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2005年10月19日 (水)

スクエア・ブルー 後編

何故、いままで気づかなかったのかと、エマは歯噛みした。

その日の昼、エマは所長に呼び出され、ナノの調査は順調であるかと聞かれた。
「概ね」と答え、エマは調査書を渡した。エマとナノ自身の交流の部分は省かれた、ひどく表面的なものだ。所長はそれには目を通さず傍らに置くと、エマに向き直りこう告げた。
これからナノとの同伴時間を延長すると。
いままで夜間は立ち入り禁止だった、ナノの部屋に出入りしてもよいと。
「……どういうことですか」
意図がつかめず、エマは所長に問う。
はじめは、「夜間も調査対象にしないと、満足な結果が得られないだろう」と所長は言ったが、エマの訝しげな表情が消えないのを見ると、息をつき、エマと接触するようになり、ナノの身体面の飛躍が見られるようになった、と告げた。「実戦においてもいい結果が出ている。感情値も軒並み安定しているしこのさい、もう少し同伴時間を増やし、変化を調べてみたいのでね」
そう言って所長は笑った。しかしその姿に作為の糸が絡んでいるのを、エマは見てとった。
フェイクだ──この理由も。

エマは自室に戻ると、パソコンを立ち上げ所内のメインマシンへのハッキングを試みた。
ガードは固かったが、同じ所内の人間であるエマにはさほど難しいことではなかった。
数時間後─エマは信じられない思いで、モニターを見つめていた。

わかったことは──
Nicole・Premierの性衝動と感情の関連性を調査していること。
結果しだいでは、Nicole・Premierを去勢する可能性もあること。
また、別の結果によっては、Nicole・Premierの繁殖を将来的に展開させるとも。

一言でいうなら、エマはナノを「発情」させるための燃料であったのだ。
何故、いままで気がつかなかったのだろう…。
エマが任じられたナノの調査に、大した必要性を感じないと思った時点で、この作為に気がつくべきだったのだ。エマは自分の迂闊さを呪った。唇を噛みしめ机を叩いた。
しかし──
この状況を逆手にとれないだろうか。エマは考える。
向こうは、ナノとエマが関係を結ぶことを望んでいる。ならば、それを達成するまでは二人は引き離されることはないだろう。ここは騙されているふりを続けて時間を稼いだほうがいい。
時間。ナノを逃がすための準備にかかる時間。

ここに来て、初めて具体性をもった考え。一緒に逃げるのは無理だ。かえって足手まといになる。ナノだけならあの身体能力をもってすれば逃げ切れるだろう。自分は当然処罰されるだろうが、殺されることはないと思う。ただ、いままで培ってきたものは、すべて失われる。
それでもいいと思う自分を、エマは愚かだとは思わなかった。

月明かりが四角く二人を照らす薄青い部屋で、エマはナノに逃げる気はないかと聞いた。
ナノはベッドの上で膝を抱えたままの姿勢でゆるくかぶりを振った。
「逃げるのは、無理だ。俺の体にはチップが埋め込まれていて、どこにいても場所を特定される」
表情は穏やかだ。一縷の望みも持っていない者の、ある種清々しささえ感じる表情。
「どこに埋め込まれているか、わかる?」
対照的にエマは、ひどく思い詰めた顔をしている。
「ここに」ナノは寝巻きをはだけ、自分の右肩を指さした。
見ると、確かにそこに二針ほどの薄い小さな傷跡とわずかな肉の盛り上がりがあった。
しかし、これならエマでも切開して取り出せそうだ。エマもいまは畑が違うとはいえ、医療処置の経験はそれなりにある。器具と薬品を調達しなくては…。エマがナノの傷を指で撫でながら考えているとナノが長々と息をついた。
「どうしたの?」
「…気持ちがいい」
エマは赤くなった。この男は言いよどむということをしない。
「…一週間後に外出許可がでるわ。そのときに外で落ち合ってこれを取り出しましょう。そしてそのまま逃げて。必要なものは、それまでに用意するから」
内心の胸の高鳴りを抑えつけ、エマは淡々と言った。

