエは、そう叫ぶと踵を返して駆けだした。そして宿の建物脇の大木に登り、そのまま屋根へと飛び移った。
「コノエ!」
 トキノもコノエの後を追い、木から屋根へと身を躍らせた。バルドはその様子を見上げながら「若いっていいねえ」とのんびりと呟くと、裏口へと戻っていった。
 
 冬の空気は澄んでいて、藍閃の高低差のある建物の隙間から覗く森の緑までもくっきりと見てとらせた。
 コノエは屋根の上、トキノに背を向けて、その緑を眺めているようだった。あの方角は……火楼だろうか。
「コノエ」
 トキノは、いつもと変わらない声性でコノエを呼んだ。何故か憑き物が落ちたように心は落ち着きを取り戻していた。そうだ。コノエが辛くなければ、それでいいことなのだ。
 しかし、コノエの心はいまだ波打っているようだった。トキノのほうにわずかに顔を傾けると、今日何度めかの大きなため息を吐いた。
「ごめん……トキノ。本当に」
「コノエが謝ることない。俺が、勝手に突っ走っちゃっただけだから」
 そう言ってトキノは屋根の上にしゃがみこんだ。しばらくしてコノエもそれに続く。
 冬の藍閃は本当に静かで、街の喧騒も聞こえてこない。遠くで鳥がさえずる声がする。しばらくの沈黙のあと、コノエが口を開いた。
「トキノ。俺は、火楼にいるとき、お前に会うよりもっと前、大事なのは母さんだけだった」
 膝頭の上で手を組み、そこに頬を乗せてコノエが呟いた。
「でも、お前と会って、母さん以外に大事な猫ができた」
 考え考え喋っているのか、言葉の合間は長かった。しかしトキノはコノエを見つめ、辛抱強く次ぎの言葉を待った。
「母さんとトキノの大事は同じくらいの重さで……でも種類が全然違うっていうか……それで、それは、バルドもなんだ……」
「………」
 トキノの胸が温かいもので満たされていくのを感じた。コノエがここまで自分の心を語ってくれた初めてのような気がする。直裁で拙い言葉。なんて心に染みいるものなのだろうか。
「わかるよ、コノエ。俺も父さん大事だし、コノエも大事だよ」
 全く同じで全く違う「大事」。それはトキノもよく知っている想いだった。
「でも……」
「トキノ……?」
「俺にはまだ、コノエにとってのバルドさんみたいな「大事」がないんだよなあ…」
 トキノはまだ知らない、未知の感情、それに出会える日が自分には来るのだろうか。そう思うと少し寂しい気持ちになった。
「大丈夫だよ。こういうのは、森を歩いてるときに目の前に木の実が落ちてくるようなものだって、バルドが言っていた」
「そうかー」
 一瞬、元気が出たが、ふとあることに思い至ってトキノは膝に顔を埋める。
 いまの祇沙に雌がほとんどいないことに。
「でも、俺……やっぱり雌がいいな……」
 呟きを漏らして、はっとなって顔をあげる。コノエに対して失礼ではなかっただろうか。コノエの方を見ると、顔は笑っていたが、眉をあげて細められた目のそれは、いたずらを仕掛ける子供のようだった。
「だったら、これから生まれる雌が大きくなるのを待ってろよ。そういやこの間、目抜き通りの向こうの家で雌の子供が生まれたって話だぞ」
「えええ?それ待ってたら本当にバルドさんになっちゃうよ!」
 そう言うと、コノエは軽く声をたてて笑った。やっと笑ってくれた──トキノも安心して笑い声をあげた。
 いつか見つかるといい。コノエと同じくらい、だけど全く違う大事を感じる相手。
 本当は雄でも雌でもいい。バルドさんぐらいの歳になってもいい。そのときはコノエに祝福してもらおう。コノエに優しい歌を歌ってもらおう。
 …俺は…そうだな。明日にでもリースを編み上げよう。コノエの好きな花をいっぱい飾った、うんと綺麗なやつを。

 二匹の猫の笑い声は、まるでユニゾンの歌声のように重なり合い、軽やかに冬の空を流れていった。
 
 

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コメント

りりこと申します。新しいSSが届くたび毎回楽しみに読ませていただいてます。
「祝福の歌」面白かったです。トキノは悪くない。常識で考えればトキノの考えが普通ですよね。
しかし、バルドさん…。やっぱり、犯罪なの?
トキノの勘違いとはいえ、ちとあわれです。
源泉といい、オヤジは濃い。

寒波で寒い日が続きます。お忙しい中、お体ご自愛下さいますよう。

投稿: りりこ | 2007年1月 6日 (土) 17時48分

ありがとうございます~。
バルドさんのエッチのあまりの犯罪くささに、ついよそからのツッコミをいれさせたくて書いてしまいました。
やっぱり普通に考えたらトキノの反応になりますよねー。
楽しんでいただけて幸いです。
りりこさんのほうもお体に気をつけて。

投稿: 後藤羽矢子 | 2007年1月 8日 (月) 19時16分

トキノがかわいい!うぶ!!(?)まとも!!!・・・ですよね~バルドさん・・・とか・・・ギリッスよね・・・     でも!オレ好きだよそー言うの!!
・・・あ、申し遅れました。もっちゃんと名乗る不束者でございます。以後お見知りおきを。
こっち世界の初ゲーが咎狗だったんス。

投稿: もっちゃん | 2008年5月25日 (日) 02時01分

はじめましてー>もっちゃんさん
イロイロ読んでくださってありがとうございます。
私もBL初ゲーは咎狗でしたよー。
萌えが多すぎてなかなか沈静しないんで大変です。
またエロな小説書きたい気分なんで、そのときはまたよろしくお願いしますねー。

投稿: 後藤羽矢子 | 2008年6月 3日 (火) 02時25分

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