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2005年10月18日 (火)

橙色疾走

アパートの窓からはいる西日を受けて、ケイスケはうなだれていた。
畳に映るケイスケの色濃い影の端を踏みながら、アキラはケイスケを見下ろしていた。
見るというより、睨んでいた。口元が赤く腫れている。

「なあ…工場長のところへ謝りに行こう」
アキラは口を開き、さっきから何度も言っている言葉をまた口にした。
ケイスケは畳を見つめながら、かぶりを振った。
「ダメだよ…。あんな騒ぎ起こして、謝ったってもう無駄だよ。絶対クビだ…俺」
「だからそうならないように謝りに行くんだろう?」
アキラの口調に少し苛立ちが混じった。昔のケイスケに戻ってしまったようで腹立たしかった。

話はこの日の昼にさかのぼる。
工場の昼休み、アキラとケイスケは工場裏の駐車場の縁石に座って、並んで弁当を食べていた。
駐車場には大きな芙蓉の木があり、機械ばかりの環境のなかで唯一ホッとできる空間だ。
天気もよく、空気も初秋特有の澄んだ匂いがして気持ちよかった。
「ねえ、アキラこれ美味しいよ。食べてみなよ」
工場で支給される仕出し弁当のおかずを、アキラの弁当箱のなかに放り込む。
「いいって。俺だってあるんだし、ケイスケが食べろって」
アキラはそれをまたケイスケの弁当に戻す。
「だってアキラには、いっぱい食べてほしいからさあ。仕事ハードだし。また痩せてない?」
「大丈夫だって」
そうして二人で肩を寄せ合いながら、弁当のおかずを行ったりきたりさせていると、どこからか風が吹いてきて、アキラの髪を揺らした。
「……」
ケイスケがおかずをつまんだ箸を二人の弁当箱の間、中空で止めている。
「どうした?」アキラがのぞきこむと、ケイスケはうっとりと目を細めている。
「アキラの髪、いい匂いだなあ」
唐突な言葉にアキラは面食らい、赤くなった。
「バカ、お前だって同じシャンプー使ってるだろ」
「アキラが使うと、違う匂いになるんだよ。ずーっと嗅いでいたくなる匂い」
そう言ってアキラの耳元に鼻を寄せた。

ケイスケはいつものことだが、簡単にスイッチがはいりすぎる。
くんくんとおおげさに音をたててアキラの髪の匂いを吸い込み、さらに耳に舌を這わせた。
「バカっ…やめろって」アキラがくすぐったさに肩を竦める。
「お願い、ちょっとだけさせて…」
「……」ため息とともに、少しだけ顔を仰向けてやった。やはりというか、ケイスケの唇は耳から額に移り、額の次にアキラの唇におりてきた。