しかしナノは、そんなエマを冷ややかともいえるほどの色のない目で見据えさらに淡々と、言った。
「逃げて、どうする」
「どうする…って、ここにいて、調べられて戦って、自由もなくて、ナノはそれでもいいの?」
ナノはエマから視線を逸らし、窓の外へと向ける。淡い光が彼の横顔をよりこの世のものならざる雰囲気に見せている。
「野に住む鳥は、初めから野にいる。籠にいる鳥を哀れんで、野に放ち、それでどうなる」
「……!」
エマは言葉を失った。
ナノの言うとおりだった。ナノを自由にしたいと闇雲に思っていたが、それは彼に逃亡者としての重荷を背負わせ、外で生きる知恵を持たない彼に辛い思いをさせるだけなのではないか。
自分の浅はかさに打ちのめされ、エマはうなだれた。想いは視野を狭め、先走り、自分をこんなにも愚かにしている。
ふと、頭の上に熱を感じた。視線だけ上にやると、ナノがエマの頭を撫でていた。
「俺は、ここでいい」
エマがナノにするように、ナノはエマの頭を撫でた。おずおずと、だが優しく。
「エマがいるなら」
声に抑揚はなく、表情に色もない。しかしエマは熱い塊が胸にこみあげてくるのが止められなかった。
この男の仕草、言葉、ひとつひとつが、自分を自分でないものにしていく。
涙がどっと溢れた。拭っても止まらない。そのうちに子供のような嗚咽が漏れ、エマは顔も
覆わず声をあげて泣いた。

私は…こんなことで涙を流すような女じゃない…。

ナノはきょとんとした顔で、エマの涙を見つめていたが、顔を近づけエマの頬の涙を舐めとった。
エマが少し顔を傾けナノと視線を合わせる。水色の双眸、そのなかに自分が映っている。数瞬の空白のあと、互いに吸い寄せられるように唇が合わせられた。
まるで本能で知ってるかのように、ナノはエマの唇の間に舌を差し入れ舐めまわした。
エマもそれに応え、舌を舌で撫で、軽く吸い、熱い息を吹き込んだ。
唇が離れ、ナノは息を震わせた。
「気持ちいい。粘膜の接触は…」
「気持ちいい」という言葉を、ナノはいやに使いたがると、エマはここにきて初めて感じた。
そして思い至る。
生理的な快感こそが、彼に残された最後の感覚なのだと。
繰り返される実験によって、段々と感情をそぎ落とされていく彼の感じ取れるもの。
ならば──自分が彼に与えてやれるものは、ひとつしかない。

「この先は、もっと気持ちいいから…」
まだ瞳を涙で潤ませたままでエマは言った。
「…するのか?」
「ええ」
「生殖を」
「生殖じゃないわ」
エマは言いながら、束ねていた髪をほどいた。
「生殖じゃない。睦言。動物でなくて人間がするもの。愉しむこと、それをナノに知ってほしい」
一言一言を刻み付けるように呟きながら、エマは服を脱いでいき、素裸をナノの眼前に晒した。
ほの暗い部屋に浮かびあがる、白く豊かな曲線。それを見つめるナノは一見いつもと変わらぬ無表情に見えたが、ベッドに腰掛ける彼の背筋がピンと伸びていて、緊張していることを伺わせた。
そんなナノの背中に手をまわし、エマはすでにはだけていた寝巻きを脱がせる。
むき出しになった彼の首筋、胸板にもついばむようなくちづけを降らせる。
くちづけのさなか、ナノが喉を鳴らすのを感じとり、エマの欲望にも火がついた。舌をだし彼に見せるようにおおげさに乳首を舐めまわしてやる。
「……あ……」
ナノが小さく声をあげた。戸惑いを含んだ声。かまわず舌を腹筋まで滑らせる。寝巻き下に包まれた下肢にまで顔を近づけ、布越しの欲望に頬擦りする。
ゆっくりと寝巻き下をおろし、彼の息苦しそうにしている欲望を外に出す。想像してたものよりずっと猛々しいそれに、エマは息をのんだ。
自分の白く滑らかな指で彼の欲望を撫でさすった。いつもナノの頬や、頭を撫でるときと同じ慈愛を込めて。
「…あっ…」
小さく叫んでナノは体を強ばらせた。精液が迸る。エマはとっさに先端を掌で覆った。手のなかで彼は震え、温かいぬめりがじんわりとひろがった。
ナノは、呆然とも見える表情で荒い息をついている。
「ほら…ナノの命の種…」
ぬめりの絡んだ指先をナノの顔に近づけると、彼はなんのためらいもなさそうに、その指を舐めた。
猫の仔のような舌づかい、くすぐったさにエマは忍び笑いを漏らした。指が綺麗になる頃、ナノの雄の部分は力を取り戻していた。
エマはナノの手を取り、自分の快楽の部分へ導き愛撫を教えた。唇、指、髪、肌そして心があれば、どこに触れてもそれは愛撫になることを教えた。

