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2005年10月27日 (木)

少年の瞳 前編

「あっ…んうっ」 
アキラはソファーの背もたれにすがり、「客」に背後から貫かれていた。
固く目を閉じて、その律動を受け止めている。
他にろくな家具もない簡素な部屋にアキラの漏れる声と、「客」の息遣い、肉と肉の擦れる音だけが響いている。
「客」の太った指がアキラの胸板にまわり、乳首を円を描くようにこねる。掌はじっとりと汗ばんでいて触ったはしからアキラの肌を冷やしていく。
「綺麗な肌だねえ」
「客」の耳障りな声が聞こえ
(喋るな…っ…)
アキラは心のなかで抗議した。

アキラは瞼の裏に一人の男の姿を映し、その男との情事を反芻していた。そうすれば、ただ苦しいばかりのこの行為も少しは、ましになる。
男の長く白い指が、自分の背を撫でる、唇が押し当てられる。熱い吐息、それを生む自分と男を繋ぐ部分、その濡れた感触。
「あ…っ…ふ…」
思い返しているうちに、体が熱くなってきた。アキラの腰が蠢きだして「客」を喜ばせたが、もうその声もアキラの耳には届かなくなっている。ただただ男のことだけを思い、その他のことは遮断した。
その男は、かつて自分を所有していた男。
黒い髪と、赤い瞳と、絶対的な力を持つ不遜そのものの男。
その男、シキは──いま、隣の部屋にいる。

「客」が幾許かの金を置き、去ったあと、アキラはタオルを水で濡らし自分の体を拭いた。
秋の半ばの空気に水の冷たさが辛かったが、この部屋にはガスが通ってない。
一応、携帯用のカセットコンロはあるが、あまり無駄には使えない。シキの体を拭くときは湯を沸かすが自分にはこれで充分だった。
ゆるゆると服を身につけ、隣の部屋へと足を運んだ。そっと扉を開け、なかの人影に声をかける。
「シキ」
答えない。身じろぎもしない。シキは視線を中空に彷徨わせながら、車椅子に身を預けていた。
ゆっくりと胸が上下していることだけが、彼が人形でないことを証明している。
かつてトシマを支配し王と呼ばれていた男、その成れの果て。彼のいまの状態を「抜け殻」と形容することもできるだろうが、アキラはそうは思っていなかった。
これも紛れもなくシキなのだ。
アキラはシキの前まで歩み寄り、跪いた。シキの弛緩しきった手をとり、自分の頬にあてがう。
それだけで暖かな気持ちになれた。

人形のようなシキを連れての逃亡生活において、まっとう仕事に就くのは無理だった。
いつ追っ手に狙われるかもしれないし、そもそもシキを長い時間一人にしておくことができなかった。
そしてアキラは身を売ることで日銭を稼いでいるのだが、それを恥ずかしいこととは思っていない。
アキラにとってはシキとの安寧こそが最優先事項で、そのためには一時、自分の体を他人に与えることなど何でもなかった。
しかし行為のあとには、いつもシキの手が欲しいと思う。シキに触れて欲しいと思う。
そしてアキラは自分でシキの手を取り、体に這わせた。頬から首筋、胸板へとシキの痩せた手を滑らせる。それだけで息が震えた。しかし手をそれ以上、下に向かわせることはしなかった。
「ごめん…」アキラは立ちあがり、物言わぬシキの頭を抱いた。