そのときだった。
「あーーれーー?」
間延びした声が二人の間に割ってはいった。
コンビニ袋をさげた新入りの男が、停められたバンの陰からのっそりと出てきた。
「なんだ、アンタらそういう人たちなんだ。へええ~」
男は新入りだが、アキラたちより年上で、そのせいか態度も横柄だった。仕事の説明をしても右から左へ聞き流し、仕事をたのめば生返事で、アキラもケイスケも口にはださないが腹立たしさを感じていた。
「なんか変だと思ってたんだよねー。男二人がいつもこんなにひっついてるなんて普通ありえねーし」
ケイスケの眉がぴくりと吊りあがった。
「で、なに?やっぱアンタがいれられるほうなの?」
男はアキラを不躾に指差し、ヒャツヒャと笑った。
次の瞬間、ケイスケの体がバネのように立ち上がり、電光石火の勢いで男を殴り倒していた。
「ケイスケ!」アキラも立ち上がる。
男はアスファルトに背中を擦りながら倒れた。コンビニの袋の中身がはじけるようにこぼれ出る。
「もう一度言ってみろ。あぁ!?」
いつもは柔らかなラインを描いているケイスケの目尻がギリギリと吊りあがった。
ただならぬ気配を感じて、駐車場に人が集まってきた。いつも笑顔で荒っぽいこととは無縁そうなケイスケの変容に、数人の仕事仲間たちも息をのんで遠巻きに見つめている。
男はわたわたと立ち上がり、鼻血を拭った。
「な…なんなんだよ。こんなんでブチ切れやがって。図星だからって人殴っていいと思ってんのか」
男は、まだ虚勢を張れていた。ケイスケのことをまだ心のどこかで舐めているのだろう。
しかしアキラは知っている。ケイスケの力を。それが暴走した果てに行き着く先を。
ケイスケのこめかみに血管が薄く浮かんだ。
「黙れ…っ」
「本当のこと言って何が悪いんだよっ…。へっ男同士でイチャイチャしててきめーんだよっ!」
「黙れよっ!」
ケイスケが左足を踏み出し、その足に力をこめる。そのままそれを軸にして上体を捻り、拳を振りあげた。
「ケイスケ!」
ケイスケと男の間に、アキラは割ってはいった。男を殴ろうとするケイスケの拳が予想以上の強さでアキラの頬にめりこみ、アキラは体ごと弾き飛ばされた。
「アキラ……」
ケイスケはそのままの体勢で固まってしまい、倒れ伏したアキラを見つめている。
アキラが上体を起こした。口の端に血が滲んでいる。しかしその表情は親が子供をなだめるような静かな優しさを含んでいた。
「落ち着けよ…ケイスケ…」
ケイスケの顔から険が消え、代わりに怯えの色が浮かんだ。顔がくしゃくしゃに歪み目尻には涙が浮かんだ。
「ごめん…ごめんっアキラ…っ」
すでに周りには工場中の人間が集まっていた。少ない人数だが。その中には工場長もいた。
ケイスケは周りを見回し、ようやく事の重大さに気づいたのか、うつむき、震え、数瞬後走り出した。
駐車場に停めてある自分の自転車にまたがり、そのまま走り去ってしまった。
「ケイスケ!」アキラは数メートル追いかけたが、すぐにあきらめて立ち止まった。
ため息をつくアキラの後ろで、男が「ホモの痴話喧嘩か」と減らず口を叩いた。
振り返り、男を睨むアキラの表情はケイスケ以上に気迫に満ちていて、男は体をビクリとすくませた。
やがてアキラも走り出した。ケイスケは自分のアパートに帰っているはずだ。

思ったとおり、ケイスケはアキラと二人で住むアパートの一室に戻って、打ちひしがれていた。
「今ならまだ間に合うって」
アキラの説得は続いている。
ケイスケは黙って首を横に振るばかりだ。アキラは内心でため息をついて、切り札を出そうと考えていた。
「ケイスケ」ケイスケの後ろから、正面を向いて座った。
「お前がクビになったら、俺も工場辞めるからな」
ケイスケが眉をひそめる。
「だって…アキラは何も関係ないじゃないか。俺がバカやっただけで」
アキラはわきあがる羞恥を全霊で抑えつけ、ケイスケを見つめて、言った。
「お前と一緒にいたいんだ。その…仕事のときだって…」
ケイスケの瞳が丸くなり、頬が真っ赤に染まった。なんて顕著な反応だろう。見てるこっちが恥ずかしくなる。
「とにかく!行こう。謝りに」アキラがぶっきらぼうに言うと、ケイスケは素直に頷いた。

工場へ向かう自転車の後ろに乗りながら、アキラは考えていた。
意外と頑固なところのあるケイスケを懐柔したり、今日のように動かさなくてはならないとき、アキラはさっきのように「自分を」切り札に使うことがあった。
もちろん、さっきの言葉に偽りはないが、ケイスケの想いにつけこんでるのでは、という気持ちは拭えない。
もっと、そういう色恋の感情抜きに、ケイスケと対等に渡り合いたいと思うのだが、ケイスケはそれを望んではないのだろうか。