互いの肉体をスキャンするような愛撫が続き、エマの肌は赤らみ汗ばむほどになっていた。
求める気持ちはピークに達していて、エマはナノの上に跨り、その熱い心棒を導きいれた。
ナノの目が見開かれ、唇がわずかに震える。残酷なことをしているようで少し胸が痛む。

彼を自分の肉で包み、揺すり、エマはナノの表情の些細な変化も目に焼きつけようと、見つめ続けた。
そのうちに、また涙が滲んでくる。
この男、ナノが、Nicoleの適合者でさえなかったら──
彼はきっと本来から、物静かな男だろう。
本が好きで。
動物が好きで。
笑うときは優しく。
泣くときは密やかに。
未来を描き、そこに健やかに向かっていけるような─そんな男だったと思う。

いまの彼に未来はなく、あるのはこの刹那だけ。
エマの目から涙が伝い、ナノの頬にぽたぽたと落ちた。
ナノの怪訝そうに揺らぐ目を見たくなくて、エマは目を閉じ彼にくちづけた。

空が白み始める頃まで体温を混ぜあう行為は続き、ナノの体で、エマの唇が触れてないところはないほどになっていた。
ナノは静かに寝息をたてていた。この行為が彼のなかにどれほどのものを残せたのか、エマはわからない。
この夜のことは、ほどなく上の者に知られるだろう。
自分は用済みにされるか、またはまな板に乗せられるか。
どちらにしろ少しでも、ナノのいいように事態がいくよう、抵抗するつもりだ。
エマはナノの頬にもう一度キスをして、そっと部屋を出た。

エマは固く目を閉じていた。
激痛でまぶたの裏が真っ赤に染まって見える。しかし目を開けてみても、世界は赤一色だった。
エマは血溜まりのなかにいた──
エマの左腕は、二の腕から先を白衣ごと失くしてしまっている。そこから血が流れているが、それだけでこの血溜りが作られたわけではない。
本来なら白く静謐な研究所の廊下、そこがすべて血で染まっている。血溜りのなかには、かつて人だったものが点々と、時に折り重なるように。そのなかには子供らしき小さな塊もあった。

昼すぎにそれは起こった──
ナノの定例の身体検査は、午前の間に行われる。それでナノとエマが関係したことは知れてしまうはずだ。
エマは自室で自分に下されるべきものを待っていた。
数時間後─ただならぬ騒ぎが研究所の練から聞こえてきた。廊下の向こうでは数人が駆け出す足音と話し声が聞こえる「Nicole・Premierが…」「暴走…」切れ切れの声に、心臓が早鐘を打つ。
脱兎のごとくエマは部屋を飛び出し、数十メートル先を行く男たちのあとを追いかけるように研究所のある棟へと向かった。