いつまで続くのかわからない生活に、変化が訪れたのは突然だった。
紅葉の舞い落ちる林のなかで、久しぶりの追っ手と対峙したとき。
躍り出てきた二人の追っ手のうちの一人を袈裟懸けに切って地面に沈め、もう一人の刃を日本刀で受け止めていたときだった。
背後で枯れ葉を踏む音がした。
振り向かずとも気配でわかる。もう一人いたか──舌打ちする。
後ろには、車椅子に乗ったシキがいる。渾身の力で敵の刃をはじき返し、よろめいた相手に真一文字に刀を払い、その両手を切り落とした。
振り返ると、もう一人の敵がシキに覆いかぶさるようにして大振りのナイフをふりあげている。
しかし腕を切られた男の叫びに、一瞬気をとられ顔をあげた。
その隙を見逃さず、アキラは敵の無防備な顔面に刀を深々と突き立てていた。
叫びと血飛沫が同時にあがり、それらがシキに降り注いだ。
「シキ!」
シキに倒れ掛かろうとする男の体を、刀で払いのけ地面に倒し、アキラはシキの体をかき抱いた。
シキの白い顔が血で染まってしまっている。美しい赤い眼にも血がはいりこみ、色の区別がつかなくなっている。痛ましさにアキラは目が離せずにいた。
ふと、その赤い眼がしばたいた。その後、二度三度と。
アキラは息をつめて、それを見つめた。やがてシキの唇が震えて、なにかを形どる。
「シキ…シキ!?」必死にアキラはシキに語りかけた。シキの肩を掴む手に力がこもる。
やがて──シキの唇が何年かぶりに言葉を紡いだが、それはアキラの思いもよらない言葉だった。
「…お前は……誰だ…」

部屋に戻り、シキの体についた血を拭っている間にも、シキの心身は驚くほどの勢いで、現世に立ち帰っていた。しかし心のほうは完全ではないらしい。記憶の混乱が起こっている。
話を聞いていると、幼児退行というのだろうか、記憶が少年の頃に戻ってしまってるらしい。
「この間…弟が生まれたんだ。可愛かったな…」
「学校へは…もう行かない。俺には学ぶことが…他にある」
誰に聞かせるわけでなく、ただ思い浮かんだことをそのまま口にしているようだった。
そのうちシキの頭がゆらゆらと傾ぎ、そのままコトンと眠りについてしまった。
アキラは不安になった。またこのままシキが目覚めなかったら…。
身震いがした。アキラはシキの寝顔を見つめ続けていたが、やがてベッドにはいり、シキの痩せた体を強く抱きしめた。その強さはシキの魂を繋ぎ止めたい一心だった。
「行くなよ…もう」
シキの規則正しい心音を聞いてるうちに、アキラもゆっくりと眠りに落ちていった。

「おい」
誰かの声で目覚めるなんて、何年ぶりだろう。
アキラが目を開けると、間近にシキの顔があった。シキはアキラの腕に抱かれたままでいたが、表情は不機嫌そのものだった。
「腹がすいた」
ふてくされたようなシキの呟きに、アキラは呆気にとられ、次いで笑いたい気持ちになった。
昨日のシキは、まるで孵りたての鳥の雛のような頼りなさがあったが、今日のシキは羽も生え揃うぐらいには成長したかのようだ。エサをねだる雛のようにふてぶてしい。
しかしアキラは心底嬉しかった。鼻の奥がツンとなるのを堪えるほどに。
「ああ、いま用意する」言いながらベッドを出た。
用意できるものといったら、スープとソリドくらいだったが、シキはよほど腹がすいていたのか、黙々とそれらを食べた。ただ「まずいな」と時おり呟いてはいたが。
シキの心はあいかわらず「少年」のままだった。しかしどういう思考回路になってるのかはしれないがシキ自身の体が成人のものであることと、アキラとこの場にいることに対して疑問は抱いてないようだ。
生まれた子供が自分の親と、その環境に疑問を抱かないように──