考えているうちに、自転車は工場に着いた。
工場長は応接間も兼ねている狭い自室で茶をすすっていたが、二人の姿を見て苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
ケイスケは「すいませんでした!」と体が折れ曲がって見えるほど頭をさげ、アキラも一緒になって頭をさげた。
工場長は「田川の奴、辞めて行っちまった。全くイマドキの若いのは、どいつもこいつも」と言いながら頬を指で掻いた。
「どうするよ。この忙しい時期に」
「俺が倍働きますから…残業代もいりませんから!」ケイスケが言い募る。
工場長はかすかに鼻で笑った。
「ところで、お前ら本当にデキてるのか?」
ストレートに言われて、体が硬直した。アキラも、ケイスケも。
アキラは考えていた。ここは否定したほうがいいのだろうか。男とのいさかいも、最初は仕事仲間たちに聞かれてなかっただろうし、男のたわごとと流すこともできる。自分とケイスケとのことに恥じる気持ちはないが、誰もがそれを好意的に見てくれるわけではない。
社会で上手くやっていくのに、多少の方便は必要なんじゃないのか。
「それは…」
アキラが言いかけた言葉をさえぎる大きさで
「はいっ!デキてます!」ケイスケの声が部屋中に響き渡った。
アキラが呆気にとられていると、ケイスケの声に負けないくらいの大声で、工場長が笑った。
「そう言ってやりゃあよかったじゃねえか。さっきも殴ったりせんで」
笑いながら茶を啜る。
ケイスケとアキラは顔を見合わせ、そして視線を工場長に移した。
「今の世の中、色んな奴がいらあな。こっちは仕事さえしてもらえりゃいいんだし、毛色の変わった奴いちいちはじいていったら、工場なんて立ち行かなくなっちまう。いいじゃねえか。何か言われたら「うらやましいだろ」とでも言ってやりゃ。こんな綺麗どころ捕まえられる奴はなかなかいないからな」
「そうですねっ!」ケイスケが晴れやかな顔でぬけぬけと言い放つ。その背中をアキラは殴りたくなったが、工場長の手前、ぐっと堪えた。

日はすでに傾いていて、空は橙色に染まっていた。
アキラとケイスケは自転車に乗って、河原道を走っていた。川辺には背の高い草が群生していたが川の向こうはいくつかの工場が連なって白い煙を吐いていた。
美しい風景とは言えなかったが、それでも水風とそれに煽られる草木の匂いは気持ちよかった。
「よかったな。お咎めなしで」
自転車の後ろで、ケイスケの肩甲骨のあたりに頬を預けてアキラが言った。
「うん。アキラのおかげ」
ケイスケは軽快にペダルを漕いでいる。
「俺は何もしてない」
「でもアキラが説得してくれたからだよ?」
「お前が短気起こしたりしなきゃ、済むことだったんだ」
照れ隠しに言ったつもりだったが、ケイスケには充分棘があったようだ。「ごめん…」萎れた声が背中に当てた耳に伝わる。
「俺…本当にダメだよな。アキラに迷惑かけてばっかりで…アキラのことも殴っちゃうし、自分のこと自分で抑えられないし…なんか…もう」
「ケイスケ」
胸のなかがチリチリとしていたが、アキラはそれが声音に出ないように抑えながら言った。
「俺は、お前に何してやったらいい?」
「え?」
「俺が何をしてやれば、お前は不安じゃなくなるかって聞いてるんだ」
ケイスケは不安定だった。
昔のケイスケのような卑屈さと、トシマでラインに冒されていたときの凶暴さと、さっき工場長の前でぶったような屈託のなさと。
それらが些細なことで出たり隠れたりを繰り返している。それを責めるのは簡単だが、ケイスケが抱え込んでるものの重さを考えれば、その不安定さも当然のことだった。
ならば、自分はケイスケを少しでも安定させる力になれないだろうか。
アキラはそう考えているのだが、彼もまた不器用な物言いしかできなかった。