白い入り口、白い廊下、白い壁。角を曲がって、いきなり世界は激変した。
クリムゾンレーキをぶちまけたような赤の中に、ナノが立ち尽くしていた。足元には未だ血を流し続ける数人の死体。自分の先を走っていた所員たち。
「ひっ…」喉が鳴った。その声にナノがこちらを見る。表情がないのは変わりないのに、その目は昨日とはまるで違った。どこまでも虚ろで、すべてを閉ざしていた。
「ナ……ナノ」
声が震えるのを必死で抑えながら、エマは一歩、踏み出した。足元で血がぬめるのを感じる。
自分になら──止められる──そんな甘えがエマのなかにあった。
昨夜、あれほど肌と情を重ねた自分ならば、その思いだけを頼りに、一歩、一歩、ナノに近づいた。
ナノは微動だにせず、ただエマを見据えている。
エマは両手を伸ばした。その手がナノの頬に触れようとする。
しかし次の瞬間──
ナノの右手がエマの左腕をつかんで持ち上げる。エマが戸惑う時間も与えず、ナノの左手がありえない早さで凪ぎ、エマの左腕を叩き落していた。
「──!!──っ」
あまりのことに声も出ないエマを、ナノはおもちゃのように放り出し、そしてエマに見せるためのように自分の肩に造作もなく指を突きいれ、かき回し、わずかな肉片と一緒にチップを取り出し指ではじき飛ばした。
そうだ─ナノはやろうとすれば、これぐらいのこと訳がなかったのだ。
それを今までやろうとしなかったのは、やはり心が制御されていたからで、その制御を壊すほどの何かが起こったのだ。この数時間の間で。
その真相を知る者は、たぶんもういないだろう。皆、この血の海に沈んでいる。

血溜りのなかで座り込み、もはや動くこともできないエマを一瞥し、ナノは駆け出した。
どこへ行くのか──おそらく彼自身もわかってない。もう彼は、人でなくなってしまった。
しかし漠然とだが、エマはこの未来を予想していたような気もする。
痛みと出血で朦朧とする意識を、エマは必死で繋ぎとめている。
腕を失った衝撃はなく、ただひとつの考えだけがエマを支配していた。
生きなくては、生きなくては、生きなくては。
必死に唱える。
生きて彼を探さなくては。
彼を救わなくては。
彼を救うこと、それはもう殺すことでしかないけれど。
ナノと交わってしまった自分は、もうナノのために生きる以外ない。
生きて、例え何年かかってでも、彼を見つけ出す。

体に力がはいらない。
壁にもたれ顔をあお向けると、地獄のような世界の向こう、窓の外にはいつもナノが見ていたのと同じ、四角い青空が広がっていた。

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コメント

男女のベッドシーンは書くの恥ずかしくないですね。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月19日 (水) 22時54分

『スクエア・ブルー』すごく面白かったですv
濡れ場というより本当に睦言で、静謐な夜の雰囲気が美しかったです。
ラストでようやく題名の意味がわかりました。
せつない物語をありがとうございましたv

投稿: オレ様 | 2005年10月20日 (木) 23時33分

>オレ様様
ありがとうございます。
サイトのほうには、いつもお邪魔させていただいています。
本当にもったいないお言葉です。
新刊がんばってください。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月21日 (金) 07時10分

「スクエア・ブルー」大変興味深く拝見させて頂きました。ナノエマは、わたしも色々と妄想を滾らせては熱くなっていたのですが、それが御サイトで素晴らしい形で結実され、非常に嬉しく思っております。ナノとエマにあった物が何なのかは各プレイヤーの内の想像に止められ、特にこの二人に関しては「やる・やらない」のちょっと下世話なことがどうだったのかと取り沙汰されることが多いように思うのですが、エマがナノの恋人として立居振舞ったこと、大変好感を持っております。性交渉というより睦言と称したほうが相応しい二人の情交に感動いたしました。今後ともの御サイトの繁栄をお祈りしております。素晴らしいテキストをどうも有難うございました。

投稿: ayako | 2005年10月21日 (金) 13時21分

>ayako様
身に余るお言葉ありがとうございます。
多々こなれてない部分もありますが、イロイロ精進していきたいです。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月22日 (土) 07時04分

すごく面白かったです。
ナノエマいいなぁ…。BLでノマカプに萌えるのは大分間違ってる気がするけど、すごくこの二人が好きです。
イイお話ありがとうございました。

投稿: 通行人 | 2008年12月30日 (火) 23時41分

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