アキラはスープを啜りながらシキを見ていた。少し伸びた黒い髪、体はずいぶんと痩せ、白いシャツのなかで泳ぐようだ。無心でソリドを食んでいる姿は、何歳も若く見え、本当に少年のようだった。
感慨深くそんなシキの姿を見つめていると、シキと目が合った。ジロリと睨まれる。
「何をそんなに見ている」
「あ…いや別に」
不遜な物言いは、どうやら少年の頃かららしい。それもシキらしくてアキラは密かに微笑んだ。
「ところで、お前」
「え」
「あれは、俺の刀じゃないのか?」
シキが部屋の隅に向かって、顎をしゃくる。
確かにそこにはシキの刀が立てかけてあった。
「勝手に使うな。あれは父が10歳の誕生日に俺にくれたものだぞ」
「あ…ああ、すまなかった」
シキは立ち上がり、刀を手にした。そのままスラリと刀身を抜く。
「俺は強くなる。そして少しでも早く父の後を継がなきゃならない。みんなが…待ってるんだ」
煌く刃を見つめシキが呟いた。シキの家はアキラたちとは違い裕福だったようだ。実の親と引き離されることもなかったらしい。しかしシキの子供時代が安穏としたものではないことを、刀を見つめるシキの目が語っていた。
「お前」
突然シキがこちらを振り返る。顔に不敵な、だが子供っぽい笑みが浮かぶ。
「お前も少しは腕がたつみたいだな。練習相手になれ」

追っ手を返り討ちにしたときに取りあげた刀が一振りあった。
アキラはそれを持って、裏の林でシキと向かい合った。
予想はしていたが、何年も寝たきりだったシキの体は萎えきっていて、腕は刀を上段に振り上げることもままならず、足は踏み出そうとすると、よろよろともつれた。
思い通りに動かない身体に、やがてシキは癇癪を起こし座り込んで地面を叩いた。
「くそっ…なんで…動かないんだ!」
言いながら地面に積もった枯葉を握りつぶす。
「しかたないさ…何年も使ってなかったんだから」
アキラもシキの隣にしゃがみこんで、あやすように言った。
「とりあえず、歩くことから始めよう。大丈夫、すぐに戻るさ」
立ち上がり、アキラはシキに手を差し伸べた。シキは少しの間、アキラを見つめていたがやがて黙ってその手を握った。

ひと気のない遊歩道を、二人は歩いた。
過疎の地にあってアスファルトは雑草に押し出され、ぼこぼこと波打っていた。それにシキが足を取られないように、アキラはシキの手を握り、ゆっくりと歩を進めた。
「お前、名はなんという」
突然のシキの言葉にアキラは思わず足を止め、後ろを歩いていたシキをよろめかせた。
それは昔同じことを尋ねられたときとまったく同じ口調だった。振り返ると、気をつけろと言わんばかりに少し唇を尖らせたシキの子供っぽい顔とぶつかった。
アキラは、やるせなく笑った。そうだ、シキはこんな顔はしない。
「…アキラ」
「アキラか」
「ああ」
再び二人は歩き出し、それ以上の会話はなかったが、シキがその響きを舌で転がすように「アキラか…」と
呟いた。独り言のようだった。

それからは二人での散歩が日課になった。
最初のうちはシキはまだアキラの手を握っていたが、やがて必要としなくなった。
アキラの数十歩先を足早に進み、ときおり振り返り「早く来い」と促す。
体が力を取り戻していくのが嬉しいのか、早足はじょじょに駆け足になり見えなくなるほど遠くまで行ったかと思うと、また駆け足で戻ってくる。子犬のようだ。
しかしそんな雰囲気も、同じく日課となった剣の練習となるとガラリと変わった。
シキは初歩の初歩、移動の練習からやり直していた。
刀を構えたままひと足踏み込む。残った足を摺るようにひきつけながら移動する。時には横へ、そして斜めへと。
常に腰はひねらず同じ向きで。
そんな練習を声もかけられぬほどの真剣さで繰り返している。アキラはそんなシキを見つめながら、彼がやはり幼い頃から剣術に触れていたことを知る。
白いシャツに黒のパンツを身につけ剣を構えるその凛とした佇まいは、ストイックで求道的な彼本来の姿を浮かびあがらせていた。
美しいと思った。その姿も、魂も。アキラは、シキがひと通り練習を終え、「なにを見ている」と呆れ声を出すまでその姿にせいせいと見蕩れ続けた。