「そんなの…一緒にいてくれれば…」
ケイスケが照れくさそうに呟く。アキラの真意は伝わっているようだ。
「いまだって一緒にいるだろ」
「一緒にいて…その、キスとかしてくれれば」
「いまだって…してるだろ」
「もっと一日…20回くらい」
何なんだ。その具体的な数字。
「………」
アキラは返す言葉が見つからず、しばらく地面に伸びた車輪の陰を見つめていた。
「アキラが…気にすることはないよ」
間をおいてケイスケが言った。自嘲の響きがこもる。
「だって、俺、底なしだもん」
強くペダルを踏む。自転車のスピードがあがる。
「アキラが俺と一緒に暮らしてくれてるだけでも幸せと思わなきゃいけないのになあ。」
ひと気のない橙色の河原道にケイスケの声が通り抜けた。

「アキラと…初めてそういうことしたとき、俺、このまま死んでもいいと思ったけど、ダメなんだよなあ。またしたくなる。いっぱいしたいって思ってる。アレするたびに俺は天国行っちゃうけどすぐ下界に戻ってきちゃうんだ。それでいつも足りない気持ちでいっぱいで。キスだってさ、アキラが20回してくれたら、次は30回して欲しくなるに決まってるんだ。ホントにどうしようもないな、俺」
アキラの顔が見えてないせいか、ケイスケの言葉には淀みがない。だけど鼓動は激しくて、そして背中に触れているアキラにはそれが伝わっている。
「満足できないんだ。いつでも不安なんだ。アキラの気持ち、嬉しいけど、そんなのにつきあってたらアキラへとへとになっちゃうだろ。だから気にしないで」

ケイスケとアキラが情を交わすのは、せいぜい5日に一度くらいだ。工場の仕事はハードだし、ケイスケの欲望を受け止めるアキラの体が、それぐらいのインターバルを必要としてるせいもある。
たしかにケイスケの欲求を、ケイスケの気のすむまで受け入れることはできないだろう。
でも…。
ケイスケがアキラを求める気持ちを恥じてるのなら、それは間違いだ。
「そんなの…」
考えて、心のなかで言葉を紡いでアキラは口を開いた。
「そんなの…別に普通なんじゃないのか。腹いっぱいメシ食ったって時間がたてばまた腹が減るだろ。それと同じなんじゃないのか」
「……」
ケイスケの沈黙。呆れてるのだろうか。我ながら変な例えだとアキラは少し後悔した。
ただ、アキラはケイスケの渇望を肯定していることは伝えたかった。そして自分の体が許す限りそれを受け止めたいとも。
それをどう言葉にしていいか、また迷って、結局同じ例えになってしまった。
「俺だって…腹減るんだ」
「アキラ…」
ケイスケの声に歓喜の響きがあった。真意は伝わったらしい。
「じゃ、じゃあ…今晩…いいのかな」
アキラはケイスケの背中に額を擦りつけて、肯定の意思を伝えた。
確かに…いま、自分はケイスケを欲しいと思っている。
「いやっほぉぉぉぉぉぉぉっ」
ケイスケはもはや立ち漕ぎになって、自転車が左右に揺れるほどのスピードをあげた。
「お、おい危ないって!」
アキラはケイスケの腰にしがみつく。

ケイスケとアキラの間には、解決しない小さな問題が山積みで、不器用な二人にはなかなかその山を崩せない。
解決は二人の成熟にかかっているわけで、結局は時間がなんとかしてくれるのを待つしかないのだ。
だけど時間はたっぷりある。
二人がお互いを見つめ合う時間が。

ケイスケとアキラを乗せた自転車は、まるで昔の名作映画のように、そのまま空に飛んでいきそうな勢いで橙色に染まった秋の空気のなかを駆け抜けていった。

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コメント

ただただラストの自転車二人乗りが書きたくて書いた。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月19日 (水) 22時51分

ケイアキってやっぱいいなぁ・・・・

投稿: もっちゃん | 2008年5月25日 (日) 00時40分

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