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2005年10月27日 (木)

少年の瞳 後編

アキラの頬が鳴った。

アキラにのしかかっていた男を刀で威嚇し、部屋から追い出したシキは、振り返りざまにアキラの頬を渾身の力で打った。アキラの上体が傾ぎ、またもソファーに倒れこむ羽目になった。
「…恥を知れ!」シキはやり場のない憤怒を持て余し、肩で大きく息をついている。
その怒りかたに、シキがいまの行いの意味を知ってることにアキラは気づいた。
(ませてるな…)アキラは熱をもった左頬を手で押さえながらも、気づかれない程度に薄く笑った。

「いつも…あんな事してたのか」
「ああ、そうしないと金が稼げない」
否定してほしかったのだろうか。シキの目が傷ついたかのように見開かれた。
「もう…やめろ。あんなこと」
シキはうなだれ、呟きを床に向かって吐いた。
「できない」
アキラは少し偽悪的な気分になっていた。シキに身を売っていたことを知られ捨て鉢になっていたのか、それともシキの少年特有の潔癖さに反発したくなったのか。
「俺が自分の体を使って、リスクも全部背負ってやってることだ。アンタにとやかく言われる筋合いはない」
「…俺の言うことも聞けないのか。いつも聞いてくれてたじゃないか!」
感情の昂ぶりが、取り繕うことを忘れさせたのか、シキの物言いは駄々をこねる子供のそれだった。
「…俺に命令できる人間は一人だけなんだ」
アキラは微笑んだ、つもりだった。しかし眉はしかめたまま、口角だけをあげた微笑みはひどく寂しげに映った。
「ほら」
アキラは黒いシャツの裾をたくしあげ、腹部をシキの目の前に晒した。臍を指差す。
促されてシキが遣った視線の先には、銀色の小さな球体がふたつ、臍の穴を縁どるように埋まっていた。
「……?ピアス…か?」
シキの眉が訝しげに寄る。少年のシキはピアスは知ってても、臍ピアスは知らないらしい。
「所有の証──なんだそうだ」
言いながらアキラはその銀の部分をそっと撫でた。切なさがこみあげてくる。
「これを俺に施した男が、俺の所有者なんだ。俺は…その男の命令しか聞けない」
少年のシキがこの世界に生れ落ちてから、ずっと母親のような立ち居地だったアキラ。しかし男を想い呟きを漏らすその表情も声音も、おそらくシキにとって初めて目にするものだっただろう。
「その男は…いま、どこにいるんだ」
「遠くにいる」
「…待っているのか、そいつを」
「ああ…待ってる。ずっと…」
ふいに──シキの目が虚ろになった。何かをたぐるように、遠くを見据えゆらゆらと揺れている。
「シキ…?」
アキラの声に引き戻されるように、シキの目が焦点を取り戻した。
しばらくの間、シキは黙ってアキラを見つめていたが、やがて何も言わないまま寝室に行ってしまった。
アキラがこっそりと部屋を覗くと、外界を拒絶するように頭からすっぽりと毛布をかぶって眠っていた。
彼なりに傷ついても憤ってもいるようだが、その蛹のような姿にアキラは笑ってしまった。
いまのシキは少年で、そしてやはりアキラは母親なのだった。

気まずさを残さないのが少年の美徳だと、アキラは思った。
朝が来て、何事もなくシキは朝食をねだった。アキラは湯を沸かし茶を淹れ、シキはパンを切り分ける。
チーズとハムをはさんで二人で向かい合って食べた。
食卓はシンとしていたが、それはいつものことだった。もともと二人ともあまり喋るほうではない。
しかしシキがその静けさを破った。
「強いのか…?そいつは」
前後の脈絡のない言葉に、アキラは返事に窮した。シキが眉を寄せて「お前の所有者が、だ」とつけ加えた。
「あ、ああ…強い。すごく」
今でも鮮明に思い返せる。刀を閃かせる彼の身のこなし、その力強さ。
「でも…俺もいまはかなり強くなったから。いまだったら、けっこう互角にやれるんじゃないかな」
驕りでもなんでもなくアキラは本心から思い、それを口に出した。
いまの自分が、あの頃のシキと剣を交えられたら…アキラは時々そのことを考えた。
そうすれば、少しは手ごたえを感じてくれただろうか。彼の心をこの世界に引き止める甲斐になっただろうか。
「やめろ、その顔」
シキが不愉快さを隠そうともしない表情で言った。
「え?」
「そいつのことを考えてる、お前の顔だ。嫌な顔だ。見ていたくない」
…どんな顔なのだろうか。無意識にアキラは自分の頬を撫でた。
「…いやらしい顔だ」
そう言って、シキは茶のはいったカップをひと息で煽った。