シキが覚醒してから、だいぶ物入りになった。
近づく冬に向けてシキの服を新調しなくてはいけなかったし、またアキラと違いシキは食べるものもソリドだけ
で満足しなかった。二人で街へ買出しにでるとシキがあれこれ欲しがるので、それを止めるのに苦労した。
それでもシキの痩せた身体に少しでも滋養をあげたくて、いつになく大量に食料を買い込んでしまった。
手持ちの金は残り少なくなっていたが、シャツの襟の間からのぞくシキの白く細い首が寒々しくて、つい暖色のマフラーを買ってしまった。
(そろそろ…「仕事」しなくちゃな…)
シキの首にマフラーを巻いてやりながら、アキラはこっそりと考えていた。

夜も更け、シキは毛布にくるまり寝息をたてていた。
隣の部屋でアキラはシキの刀を研ぎながら、これからの「仕事」について考えていた。
どの街にも、その嗜好を持つ人間たちの溜まり場があって、そこに一時間も佇んでいれば、若く見栄えもよく擦れた雰囲気のないアキラに男たちが声をかけてきた。
そのなかから一番安全そうな男をアキラはいつも選んだ。金回りよりも、とにかく無害そうな男を。
アキラも逃亡生活のなかで感覚が研ぎ澄まされており、雰囲気に邪悪なものを孕んでいれば、それはすぐに見抜くことができた。
そうして選んだ男たちを自分の部屋に連れ込んでいたのだが、シキが目覚めたいま、それはできそうにない。
(ちゃんとした仕事を…するべきなんだろうな。日雇いとかでも)
しかしまだシキを一人にしておくのは、心許ない。どうしたものかと考えを巡らせていると、突然部屋のドアがノックされた。
アキラの体が竦む。かつてこの部屋を訪ねてくる人間などいなかった。これからもいるはずがない。刀を手にし、気配を殺しドアに擦り寄った。聞き耳をたてる。
「あの……僕です」
気弱な声がドアの向こうからした。その声には聞き覚えがあり、そっとドアを開けると笑顔を緊張で引きつらせた男の顔がドアと壁の隙間からのぞいた。それはひと月ほど前にアキラを買った男だった。

年の頃なら40代はじめに見えるその男は、あまりこういう遊びには慣れていないようで、最初にアキラを買ったときも始終おどおどとしていて、なかなか行動に移せなかった。おかげでアキラはあまりしたくないリードをしなくてはならず、そのへんの珍しさからこの男はアキラの記憶のなかに残っていた。大抵の「客」は顔も覚えていなかったが。
善良といえばこのうえなく善良そうな男であったが、邪悪だけが害なすものではない。善良には善良なりの害があったのだった。
アキラは懇願に弱かった。凶行には全霊をもって刃向かえたが、人の持つ弱さを切り捨てることができない。
だから男が、アキラのことを忘れられなかったと言いながら縋りついてきたときも、その手を振り払うことができなかった。
「やめろよ…っアンタ」
「大丈夫、お、お金は払うから…」
「そんなんじゃ、なくて…っ」
アキラのゆるい抵抗を精一杯のものと勘違いしたらしい男は、さらにアキラの首筋にむしゃぷりつきながらその体をソファーに押し倒した。
もう…このまま「仕事」にしてしまうか…。
アキラが諦めに似た気持ちで、目を閉じたとき。
頭上で男の喉が細い音をたてて鳴るのを聞いた。
アキラが目を開け顔をうわ向けると、天井を背にして立つシキの姿があった。手には刀を持ち、切っ先を男の顔に向けている。
「アキラから……離れろ!」

赤い瞳が火のようにたぎっていた。

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コメント

アキラに売春させてすいません。
でもどうしてもこれ以外に日銭を稼ぐやり方が思いつかなかったのです…。

投稿: 後藤羽矢子 | 2005年10月27日 (木) 05時26分

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