シキの剣の練習はかなり上の段階まで進んでいた。
地面に細く長い杭を打ち込み、それに向かって剣を振る。
ひと足で踏み込み、一振りで狙った場所へと剣を打ち込む。満足がいくまでそれを繰り返す。
空気は冷えていたが、シキの額には玉のような汗が浮かんでいた。
一方、アキラはといえば、日雇いのバイトを始めた。
まだ復興のさなかにあるニホンで、この手の仕事の需要は多かった。
シキとの諍いのときには身売りはやめないなどと言ってしまったが、本当はもうとうにやりたくなかったのだ。
久しぶりの力仕事に体は鉛のようになったが、それでもそこで流す汗は、男に抱かれて流すものよりもよほど気持ちのいいものだった。

数日が過ぎたときだった──
その日は仕事を休んで、アキラは買出しに出ていた。
懐も潤って、色々なものを買うことができた。シキの服も何着か。
ソファーに腰掛け、前のテーブルに買ってきたものを袋から出し、並べているとガチャリとアキラの目の前に鞘に納まった刀が放り出された。
返り討ちにした追っ手の持っていたものだ。
アキラが顔をあげると、シキが立ったままこちらを見下ろしていた。右手には自分の刀を手にしている。
「シキ……?」
真意がつかめず、アキラがシキを見返していると、シキがぼそりと言い放った。
「アキラ──俺と勝負しろ」
「え……」
「俺が勝ったら、お前は俺のものになれ」
まだ意味がわからない。
「本当は、その所有者とやらと勝負がしたいが、遠くにいるならしかたない。お前はそいつと同じくらい
強いのだろう?だったら代わりにお前が勝負しろ」
冗談のような理屈だったが、シキの目は本気だった。ただひたひたと闘志をたたえている。
「俺が勝ったら、俺がアキラの所有者になる。アキラは、もうそいつのことを考えるな。俺のことだけ考えろ。
俺だけを見て、俺のために生きろ」
言葉は傲慢そのものだったが、響きに少年の持つ真摯さがあった。彼を傷つけてここまで思いつめさせたのが自分ならば、やはりその責任はとるしかない。
「わかった…。受けよう」
アキラは置かれた刀を手にとった。

すっかり葉の落ちきった枝ばかりの林で、アキラとシキは遠間と呼ばれる距離を空けて立っていた。
二人の間を風が吹き抜ける。風はアキラのコートの裾を翻し、シキの白いシャツに空気を孕ませた。
シキは剣術の儀にのっとって、中段で剣を構えていた。
一方アキラは左手に剣を持ったまま両手を下げ、一見無気力とも思えるような形で立っている。
いわゆる死に体というやつで、思い返せばシキの闘いの姿も、記憶のなかでは構えらしい構えをとってなかった。殺し合いの場ではそんなものは必要でないと、実戦のなかで知っていったのだろう。いまのシキからあとどれぐらいの時を経れば、その境地に辿り着くのだろう。

しかし、剣をこちらに向け、殺気を全身からたたえているシキは、姿だけならあの頃のシキそのものだった。
アキラの胸がじょじょに熱くなるのを感じる。
シキ…こんなときがもう一度くるなんて思わなかった。
アキラは目を閉じ、そして開いた。神経が研ぎ澄まされる。視界にはシキだけしかはいらなくなる。
先に一歩を踏み出したのはシキのほうだった。
楕円を描くように剣をふりあげ、アキラの左肩に向け刃を打ち込もうと、強く踏み込んだ。
それをアキラは下から上へと剣を払い、難なくはじき返す。
力がこもってるようにはとても思えないその振りの、意外なほどの衝撃にシキは表情を変えた。
アキラがふわりと一歩引き、次いで息を飲む速さで二歩踏み込んだ。
刃が横に薙ぎ、シキのシャツを掠めた。よけるのが一瞬遅れていたら、シキの胴には赤い一文字が走っていたはずだ。
アキラの動きには無駄がないうえ、どこからどう出るのか全く予想がつかなかった。
シキは焦りを隠そうともしない表情で、闇雲に打ち込んでくる。
それを受け止め、払い、アキラは笑った。シキの表情に怯えが走る。

シキ、いまならわかるよ。アンタの言ってた闘いのさなかの高揚ってやつが。
でも、「本当」のアンタとやり合えたら、どんなにいいだろう。
分かち合いたい。この高揚を。
いまの俺を見て欲しい。
アンタが欲しい。
シキ…俺はアンタを

愛しているんだ。

「シキ!!戻ってこい!!」
アキラは叫んだ。
シキの動きが一瞬固まる。その一瞬を逃さず、アキラはシキの刃に剣を叩き込み、シキの手からはじき落とした。金属音とともに、剣が弧を描きながら飛び、数メートル先の地面に突き刺さった。
シキは呆然としたまま、数瞬の間動かずにいたが、やがて膝をつき枯れ葉のなかに倒れこんだ。
「シキ!?」
アキラは駆け寄った。外傷は負わせてないはずだ。抱き起こすと青ざめてぐったりとしたシキの顔があった。
おそらく極度の緊張とその糸が切れた反動だろう。アキラはシキの頭を膝にのせ、その頬をゆっくりと撫でた。
どれぐらいそうしていただろう。
シキの唇が震え、掠れた声が言葉を紡いだ。
「……アキラ」
ざわりと胸が騒いだ。たった一言なのに、その声音がさっきまでのものとは違うことが感じられた。
「シキ…!?」
アキラはシキの顔をのぞきこんだ。シキは目を閉じたままだったが、唇がほんのわずか微笑む形をとっていた。
「強く……なったな…」
今度こそ本当に心臓がとまるかと思うほど、胸が鳴った。視界はみるみる涙でぼやけ、シキの顔を見つめるのを邪魔するそれを、アキラは乱暴に手で拭った。
「まだ…アンタほどじゃない」
笑おうと思うのに、こみあげるものに声がつまる。

やがて、ゆっくりと目を開け、シキがその美しい赤い瞳を見せるのを、アキラは祈るような気持ちで見つめていた。

少年のシキは、どこに行ってしまったのか。
別の土地へと向かう道すがら、アキラはぼんやりと考えていた。
「どうした」
隣を歩く男が声をかける。
黒い髪と、赤い瞳と、絶対的な力を持つ不遜そのものの男──
だが確実に以前とは違う表情の柔らかさを、いまの男は持っていた。

たぶん、「彼」がくれたんだろう。
過ごしたのはわずかな時間だったが、アキラは彼のことも好きだった。
「なんでもない」
アキラは穏やかな気持ちで、自分の前を見た。
ひび割れ、波打つ悪路が続いていたが、それに足を取られることは、もう男にはないだろう。
しかしアキラは男の手を取った。男は何も言わずにただ微笑みを返し、二人は新しい土地に向かって歩き続けた。

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コメント

なんか書き終ってから少年シキが不憫になりました。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月27日 (木) 05時26分

シキアキスキーなのですが、「赤い花」を拝読してからED1の話も読めたらいいなぁとずっと思ってました!!!!凄い嬉しいです。スクロールするたびにハァハァさせて頂きました!!!甘いのも良いのですが、甘すぎないシキアキが凄い良かったです。言葉をあまり伝え合わない二人なので、アキラが思いを言葉にするシーンは泣けてしまいます。少年シキは戻った後のシキと合体したと思ってます。

投稿: 青 | 2005年10月27日 (木) 22時31分

>青さま
ありがとうございます。
シキアキED1のキモといえば、やはりアキラが強そうでかっこいいとこだと思ってましたので、そこを前面に押し出そうとして書きました。楽しんでいただけて幸いです。
次はエッチいの書く予定です。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月28日 (金) 22時31分

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